13. ウェリントン公爵の名字はウェリントンじゃない
「主催者のアンセルメ伯爵って、記憶を失う前の俺を知ってるの?」
今日は珍しく揺れが少ない馬車の中で、相変わらず半ズボンのピエトロにたずねる。
「何度かお顔は合わせられていますが、お人柄までは存じあげないと思いますよ。一度パウロ様を娘様の婿にという話をほのめかされたとは聞きましたが、うちに直接話が来たことはありません。」
やはりパウロは色々な家の婿候補なのか。ナルシストの評判は広がってしまったけど、見た目が良くて裕福だったらそうなるのかな。自転車事業の失敗は知られていないみたいだし。
「アンセルメ家の他の人たちは?」
「パウロ様、アンセルメは領地の名前。家名はフェローネです。爵位がと家名が一致することなど滅多にありませんが、そこもお忘れになりましたか」
ピエトロが疑わしげに見てくる。前から少しずつ、スカラ家関係者は俺の記憶をどう認識しているのか気になってきている。誰も覚えてないと言いつつラテン語も喋るからかなり不自然になっているんだろう。
「うん、忘れた。」
忘れた、というより知らない部分は正直に忘れたと言おうと思う。皆わりと親切に教えてくれるし。
「パウロ様の爵位の名前もお忘れで?今日は身内のスカラ家でも懇意にしているカプレーティ家でもないですから、爵位で呼ばれますよ。」
「いや、普通にスカラ伯爵だと思ってた。」
そっか、爵位の前につくのは領地なのか。ピエトロは何か言いかけたが、飲み込むようにして続けた。
「普通ってなんですか。パウロ様の称号は、パリス伯爵です。」
「パリス?」
パリス、なんだか聞いたことある名前だ。高校生活で出てきたような気がする。パリス伯爵って、ひょっとして文化祭の劇に出てなかったっけ。
「スペルは?」
「ピエトロのP、アンドレアのA、ロザリナのR、イタリアのI、スカラのSです。」
PARIS、そっかパリのことか!行くはずだったんだよね修学旅行で。領地にまだ出向いてないけど、パリが領地だったらかなり楽しそう。
「何、俺の領地フランスなの? エッフェル塔と凱旋門ある?」
エッフェル塔はこの時代よりも新しい気がするけど、凱旋門あたりは行けたりして。ピサの斜塔もあったし。
「後半は何をおっしゃっているかわかりませんが、御料地はボローニャの南西、マントヴァ方面のところで、フランスではございません。フランスのパリ伯爵位はユーグ・カペー様が国王に即位された際に事実上廃止になっております。」
パリス伯爵いたんだね。ユーグ・カペーさんとか聞いたことないけど、まあ修学旅行中にその話が出たのかな。勝手にスッキリしていると、馬車がアンセルメ伯爵邸、すなわちフェローネ家の館についた。
夕暮れになっていたので、煉瓦造りの家は赤煉瓦なのか茶色のレンガなのかわからなかったが、所々白い石で装飾がしてあって、大公の宮殿よりは明るい印象の外観だ。馬車を降りると、門の先に仮面が並んでいるテーブルが置いてあり、先に到着していた女性が一人、使用人と仮面を選んでいた。
後ろ姿を見る限りでは、金色と茶色の中間のような長い髪の毛が、少しカールしていてふわっとした印象を与える。白とも銀とも言えるような色のドレスが、主張が強すぎも弱すぎもせずに、柔らく光って見える。髪の毛も相まって夕日に映える色だ。背はパウロより低いが女性にしては高めだろうか。姿勢はしっかりしているが、どことなく疲れたような感じにも見える。30歳いかないくらいかな。
仮面をつける前の姿を見てしまうっていうのもなんだか不思議な気分だけど、待っている間も手持ち無沙汰なので、斜め後ろからチラと覗いてみる。
「わお」
小声で呟いてしまった。真っ白な肌に頬がうっすら赤みを帯びていて、同じ色の唇も含めて白桃みたいな感じの色合いをしている。顔のラインがスッキリしていて、目もはっきりしているが、シャープというよりもどこか柔らかい雰囲気を出していた。眉毛が少し薄めかな。体は細いようだが、全体の輪郭はソフトな感じだった。聖母像かどこかで描かれていそうな美人だ。
「えっ」
小声が聞こえたのか、ジロジロ見られているのに気づいたのか、その女の人がこっちを振り返った。俺の姿を見かけると、にこりと笑いかけてきた。どうやらパウロを知っているようだ。
えくぼが可愛い、という表現は何度か聞いたことがあるが、えくぼが美しい、と言わせるのはこの人ぐらいだろう。
「パリス伯爵、またお会いできて嬉しいですわ。以前はロザリナがお世話になったとか。」
女性はスカートの裾を掴んであいさつする。鈴のような、というと誇張がすぎるけど、高く透き通った声だ。あいさつはすぐに返さないと行けないのに、俺は無言でその場に立ち尽くしていた。
「この場は仮面舞踏会ということですので、正式なご挨拶とは参りませんが、また我が家にいらした際にでも親しくお話ししたく存じます。」
「お名前、、、」
「はい?」
そうか、パウロはこの人の家を訪れたことがあるのか。この人の名前を忘れている、というのはまずいだろう。名前が聞けないのはもどかしいが、せっかく知り合いなら知り合いとして通した方があとあと話しやすそうだ。
「失礼、今日はあなたがあまりに美しいので、見とれて言葉が出ませんでしたよ。」
パウロ様しか言えないセリフを言った。こんなセリフ高校生が言ったら引かれるだろうけど、なぜか素直に言う義務みたいなものを感じた。
「まあ」
女性はいたずらっぽそうに笑って仮面をつけた。仮面に隠れるのが残念だ。その様子をじっと見ていると、その人はちょっと恥ずかしそうに声を細めて続けた。
「娘への自慢が一つ増えましたわ。」




