第10話 獄炎の脳筋 前編
ただでさえ、脳まで筋肉で出来た、狂戦士が復活するなどという頭痛の種を抱えているのに、どうして現代の勇者(の末裔)は、その火種に油を注ぐような真似をしたがるのだろうか。
勘弁してほしい。
か弱い乙女の胃壁は、オリハルコンで出来ているわけではないのだから。
「それにしても、紅蓮の戦鬼フレイムベルグか……」
手綱を握りながら、セバスティアンがふと、懐かしむように、けれどどこか侮蔑を含んだ声音で呟いた。
その肩の上では、魔法生物のセバスちゃん1号2号が、熱風を嫌がって主人の主人のロマンスグレーな髪の中に潜り込んでいる。
「お知り合いなんですか?」
隣を並走するアレクシオン様が、大型犬の子犬のように興味津々と尋ねる。
そのキラキラした瞳が、この熱波の中でさらに眩しくて、私の視神経を直接攻撃してくる。
「ええ、まあ。一言で表現するならば――考える葦の対極にある存在、とでも申しましょうか。思考を司る脳細胞が、成長の過程ですべて筋繊維に置き換わった奇跡の個体です」
「直球で、救いようのない脳筋と言えばいいでしょうに」
グラシエルが氷の結界を馬の周囲に展開しながら、涼しい顔で追撃した。
「思考するよりも先に、神経伝達物質が直接筋肉を動かすタイプです。戦闘こそが至上の対話であり、強い相手と剣を交えることに、あろうことか生命の喜びを超えた倒錯的な快感すら覚えている節がある。……関わりたくない人種の筆頭ですよ」
私は呻き声を上げて、馬の上で頭を抱えた。
最悪だ。私の平穏な隠居プランにおいて、最も遭遇してはいけない人種だ。
「アレクシオン様の存在を認識したら、脊髄反射で決闘を申し込みそう……」
「勇者の血統特有の聖なる魔力を嗅ぎつければ、まず間違いなく『死合おう』などと叫び出し、そのまま地形が変わるまで暴れ狂うでしょうな」
アレクシオン様は、なぜか誇らしげに剣の柄に手を置き、胸を張った。
「ならば、受けて立ちます! 騎士として、そして男として、挑まれた戦いから逃げるわけにはいきません!」
「……ダメです! 却下! 却下よ!」
私は食い気味に否定した。
「今回のミッションは、平和的な説得と鎮圧だって決めたじゃないですか! 流血沙汰になったら、私の『か弱くて守ってあげたくなる聖女様』っていう評価が、また『ゴリラ魔王』に逆戻り……」
「ゴリラ……? チェリさんがですか? そんな、君はこんなに可憐なのに……」
「とにかく、戦闘行為は厳禁です! 相手が吹っ掛けてきても、罵倒されても、慈愛の微笑みでスルーなしましょう」
「チェリさん、たまに僕の扱いが訓練中の猟犬のしつけに近い気がするんですが……気のせいでしょうか」
そんな不毛な問答をしているうちに、東の廃坑が視界に飛び込んできた。
かつては上質な銀鉄鉱を産出していたその場所は、今や地獄の釜の蓋が開いたかのような様相を呈していた。
坑道の入口から、禍々しくも美しい、紅蓮の燐光が断続的に吹き出している。
近づくだけで、まつ毛がチリチリと焼けつくような熱波。
「さすがはフレイムベルグ。ただ存在して呼吸をするだけで、環境破壊をしてくれますね」
グラシエルが結界強度を強めながら、他人事のように言った。
「グラシエル、あなた暑くないの?」
「私は常に零度の衣を纏っていますから。むしろ快適ですよ。チェリ様も、ご自身の心魂にある絶対零度の声を思い出せば涼しくなるのでは? ほら、かつて大陸一つを氷河期に沈めようとした時のあの美しいまでの非情さを」
「誰の心が絶対零度よ。今の私の心は、春の陽だまりのように温かくて平和に満ち溢れているわ。この熱気で脳まで蒸発しそうだけど……」
