第7話 迷宮探索は物理に限る
「チェリさん、少しお時間よろしいでしょうか」
朝食を終えた頃、アレクシオン様が屋敷を訪ねてきた。
いつもの爽やかな笑顔だが、どこか真剣な面持ちだ。
……というか、眩しい。
勇者の末裔特有の、この「正義の光」が私の元魔王としての本能をチクチク刺す。
(……うっ。胃が……。誰か胃薬を……。あ、お水は結構よ、そのまま飲み込むから……)
「ど、どうされました? 聖剣が……錆を落とせとか何とか?」
「いえ、そうではなくて。実は騎士団の訓練で、新米騎士たちと古代迷宮に潜る予定なんです。チェリさんにも、同行していただけないかと。あなたがいてくれれば、新米たちも安心できますし……何より、僕も心強い」
アレクシオン様は、少し照れたように頬を染めた。
私の心臓が、予想外の速さで鳴った。
迷宮探索。冒険者っぽい活動。
そして何より、アレクシオン様と集団デート……じゃなくて、健全な冒険!
だがしかし、私のダウナーな隠居マインドが即座に警鐘を鳴らす。
迷宮。
暗い。
ジメジメしている。
虫が出る。
そして何より――いっぱい歩くからめちゃくちゃ疲れる。
「あ、あの。私、か弱いですし、体力もないので足手まといに……。お家でお菓子でも焼いてお留守番してますわ……」
私が後ずさりしてドアを閉めようとした瞬間、ガシッとアレクシオン様の手が扉の縁にブーツの爪先を捻じ込んだ。
「大丈夫ですよ。チェリさんが歩き疲れたら、僕がおぶってでも進みますから。それに、君を一日中僕の目の届かないところに置いておくなんて、心配で訓練に集中できません」
さりげなく魔力拘束の術を放っているこの男は非常にたちが悪い。
爽やかな笑顔で有無を言わさぬ強制連行の圧。
「……よ、喜んで。ご一緒させてください……」
魂が抜けた表情で彼を見送っていると、背後から呪うような声がした。
「――チェリ様、お気をつけくださいませ。三百年前のような……暴走は避けていただきたく」
振り返ると、執事のセバスティアンが意味深な笑みを浮かべている。
「感じ悪っ、浄化するわよ!」
翌朝、東門に集合すると、アレクシオン様の他に三人の若い騎士見習いが待っていた。
「せ、聖女様が一緒とか緊張する……」
「あの、終末なんちゃらっていうすごい魔法を使った方だぞ……」
「何のことかしら。私、そんな高尚な知識は一切ございませんわ。ただの、か弱い令嬢です。さあ、ちゃっちゃと終わらせて早くお家に帰りましょうね……」
私が死んだ魚のような目でため息をつくと、新米たちはなぜかさらに震え上がった。
目指す古代迷宮は、街から徒歩で一時間ほどの丘の上にある。
「迷宮内では僕の指示に従ってください。チェリさんは後方で支援を」
「ええ、初めてですもの。よろしくお願いしますわ」
無能令嬢チェリ、迷宮に関してはデビュタントである。
魔王ヴェリタリスとしての記憶?
