28 やけっぱちはゲーム理論的に正しい
その人は初めて会った時と同じ黒い質素な服を着て、にこやかに笑いかけてきた。
「テオバルド司教様!」
「お久しぶりです、パウロ様。」
数日前にあったばっかりなのに、だいぶ間が立っていたような気がした。この聖職者の服を見ると安心する。
「会いたかったです司教様。」
割と事務的な伯爵家スタッフと口の悪いピエトロに囲まれていたからか、司教様の思い出は美化されているかもしれない。思えばピサで最初に喋った相手も司教様だった。
「突然お邪魔しましたが、お元気そうで何よりです。マリーノから呼ばれました。要約はピエトロから承っているので、このまま続けましょうかな。」
みんなを見回して司教様は席に着いた。馬車でも思ったけど、ピエトロとは割と仲がいいんだよね。
「さてパウロ様、教皇派は今のヴェローナでは劣勢です。こうした少数派が決起や反乱を起こすのは、どんな時だと思いますか。」
司教様はいつだってクイズ番組形式で難しいことを聞いてくる。まっすぐに見つめられると目がウロウロしてしまう。
「自分たちが多数派になれそうなとき?」
「いえ、自然に多数派になるチャンスがあるのなら、強引に暴力に訴えないでしょう。自分たちが大きくなるまで待ってから旧勢力の制圧にかかるはずです。」
なるほど。反乱はリスクを伴うわけだから、安全策が他にある場合は二の足を踏むのか。
「それじゃあ、多数派が弱っているときかな。」
「パウロ様、教皇派は劣勢と申し上げました。一つ目の答えとあまり変わっていませんよ。」
司教様は手厳しい。ピエトロと違って悪意のない感じではあるのだけど。
「ヒントを差し上げましょう。少数派にとって、何もしないことがリスクになる時があります。」
「多数派が抑えつけようとしているときか!」
なるほどね、手をこまねいているよりはリスクを取ろう、となるわけか。
「ご名答、とはいきませんでしたが、かなり近い答えですな。正確にいうと、少数派が多数派に押さえつけられようとしていると感じた時です。」
司教様は割と上機嫌そうだったが、違いがよくわからない。
「その二つは違うの?」
「大きく違います。パウロ様は、多数派が少数派の反乱を歓迎すると思いますか。」
「時と場合によるんじゃないかな。反乱派を一網打尽にしたい人もいるだろうし。」
アルベルト様ならやりかねない気もする。
「面白いお答えですが、違いますな。いいですか、その時と場合とやらを決定するのは反乱する側です。未然に摘発できれば大きな成果となりますが、反乱が起きた時点で双方が傷つくのが見えています。」
なるほど。確かに暴発されてしまうのは、仮に最終的に鎮圧できたとしても、いいことではないんだろう。
「これらを踏まえて、多数派としては何をすべきだと思いますか。」
「少数派を絶対にいじめない。」
「また惜しい。少数派が多数派に抑えつけられようとしていると思わせないことです。」
ちょっと難しくなってきた。
「難しい。もう少し噛み砕いて説明して。」
「いいですか、反乱と弾圧は、多数派にとっても、少数派にとっても惨事となります。多数派が少数派を弾圧するのは、基本的に反乱が起きる危険性が高いと思っている時です。そして少数派が多数派に歯向かうのは、弾圧される可能性が高いと感じている時です。つまり、論理的には多数派が弾圧をしない代わりに少数派が反乱を起こさない、という関係がお互いにとって良いものになるはずです。」
司教様は本当に説明がうまい。なんとなくだけど、なぜこの文脈でこの話が出てくるのかだんだんわかってきた。
「ところが、実際は失敗した反乱は多くありますし、圧政を強いて反乱を招いたこともあります。多くの血が流されて、失敗した場合はまず生きては帰れないというのに、なぜそんな道を辿ったと思いますか。」
「取引ができなかったから。」
「もちろんそうですが、それはなぜですか。」
司教様、もうちょっとパウロを褒めてくれてもいいと思うな。マリーノやフォスカリの前だし、下手な答えを返すのは恥ずかしい。
「仲介できる人がいなかったから。」
「では仲介者がいないと失敗するのはなぜですか。」
降参です。司教様は取り調べがうまいタイプだと思う。マリーノたちも感心したように熱心に聞いている。
「ごめん、今日の分の頭脳を使い果たしたみたいだ。正解を教えて。」
「相手がわからないないから、特に相手の意図がわからないのと、相手の言うことに信用がおけないからです。いいですかパウロ様、失敗した反乱の大半は馬鹿げた勘違いによるものですが、こちらの勘違いは向こうの勘違いを呼び、やがて勘違いが本当になるんです。反乱が起きると勘違いして弾圧の準備を始めたら、それを見た相手は起こす予定のなかった反乱を起こすものです。」
なるほど、不信感からのスパイラルになるのか。司教様は今日も雄弁でよどみがない。
「なるほど、なんとなく理解した。」
「素晴らしい。もうお分かりだと思いますが、パウロ様は教皇派と大公家のパイプでした。教皇派にとって、パウロ様は大公家が教皇派に厳しい態度をとったときのための防波堤であり、またそういう措置を未然に防ぐために陳情する相手でもあったのです。大公家から見れば、パウロ様は教皇派が不用意な行動を取らないための重しであり、また教皇派への希望を角が立たないように伝える伝令役でもあったわけです。」
理屈としてはわかるんだけど、残念なことに俺はナイーブな高校生なんだよね。
「でも二重スパイみたいなことは俺には荷が思い。」
「この場合パウロ様はどちらを裏切る訳でもありません。双方がパウロ様を必要としているのです。敵があなたのことを何も知らないというのは、あなたのことをよく知られているよりも危険なのです。パウロ様が心苦しく思うことなどありません。ありのままでいいのです。」
テオバルド司教様がクイズでいじめてきてもなんとなく嫌いになれないのは、こういうパウロへの配慮を節々で感じるからだ。今もとても優しい目をして、まっすぐこっちを見ている。
「ただし、記憶喪失の件は話すわけには参りません。カプレーティやアンセルメ伯爵は、パウロ様が全てを忘れたと聞けば、大公家へのアクセスを事実上失ったと感じるでしょう。このヴェローナを支配した相互不信がまた広がるのです。」
なるほど。でもロザリナ様は黙ってくれると思うんだけどな。
「理屈はわかるんだけど、気が乗らないというか、自信がないというか。」
「パウロ様、我々はピサの斜塔の一件を知っていますし、その後の経過を見ていますから、パウロ様がご健康なことに疑いがありません。しかしカプレーティは一切知りませんから、ロザリナ様もパウロ様の体質や遺伝を心配し始められるでしょう。ジュリエッタ様を嫁に迎える見込みはまず無くなります。そうなるとパウロ様はおそらく修道会へ加入していただくことになるでしょう。」
そうか、記憶喪失だとセシリア様の息子になれなくなっちゃうのか。それはいやだ。
「わかった。記憶喪失は墓場まで持っていくから、テオバルド司教様、みんな、俺をサポートしてほしい。」
「御意。」
司教様を筆頭に皆が頭を下げた。俺が重いミッションを背負った瞬間だった。




