第3話 格安物件探し
はぁ……。
人生、何をするにもお金がかかる。
港町ヴェルナにたどり着いたはいいけれど、私の手元にあるのは公爵家を追い出された時のわずかな手出しと、海竜を魔改造して作った非売品の船だけ。
まずは拠点を構えないといけない。
それも、極限まで安くて、誰も私に干渉してこないような場所。
「ほ、本当にこちらでよろしいのですか? 『呪告館』なんて名前がついているんですよ……?」
不動産屋の主人は、今にも泣き出しそうな顔で何度も聞いてくる。
案内されたのは、高級住宅街の端っこにある、ひどく古びた洋館。
夜な夜な不気味な声が聞こえるとか、前の住人が「暗闇に沈め……」という謎の言葉を聞いて発狂したとか、そんな噂が絶えない物件らしい。
「いいんです。私、家賃を抑えたいだけの、ただの可哀想な元令嬢ですから。幽霊? ああ、大丈夫ですよ。いざとなったら、こう、空気を拳で叩けば消えるんじゃないですかね。物理的に」
私は薄っすらと微笑みながら鍵を受け取った。
幽霊なんて、所詮は残留思念とかそんな類のものだ。
私の膨大な魔力の余波をちょっと流せば、たいていの霊体は消滅するか、物量に押し流されて勝手に成仏する。
相場の十分の一以下の家賃。
家具付き。
庭付き。
最高じゃない。
背後で主人が清めの塩を文字通り浴びるほど自分に振りかけていたけれど、見なかったことにした。
その日の夜。
私は埃まみれだった広間を掃除した。
魔法の掃除理論なんて知らないけれど、指先から「綺麗になーれ」という念を込めて魔力を放射すれば、家中ピカピカになる。
これぞ物理的な浄化。
略して、物理浄化。そのまんま。
台所に茶葉はなかったけれど、庭に生えていた、なんとなく美味しそうな草をむしってきて、魔力でいい感じに成分を味変させて、紅茶風の飲み物を作ってみた。
「ふぅ。静かでいいわね。やっぱり隠居はこうでなくちゃ」
窓の外では雷が鳴り、嵐が吹き荒れている。
演出としては満点だ。
なんて優雅にカップを傾けた、その瞬間。
暖炉の火が、ふっと消えた。
室温が急激に下がり、壁の隙間から漆黒の霧が溢れ出してくる。
そして、空中に巨大な骸骨の幻影が浮かび上がった。
『……立ち、去れ……ぃ。この場より、去るがいい……』
地を這うような、不気味な重低音。
『我は……奈落の番人……。終わりなき闇を、統べる者……ぉ』
演出がイマイチだ。
数多のポエム用単語を収集してきた私からすると、この驚かし方は二流よ。
奈落だの終わりなき闇だの、言葉選びがちょっと背伸びしたお子ちゃまみたいで、こっちが恥ずかしくなってくるわ。
……。
……待って。
今のセリフ、どこかで聞いたことがある。
確か、三百年前の私が、当時の部下に「これからは、こういう台詞で威圧するのが流行よ」とか言って教え込んだ――。
「…………」
私は震える手で、カップをソーサーに戻した。
そして、指先から極小範囲の浄化《物理放射》を放った。
『ひょおおおああああ!? この波動は……!?』
霧が霧散し、実体化したのはボロボロの黒いローブを着た、半透明の骸骨。
骸骨は、空っぽの眼窩で私をじっと見つめ、顎をガタガタと震わせた。
『……ま、まさか。その魂の輝き。その、圧倒的で傲慢で、理不尽ですらある魔力の波動は……!』
「誰が理不尽よ」
『おお……! おお、我が主! ヴェリタス様! 魔王ヴェリタス様ではありませんか!!』
骸骨が床にひれ伏し、頭蓋骨をゴンゴンと床に打ち付け始めた。
やめて。その名前を大声で呼ばないで。
『お会いしとうございました! 三百年前、あの勇者に敗れて以来、この地でずっと復活をお待ちしておりました!!』
私はこめかみを押さえた。
思い出した。
こいつは、かつて私が率いていた魔王軍幹部四天王の一人だった、死霊遣いのザガン。
私の「世界経済を混乱させて市場を支配する」という、今思えば最低最悪な計画に心酔して、私の恥ずかしいポエムを誰よりも熱心にメモしていた、一番の忠臣。
「……ザガン。あんた、まだ成仏してなかったの?」
『死してなお、我が忠誠は不滅! さあ主よ、ついに時が来たのです! 再び世界を恐怖の底に沈める時が! 暗闇に沈め、虫けらどもめ!!』
ザガンは立ち上がり、マントをバサァッ! と翻した。
『御覧ください、この館! お一人で先に旅立たれたヴェリタス様をしのぶため、当時の本拠地であった漆黒の魔離宮の雰囲気を忠実に再現してみたのです!』
「……えっと、あの壁の赤い模様、何?」
『よくぞ聞いてくださいました! あれはヴェリタス様がお気に入りだった、《《紅に染まりし聖女の涙》》……つまりは、トマトペーストで描いた魔法陣です!』
「ぎ、ぎゃあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
私は顔を覆ってソファの上でのたうち回った。
やめて!
言わないで!
そのネーミング、当時の私が「なんかかっこいいじゃん?」ってノリで決めたやつ!
トマトペーストを聖女の涙とか呼んでた自分を殺したい!
今すぐ歴史から消し去りたい!
『は? ヴェリタス様?』
「その名前で呼ぶな……いいこと? 私はチェリ。追放された、か弱くて可哀想なおんぼろ元令嬢なの。 世界征服? 知らない! 経済? なにそれ美味しいの!?」
『しかし、我らは誓い合ったではありませんか! 「たとえ星々が堕ちようとも、我らの野望は――」』
「あああああ! 朗読禁止。過去の回想禁止。全部禁止よおおおお……」
数分後。
私は正座させたザガン……じゃなくて、骸骨に説教をしていた。
「わかった? 昔の話は一切禁止。私の過去のセリフを引用したら、その場で粉々にして浄化するわよ」
『そ、それだけは御勘弁を……。せっかく再会できたというのに……』
骸骨がシクシクと泣き真似をするので、私は一つため息をついた。
まあ、家事全般は得意だったし、私の正体を知っている相手がいるのも、便利といえば便利かもしれない。
「じゃあ、ここで私の執事として働きなさい。ただし、その骨の姿は目立ちすぎるわ。何とかして」
『御意……変身』
ザガンが闇に包まれ、次の瞬間には顔色の悪い、ロマンスグレーの紳士に姿を変えた。
生前の姿ね。
確かに、これなら街を歩いても体調の悪そうな執事で通るわ。
「今日からあなたはセバスティアン。わかったわね?」
「はっ……して、チェリ様。早速ですが、夕食の準備を。かつてお好きだった『奈落竜の肝の燻製・絶望のソース添え』でも……」
「……塩パンと野菜スープでいいわ。普通の。あと、そういう感じの長いネーミングも全部忘れて」
こうして、私は格安のというかタダ同然の屋敷と、有能だけれど恥ずかしい記憶を共有している執事を手に入れた。
平穏な隠居生活。
その第一歩を踏み出した……はずだった。
「セバスティアン、庭の草むしりをしておいて。草ボウボウで隠居の風情がないわ」
「承知いたしました。では、根絶やしの呪詛で、半径一キロ以内の植物を根こそぎ枯死させて参ります」
「……普通に手で抜きなさいって言ってるでしょおが!!」