廃坑の入口に到着すると、周辺の草木はすべて炭化し、赤い火の粉を撒き散らしていた。
「おい、水だ! もっと水を持ってこい! 延焼を防ぐんだ!」
「ダメだ、普通の水じゃかける前に蒸発して霧になっちまう! 魔法士の応援はまだか!」
近隣の自警団や村人たちが、必死の形相で消火活動に当たっているが、もはや焼け石に水どころの話ではない。
「皆さん、下がってください! 危険です! ここからは我々騎士団が引き受けます! 避難を!」」
アレクシオン様が馬から飛び降り、てきぱきと指揮を執り始めた、その時だった。
大地が、深淵から震えた。
腹の底を直接揺さぶるような咆哮が、地下深くから突き上げてくる。
「――我が魂の炎よ! 焦熱の理となりて、天を焦がせぇぇぇぇッ!!」
凄まじい爆音と共に、廃坑の入口が内側から巨大な石塊を撒き散らしながら粉砕された。
噴き上がる溶岩と黒煙。
その中心から、弾丸のような速度で飛び出してくる巨大な影。
燃え盛る真紅の髪。
鋼のように引き締まった褐色の肉体。
全身を返り血のような深紅の重鎧で包み、背中には私の身の丈ほどもある、無骨で巨大な大剣を背負っている。
「ぬおおおおっ! 空が青い! 風が美味い! そして太陽が俺の筋肉を祝福しているぅぅ!!」
男は両手を天に掲げ、世界の中心で愛を叫ぶかのような超絶声量で絶叫した。
音波による衝撃だけで、周囲で燻っていた小火がいくつか吹き消えたほどだ。
「……フレイムベルグ。相変わらず、出力の加減が壊れているわね」
私がこめかみを押さえ立ち眩みに耐えながら呟くと、男の耳が獣のようにピクリと動いた。
「ん? この、肌を刺すような高潔かつ傲慢な、魂の波動は……」
フレイムベルグは、充血した猛禽のような眼でこちらをギロリと睨み――そして、劇的に見開いた。
「な、なんと……! ヴェリタス様ぁぁぁぁッ!?」
ドスドスドスッ! と地面を爆破しながら、彼は小型戦車のような勢いで突進してくると、私の鼻先数センチで急停止した。
風圧だけで私のスカートが捲れそうになり、背後のアレクシオン様が「あわわ」と情けない声を出しながら慌てて目を逸らす。
フレイムベルグは、地面が割れるほどの勢いで膝をついた。
「お待ちしておりましたぁぁ! このフレイムベルグ、魂の髄まで焦がして復活を待ち望んでおりましたぞ! さあ、今こそ世界に我らの業火を! 手あたり次第、森羅万象を灰燼に帰しましょうぞ!」
「待て。おすわり。ステイ。……というか、暑苦しいのよ。離れなさい」
私は無表情で、手のひらを彼の顔面に向けた。
「フレイムベルグ、まずは深呼吸をしなさい。脳に酸素が足りてないわよ。それに、今の私は名前も姿も変わったの。よく見なさい、この華奢で、頼りなくて、風が吹けば飛んでいきそうな腕を。どこからどう見ても、か弱い令嬢でしょう?」
「……なんと?」
「今はチェリというの。しがない薬屋の雇われ店員よ。世界征服とか、人類滅亡とか、そういう世界崩壊を招くような野蛮な……あーーーーっ!! アアアーーーーッ!! 空見て空!! あの雲、すごく『もっちりパン』の形に見えない!? 具は鶏肉のレモンソテーよ!! 食べたいわね!!」
危ない。
自分から禁句を口にして、あまりの恥ずかしさに発狂するところだった。
フレイムベルグは、わかりやすくフリーズした。
再起動に失敗した旧式のゴーレムのように、目がぐるぐると回っている。
「ちぇり……? せかいせいふく……やらない……? もっちり……?」
思考回路がショートしたのか、いきなり語彙力が幼児退行している。
フレイムベルグは私をぽかんと見つめ、それから背後に控えているグラシエルやセバスティアンに助けを求めるように視線を遣り――。
