第4話 隣人が天敵の末裔(しかもヤンデレ)だった件
引っ越しのご挨拶なんて、誰が考えた習慣なのだろうか。
とはいえ、新しくこの『呪告館』に住み始めた以上、ご近所トラブルは避けたい。
隠居生活の基本は、平穏。
そのためには、隣に住んでいるいかにもお金持ちそうな家の住人に、顔を売っておく必要がある。
「セバスティアン、準備はいい?」
「はっ。こちら、隣家への献上品……いえ、ご挨拶の品にございます」
ロマンスグレーの執事に擬態したセバスティアンが差し出したのは、籠に入った焼き菓子。
ちなみに、彼が最初に持っていこうとした「食べた瞬間に魂が闇に染まる激辛呪饅頭」は、全力で窓から投げ捨てておいた。
代わりに入れたのは、私が一晩かけて焼いた、至って普通のベリークッキーだ。
実家であるアンブロシア公爵家で、私は無能として虐げられていた。
私の居場所は八割が厨房だったし、使用人たちの手伝いという名の労働をさせられていたから、家事全般はプロ級。
……あれ?
私って意外と、良妻としてのポテンシャルが高いのでは?
いや、結婚なんて面倒なイベント、今の私には中二病ぽい名言候補集レベルに必要ないけれど。
「相手がどんな人でも、笑顔で。不審がられないように、か弱く、淑やかに振る舞うのよ」
「承知しております。しかし、万が一我が主を侮辱するような不届き者であれば」
「笑顔で受け流すの! 滅ぼしちゃダメ、絶対よ……」
私たちは、丘一つ分ほど離れた場所にある白亜の豪邸へと向かった。
この辺りは高級住宅地と、私の住む事故物件エリアのちょうど境目だ。
お隣さんは見るからに立派な邸宅だけれど、残念ながら私の館から漏れ出る死霊遣いの怨念のせいで、住人が頻繁に入れ替わっているらしい。
「ごめんくださいませ。隣に引っ越してきました、チェリと申します……」
私がドアをノックしようとした瞬間、扉が勢いよく開いた。
「はい! いらっしゃい!!」
現れたのは、太陽をそのまま人間にしたような、眩しすぎる青年だった。
輝くような金髪。
南の海のような青い瞳。
服の上からでもわかる、鍛え上げられた肉体。
そして、闇属性の私を物理的に焼き殺しそうなほどの、爽やかな笑顔。
(うっ、眩しい……。目が、目が潰れる……)
「あ、はじめまして……。あの、これ、心ばかりですが……」
「おお、わざわざ! 私はアレクシオン。カイエン王国騎士団の支部長をやっています! いやあ、あのお屋敷に人が入るなんて、どんな強者かと思っていましたが、こんな可憐な女性だったとは!」
アレクシオン。
その名前を聞いた瞬間、私の背筋に、かつてないほどの激痛と寒気が走った。
横でセバスティアンの目から不穏な赤い光が漏れそうになるのを、私は慌てて渾身の肘打ちで制止する。
アレクシオン……アレクシオン!?
三百年前、私の居城に土足で踏み込んできて、私の首を華麗にハネた光の勇者と同名じゃないの!
「さあさあ、外でお話もなんですから、どうぞ中へ!」
彼は私の顔色が土気色になっていることにも気づかず、強引に私を邸宅の中へ招き入れた。
案内された応接室で、私は見てはいけないものを見てしまった。
暖炉の上に飾られた、一振りの古びた剣。
刀身に聖なる古代魔法文字が刻まれた、あの、見覚えがありすぎる武器。
聖剣カリバーン……。
(なんであんな無造作に置いてあるの!? おもちゃじゃないのよ!?)
こいつ、やっぱり勇者の末裔だ。
あの剣は、かつて私の「絶対防壁」を、冷やしたバターみたいにスパスパ切り裂いたトラウマ兵器そのものだ。
「おや、あの剣が気になりますか?」
アレクシオンが、照れたように頭を掻いた。
「あれは我が家に代々伝わる家宝でして。初代アレクシオンが、暴虐無道の魔王ヴェリタスを討伐した聖剣、と言われているものなんですよ」
(……ぼ、暴虐無道。へぇ、すごいですねぇ。どの口が言ってるのかしらねぇ)
頬がピクピクと引きつる。
横でセバスティアンが「貴様……我が主を侮辱するか……」と小声で禁呪を唱え始めたので、私は全力で彼の足の甲をヒールで踏みつけた。
「でも、もうボロボロで錆びついちゃってるんです。今の時代、魔王なんていませんし、ただの骨董品ですよ」
「そ、そうですわよね魔王なんて、おとぎ話ですものね」
私は乾いた笑い声を上げながら、冷や汗を拭う。
早く帰りたい。
今すぐここを離れて、布団を被って丸まりたい。
「ええ。ですが、言い伝えでは……魔を統べる女王はいずれ復活する、とも言われています。もしそんな輩が現れたら、僕がこの剣で真っ二つにしてやります。市民の安全を守るのが、騎士の使命ですからね」
爽やかな笑顔で、なんという恐ろしい物騒なことを言うのか、この男は。
紅茶のカップを持つ手が震えて、カチャカチャと情けない音を立てる。
ここは敵の本拠地のど真ん中だ。
隠居生活どころか、処刑台のカウントダウンが始まっている。
その時だった。
ビョロロンッ、ビョロロロロロロオオオオーンッ!!
