第8話 不本意な再会 前編
街に漂う、えも言われぬ不穏な気配。
ちょっとセバスティアン!?
その「いかにもこれから大変なことが起きますよ」って感じのロマンスグレーな影を背負うの、やめてくれない?
私の不安を煽って楽しんでるでしょ!?
あの迷宮探索という名の物理的破壊行脚から三日後。
私は港町ヴェルナの薬屋で、いつも通り店番をしていた。
「聖女様、この切り傷に効く薬をください! 一生の宝物にします!」
「聖女様、このサイン色紙……いえ、家宝にするのでこの額縁にサインを!」
「聖女様、僕と結婚して、毎日その拳で罠を破壊して歩く僕を守ってください!」
「最後のは、全力で却下です。あと、薬は宝物にしないで、ちゃんと塗って治してください」
相変わらず賑やかで、どこか勘違いに満ちた平和な日常だ。
しかし、その日はどこか様子がおかしかった。
なんだろう、この、首筋を氷のヘラで撫でられるような嫌な違和感は。
うまく説明ができないけれど、魔王時代の「あーこれ暴走した四天王が街一つ滅ぼしてきた時の報告待ちの空気」みたいな、直感が告げている。
「ねえ、聞いた? 昨日の夜、北の森から変な音がしたって」
「私も聞いたわ。すごく低い、地響きみたいな……巨大な氷が軋むような音だったって」
「魔物が増えてるって噂もあるわよ。最近、妙に冷え込むしねぇ」
道端で井戸端会議に勤しむ街人たちの会話が、私の耳に容赦なく突き刺さる。
北の森。
地響き。
冷気。
私は胸の奥に、猛烈に拒絶したい既視感を覚えた。
その日は店主が、商会の寄り合いがあるとのことで、勤務時間もいつもより短めだった。
私は逃げるように店を閉め、家路を急ぐ。
夕暮れの街は、いつもより静かで、そして――どこまでも寒々しかった。
私が帰宅するなり、執事はとびきり深刻な顔で、しかし完璧な所作で淹れられた紅茶を差し出してきた。
……待って。
アロマの香りが、鼻が曲がるほど強すぎる。
リラックス効果のあるハーブを、通常の三倍、いや五倍は入れているに違いない。
これは「今から話す内容は、精神を安定させないと発狂レベルですよ」というセバスティアンなりの警告なのだ。
「チェリ様、単刀直入に申し上げます」
セバスティアンは重々しく口を開いた。
その両肩には、丸っこいげっ歯類の魔法生物が鎮座し、主人の感情に合わせてふるふると小刻みに震えている。
「私が放った偵察使役魔のセバスちゃん1号2号が……」
「セバスちゃんって……今、貴方の肩に乗って、つぶらな瞳でこっちを見てる、その可愛いやつらのこと?」
ロマンスグレーな執事の両肩で、セバスちゃんたちが得意げに「キュッ」と鳴いて立ち上がった。
あ、可愛い。
ちょっと触りたい。
「これは私が冥府の底……いえ、お庭の隅で丹精込めて練り上げた使役魔ですので、譲渡は致しかねます」
「……いいわよ、別に。それで、その子たちが何を?」
セバスティアンは、さらなる絶望を運ぶ使者のような顔で続けた。
「セバスちゃんたちが、古の魔力反応を感知しました。街の北、東、西の三方向から……。かつての我らが魔王軍が誇る、元四天王と同質の、極めて厄介……いえ、勇猛果敢な魔力を」
私は紅茶を吹きそうになるのを、元魔王としての意地で辛うじて飲み込んだ。
だが、案の定、気管に入って盛大にむせる。
「ゴホッ! ゲホッ! ま、まさか……あいつら、全員生きてたの!?」
「はい。おそらく、先日の迷宮探索でチェリ様が放った『覇気』に共鳴したのでしょう。三百年の時を経て、彼らはヴェリタス様の帰還を悟ってしまったのです。……まあ、今はただの無能令嬢チェリ様ですが」
「無能って自称するのはいけど人から言われると地味に腹立つわね! っていうか、どうして今頃……? セバスティアンなんて私が上陸する前からピンピンしてたじゃない」
セバスティアンは、カチンとくるほど得意げに胸を張った。
「私は封印されたわけではありませんから! 三百年、いい感じのロマンスグレーになるまで自ら泥のように眠り、エイジングを楽しんでいただけでございます」
「……あ、そう。発酵食品みたいな眠り方ね」
軽く聞き流していた私を見て、セバスティアンの両肩で、セバスちゃん1号2号が悲しげに瞳を震わせる。
「……最悪だわ」
私は頭を抱え、高級ソファに深く沈み込んだ。
かつて私が、若気の至りと中二病全開の勢いで「世界を私の色に染めてあげるわ!」とか言って集めた、選りすぐりの戦闘狂たちが一斉に復活する。
これは平穏な隠居生活どころか、この港町の世界経済崩壊の引き金になりかねない――。
「あーっ!! あああーっ!! ジャム! イチゴジャムが煮詰まっちゃうわーーっ!!」
私は反射的に奇声を発してソファから跳ね起きた。
経済崩壊なんて、そんな恐ろしいワード、聞かなかったことにしなきゃ。
私の羞恥心が爆発して死んでしまう。
「ですがチェリ様、物は考えようです」
セバスティアンが、私の乱れたスカートの裾を完璧に直しながら言った。
「彼らも三百年眠って、多少は脳味噌が冷えているかもしれません。それに、今の貴女様には、心強いお仲間もおりますでしょう?」
仲間、という言葉に反応したかのように、窓の外からピカッ、ピカッと光の信号が届いた。
隣人のアレクシオン様だ。
窓越しに、魔力光で「無事ですか?」「夕飯は食べましたか?」「今日のチェリさんも素敵でした!」という合図をモールス信号のように送ってきている。
……怖い。
この勇者の末裔、重い。
私は、とりあえず窓を開けるのも面倒なので、左手の平にぼんやりとした光を産み出すと、窓に向かって「はいはい元気ですよー」と適当に振った。
「大丈夫ですよ、チェリ様。貴女のお心は三百年で、物理的にも精神的にも、野太くなられました。本当の意味で、最強です」
「褒めてないわよね、それ」
日が落ち、夜の帳が降りた頃。
私の淡い期待を打ち砕くように、北の山の方角でド派手な爆発音が響いた。
夜空を衝く、青白い光の柱。大気を一瞬で凍てつかせ、万物を沈黙させる絶対零度の輝き。
「……あの過剰な演出、間違いないわね。あいつよ」
「北の古聖堂です。一番手は……氷の美しさに酔いしれる、あのナルシスト……いえ、氷結のグラシエルのようですな」
私は深いため息と共に、護身用という名の、殴ればだいたい壊れる杖を掴んで立ち上がった。
見て見ぬ振りはできない。
放っておけば、あの馬鹿は「主への献上品」とか言って、この街を巨大なスノードームにしかねないからだ。
後編へつづく