最後に、聖剣を帯び、光り輝くような正義のオーラを放つアレクシオン様の姿を認めた。
瞬間、彼の背中の大剣がカタカタと鳴り響く。
「だめよ、ステイ! 抜いたら承知しないわよ!」
「わ、分からん! 何一つ分からんぞ、ヴェリタス様! いや、チェリ様!?」
「ああ、これは完全に思考の迷宮で遭難しましたな」
セバスティアンが、憐れむような、それでいて楽しんでいるような声を落とす。
「フレイムベルグの脳の空き容量は、戦闘技能で九割九分埋まっていますからね。複雑な文脈を読み取るための理解力が不足しているのでしょう」
フレイムベルグはいよいよ大剣に手をかけ、アレクシオン様の周りを、獲物を定める肉食獣のようにぐるぐると徘徊し始めた。
その間も、チラチラと「え、これ、やっていいんですよね? 勇者ですよね?」と私に確認してくる。
「ダメって言ってるでしょうが!」
「なるほど! 分からん!」
数秒後、フレイムベルグが爽やかに、そして最悪なまでの短絡的結論と共に顔を上げた。
「よし! 分からんことは後で考えることにする!」
「おお、驚くべき知性の放棄。さすがは筋肉の奴隷」
「まずは三百年凝り固まった筋肉をほぐしたい! おい、そこのお前! 鼻につく勇者臭がぷんぷんする、キラキラ光属性野郎!」
フレイムベルグは、ビシッとアレクシオン様を指差した。
「貴様、なかなか良い感じの殺意の棒を持っているな! 俺と魂を削る死合いをしろぉおお!」
「はい! 喜んで!」
アレクシオン様が待ってましたとばかりに即答で聖剣を抜こうとした瞬間、私は彼の腕を万力のような力で掴み、その動きを封じた。
「だからダメって言ったじゃない!」
「で、でもチェリさん、高潔な武人に挑まれて応えないのは、騎士としての礼儀に反するかと……」
「礼儀なんて窓から投げ捨てましょう。そこは『私は愛と平和を愛する、争い嫌いの非戦騎士ですから』って言うとか……ま、まさかアレクシオン様も脳まで筋繊維なの」
私は、もはや言葉で説明するのは無理だと悟った。
脳筋を分からせるには、理屈じゃない。
もっと、彼らの言語で語るしかないのだ。
そう、彼らが唯一理解できる共通言語。物理だ。
「フレイムベルグ、よく聞きなさい。……今、ここで剣を抜いたら……」
私は、あえて魔力を一切使わず、純粋な握力だけで、足元に転がっていた、かつては巨大な岩の一部だったであろう炭化した岩塊を――。
ボシュッ、という鈍い音と共に、砂塵にまで粉々に粉砕して見せた。
「……あなたのその大切にしている大剣、私のこの繊細な手で、ぐにゃぐにゃの『マチ針』サイズに折り畳んで、二度と使えないようにしてあげるわ。いい?」
ゴクリ、とフレイムベルグが喉を鳴らした。
説明のつかない純粋な暴力の予感に、彼の本能が警鐘を鳴らした。
「……ヴェリタス様。いや、チェリ様。……今の、魔法じゃないですよね?」
「ええ、ただの握力よ。か弱い乙女の、精一杯の拒絶よ。わかった?」
「……ハイ。完璧ニ、理解シマシタ。ステイ、シマス」
フレイムベルグは、借りてきた猫のように大人しく正座した。
グラシエルがパチパチと煽るような拍手を送る。
「素晴らしい。言葉の通じない猛獣を、より上位の野生の力で屈服させましたね。流石は我らが主、暴力の権化です」
「……もう、どうにでもなれだわ。誰か、私の代わりにこの状況をなんとかして……」
私は遠い目をして、黒煙を上げる廃坑の惨状を見つめた。
三百年越しの同窓会は、まだ始まったばかり。
そして、私の精神安定に欠かせないとっておきの安眠薬の在庫は、もう、わずかひと瓶しか残っていなかった。
後編へ続く