と、聖剣が不気味な高音を発し始めた。
錆びついていたはずの刀身が脈打ち、真っ赤に熱を持って震え出す。
「ん? 聖剣が……震えている?」
アレクシオンが不思議そうに剣を見つめる。
まずい。
非常にまずい。
聖剣には、強大な闇の力を感知する警報機能が備わっている。
今、この部屋には、魔王の前世を持つ私と、死霊遣いのセバスティアンという、闇のフルコースが揃っているのだ。
ゴエエエエエンッ、ゴエエエエエエエエンッ!!
振動は激しさを増し、まるで敵襲を知らせる鐘のように部屋中に鳴り響く。
「故障か!? いや、確か言い伝えによれば、魔王級の邪悪が近づくと反応すると……」
アレクシオンの目つきが、一瞬で鋭い騎士のそれに変わった。
彼が聖剣に手を伸ばそうとする。
考えろ、私。
この場を切り抜けるための、無能で哀れな令嬢らしい言い訳を!
「き、きゃあああああああああっ……」
私はわざとらしく悲鳴を上げ、ソファの上に丸まって震えてみせた。
「チェリさん!? どうされました!?」
「こ、怖い……その剣が、私を……私を拒んでいるんですわ……っ」
「えっ? 君を?」
私は涙目で、アレクシオンを震えながら見上げた。
「私……生まれつき、厄災体質で、呪われているんです……。昔、悪い魔女に『お前は永遠に不幸であれ!』って呪いをかけられて……。だから、そんな聖なる剣は、私の体に染み付いた呪いに反応しているんですわ、きっと……」
(我ながら、めちゃくちゃな設定ね。でもこれしかない)
「な、なんてことだ……っ!?」
アレクシオンの手が止まった。
今生の私は、魔力ゼロの無能だった。
呪いのせいだと言えば辻褄が合う。
「そ、そうだったのか……。見るからに非力でか弱い君を怯えさせてしまうなんて、申し訳ない」
アレクシオンは慌てて、呻き声を上げる聖剣を布でぐるぐる巻きにして、奥の部屋へと押し込んだ。
「なんて可哀想なんだ……。呪いのせいで、聖剣にまで拒絶されるなんて。君は今まで、どれだけ辛い人生を歩んできたんだ……」
戻ってきた彼の目には、なんと涙さえ浮かんでいる。
……単純。
いや、真っ直ぐすぎて逆に心が痛むわ。
「決めました、チェリさん」
アレクシオンは私の手を取り、熱い眼差しで見つめてきた。
……いや、熱すぎる。
その南の海のように澄んだ青い瞳の奥から、一瞬だけ自愛の光がスッと消え失せたような気がした。
「僕が、君を守ります」
「……はい?」
「君のようなか弱い女性が、いわれのない呪いに苦しんでいるだなんて……騎士として、いいえ、一人の男として許せない。君を傷つけるすべての理不尽から、僕が徹底的に、文字通り『排除』して君を守り抜きます」
握られた手に、ギリッ……と痛いくらいの力がこもる。
「……あ、あの、アレクシオン様」
「おっと、失礼。お隣同士ですし、遠慮は無用ですよ! 英雄の末裔アレクシオン、今日から貴女の専属の守護騎士になりましょう! 害虫一匹、君には近づけさせませんから」
瞬きをすると、彼の瞳はいつもの太陽のような輝きに戻っていた。
気のせいだろうか。
笑顔は最高に爽やかなのに、なぜか背筋がぞくぞくする。
「しゅご……い、いえ! 結構です! 私、静かに暮らしたいので! ご近所付き合いも最低限の方が」
「静かな暮らし! いいですね! では、僕が毎日庭を隅々まで巡回し、不審者はもちろん、不快な羽虫の羽音すら聞こえない完璧な静寂を提供しましょう」
(……完璧な静寂!? なにそれ怖すぎる)
私は引きつった笑顔で「ありがとうございますぅ……」と答えるしかなかった。
ほうほうの体で屋敷に戻った私は、玄関でそのままへたり込んだ。
「セバスティアン……」
「はい、チェリ様」
「引っ越し、検討しましょう。今すぐ。夜逃げでもいいわ」
「しかし、あの男。守るなどと申しておりましたが、裏を返せば我々にとって都合の良い人間の盾になるかと。あのような『異様な執念』を持った英雄の末裔が目を光らせる館となれば、他の厄介な追手も近寄りますまい」
「……あ。確かに」
セバスティアンの邪悪なポジティブ思考に、私ははっとした。
灯台下暗し。
勇者の子孫が隣で異常なまでのパトロールをしてくれれば、まさかそこに元魔王が住んでいるなんて誰も思うまい。
「それに、あの聖剣。手入れを怠りすぎてボロボロでしたな。今の私であれば三秒で粉砕できます」
「手出し無用よ。……はぁ。まあいいわ、利用できるものは利用しましょう」
私は窓から、隣の邸宅を見つめる。
アレクシオンが窓辺で、爽やかに手を振っているのが見える。
……どんな視力してるのよ。
私の平穏への道。
また一歩、どころか、初日から完全に違う方向へ爆走し始めた気がしてならない。