そんなただの黒歴史は封印、封印。
迷宮の入口は、苔むした石造りのアーチ。
内部は薄暗い。
最初の通路を進むと、広間に差し掛かったとき、新米騎士の一人が右壁付近に出ようとした。
「待って。……そこ、なんだか『殴り心地』が悪そうよ。というか、段差があって歩くの面倒くさそうな気が」
「え?」
私が指差したのは、石畳の色が微妙に違う場所。
アレクシオン様が石を投げると、ガシャン! と音を立てて床が崩れ、深い落とし穴が現れた。
「すごい観察力だ。チェリさん、どうして分かったんですか?」
「だって……石の並び方が、いかにも『ここを踏んだら落っこちますよ』っていう、作り手の性格の悪さを感じたんですもの。魔法とかじゃなくて、単なるカン、というか顔色を伺うのと似たようなものです」
その後も、私は早く帰りたい一心で、次々と罠を指摘してしまった。
壁から飛び出す毒矢は「あそこの穴、埃が溜まってないから現役だわ。ギミックが作動するとうるさくて頭痛がするから」と事前に石を詰めて無力化し、床の回転刃は「地響きがうるさい。足裏マッサージには強すぎる」と地面を軽く踏みつけて軸を歪ませた。
「聖女様……罠探知っていうか、迷宮を修復……もしくは破壊してるみたいだ……」
第二層に降りると、ゴブリンの群れが十体以上現れた。
「魔物だ! 全員構えろ!」
アレクシオン様たちが剣を抜く。
ゴブリンたちが武器を掲げて襲いかかろうとしたその瞬間、私はつい眉間に皺を寄せた。
(……これ倒すとものすごーく臭いんだよなあ。血飛沫とか服についたら洗濯面倒くさいし)
臭い。
汚れる。
面倒くさいから消えろ。
という無言のダウナーな覇気を、ほんの少しだけ漏らしてしまったところ。
ピタリ。
ゴブリンたちの動きが止まった。
そして次の瞬間、全員が一斉にその場に土下座したのだ。
『ヒ、ヒエェェェ……ナマエヲヨブンデハイケナイアノカタ……』
『コ、コノ、ヤバイ、圧……』
「……な、なぜゴブリンが道を譲ったんだろうか」
「アレクシオン様のキラキラしたオーラが、彼らには眩しすぎたのでは……ほら、目潰し的な効果かと」
私は必死に、覇気を霧散させようとパタパタと手を振る。
最奥の大広間。
中央には、ちょっとした家屋より巨大な石の巨人が、ゆっくりと立ち上がった。
「古代の守護者ゴーレムだ! 気をつけろ!」
しかし、私はその姿を見て、思わず天を仰いだ。
そして、この日一番の深いため息をつく。
私が昔、試作してそのまま放置した『守護者試作号04』じゃないか。
ゴーレムが、私の方を向いた。
『……vyぇ、ヴェリタス様……』
「……!?」
アレクシオン様の視線が突き刺さる。
「……あー! 今! この岩人形さん『ベ、弁当を……食べたいっす』って言いました!? 空耳かしら!? ほら、お腹が空いて力が出ないから、光の粒子になって消えようとしてるんですわ、可哀想に……」
私がヤケクソで叫びながら、ゴーレムに「早く消えなさい、このポンコツ! 私を早くお布団に帰して!」とキレ気味に念じると、ゴーレムの目は赤から青に明滅し、自ら光となって崩れ落ちた。
「……今、何が起きたんだ?」
「え、えーっと『浄化』ですかね? さ、これで最下層踏破ですわね。帰りましょう! 皆さま、お疲れ様でした」
帰路、アレクシオン様は完全に疑惑の視線を私に向けていた。
「チェリさん……君は一体……」
(バレた!? 正体バレた!? )
「あーっあの雲、すごく美味しそうな綿あめに見えません!? やだー、お腹空いちゃいましたー恥ずかしいですわーうふふふー」
私は奇声を発して空を指差した。
アレクシオン様は何か言いたげだったが、結局微笑んで首を振った。
「……帰ったら、美味しいものでも食べましょうか。もちろん、僕が作ってお届けにあがりますから、チェリさんはゆっくり休んでください」
その夜。
自宅のソファに倒れ込んだ私は、クッションに顔を埋めた。
「……セバスティアン」
「はい」
「ただの迷宮探索のつもりだったのに……足はパンパンだし、服は埃っぽいし、最悪……なんで徒歩前提なの迷宮って」
「申し上げた通りでございます」
私は小さく呟いた。
「……でも、少しだけ。……普通の女の子として、守られてるっぽくて、楽しかったわ」
セバスティアンは、薄く微笑んだ。
「お疲れ様でございました、チェリ様。……次はどちらへ寄り道なさいますか? まだまだ三百年前に置き去りにした『遺物』は、世界中に散らばっているようでございますが」
「……もう、迷宮はお腹いっぱい。明日は一歩も外に出ないからね」




