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11 政略結婚は大体平和なものじゃない

この章だけややダークでややこしいです。さらっと読み流してください。

橋に馬車がつくと、大公と随行する儒者たちはすでについていた。外なので礼儀がわからないが、ストルネロ夫人に教えられたように跪いて顔を下げる。


「大公殿下、パウロです。外出できるほどご容態が安定されたとのこと、何よりです」


「うむ」


準備した挨拶を滞りなく言えた。大公様は病気で伏せていらした割にはしっかりした足取りで近づいてきた。頬骨が出た四角い顔に、大きな目がついていて、一度見たら忘れない強そうな顔だ。ポンチョのようなやや派手なマントを羽織って、立体感のあるベレーみたいな帽子をかぶっている。


「ピサでの一件は聞き及んでいる。残念だったが、悪いことばかりというわけでもない。」



言葉遣いはバルトロメオ様と変わらないのだが、アルベルト様の言葉は威厳を持って聞こえる。


「まず、これを機にパウロをパオロに改めなさい。」


「えっ」


いきなりよくわからないことを言われて、礼儀を忘れて大公殿下をぽかんと見つめてしまう。アルベルト様は怒る様子はなく苦笑に近い表情を浮かべた。


「そこも忘れてしまったようだな。テオバルドからは、社会常識とラテン語は残っていると聞いていたのだが。では、こっちにきなさい。」


そういうと橋に向かって歩き、橋の二割ほどを歩いたところで立ち止まった。ピエトラ橋は石造りの重厚な橋で、アーチがいくつか連なる形になっている。


「この橋はローマ時代のものだが、私がマントヴァからヴェローナに戻っていた時にはここまで崩れていた。」


アルベルト様の足元を見ると、確かに石の色がそこで変わっている。


「そして向こうを見なさい。あのヌオーヴォ橋は1239年に完全に崩れたが、その後60年の間修復されることがなかった。一昨年私が修復したのだ。」


ヌオーヴォ橋(新橋)に目をやる。すっきりしたシルエットの石の橋だ。そんなに新しい橋だったとは知らなかった。


伯父様は俺に業績を思い出してもらいたいのだろうか。橋は二つしかかかっていないので、ヴェローナの街にとって重要な事業だったことは想像がつくけど。


「数十年の間、この川の両岸に発展した街は、橋がなかった。だが予算や石が不足していたわけではない。なぜだと思うかね。」


思い出にふけっていたようだった大公が急にこちらに顔を向ける。強い目で見られると思わず後ずさりしそうになる。


「わかりません。街の皆が協力できなかったからですか。」


大公の頬が緩む。回答に満足したのかな。


「間違いだ。だが面白い考えだな。確かにヴェローナのように責任の所在が曖昧な政体は、往々にしてこうした大きな工事を苦手とする。市民一人一人は橋を望んでも、自らの負担ではなく誰かが建ててくれるのを待っているのだ。」


政体、とかやたらと堅い言葉を使う人のようだ。ようは「みんな誰か他の人がやってくれるのを待ってる。」って言う状態のことを指してるんだよね。


「だが、橋について言えばヴェローナ市民が内輪もめをしたわけではない。違う場所に資源を傾注してしまったのだ。どこだと思う。」


また鋭い目線が俺に向けられる。パウロ様はこうやって育てられたのだろうか。テオバルド司教といい論理的でクイズ好き人々に囲まれて育ったんだな。


「わかりません」


「考えなさい。たとえ答えにたどりつかなくとも、考えることに意義があるのだ。盲目的に正解や教条を信じる人間は、正解が与えられなくなった途端役立たずになる。そして正解を司る人間の思うがまま操られるんだ。」


盲目的、と言ったときだけ大公の表情は暗かった。多分誰か具体的な人を思い浮かべてるんだろう。


「ピサにいて、一番目と二番目に目についた建物はなんだったかね。」


考えてみる。ピサは気がついてからずっと屋敷にいたので何も目につかなかったが、建物は21世紀とそう変わっていないようだった。


「斜塔、そして聖堂です。」


大公の目が上機嫌そうに笑う。


「当然そうだ。あの規模の街であれだけの聖堂と斜塔を立てるのに、どれだけの時間、労力、資源が必要なことか。」


ピサの斜塔の掲示板に、何か100年単位で工事が行われていたことが書いてあった気がする。


「ヴェローナも教会には多くの歳月と予算を費やした。市民の生活に不可欠なはずの橋が後回しにされるほどに。」


大公がまたこちらに目線を戻す。


「なるほど豪華で壮麗な教会だ。しかし何十年という時を費やして、多額の半ば強制的な寄付や十分の一税を課して作られた教会だ。それが何の役に立ったかね。慎ましい教会を建てた場合に比べて、何か人々の暮らしは豊かになったかね。」


なるほど、十分の一税とかいきなり言われてもよくわからないが、要は無駄遣いといいたいのかな。修学旅行中は教会の天井を見上げてすごいと感嘆していたが、そう言われると反論は思いつかない気がする。


「多くの教皇派の自慢は、どれだけ豪華な教会を建てたかだ。私の自慢はこの二つの橋をかけ、市の防御壁を整え、道路を整備したことだ。それは目に見えて街を豊かにし、安全にした。」


大公は病人とは思えないパワフルな演説を始めた。声がよく通る人だ。


「人は皆、教会への投資は神のためという。しかし実際は聖職者のため、教皇のために投資しているようなものだ。現にヴェローナ周辺で教会に吸い寄せられた十分の一税の少なくない部分は、ローマの教皇の元に送られる。」


教皇が嫌いなのが伝わってくるけど、パウロに言うのはどう言う意図なんだろう。


「我々の安全を保障する皇帝ではなく、我々が天国へ行く手助けをするという教皇に。そして教皇がそのお金でどう我々を救ったのかは誰も分からないのだ」


皇帝、という言葉が出てきた。どうやら、皇帝派と教皇派という、なんども聞いた対立についてのことを言っているらしい。一息ついたようだった大公は、声のトーンを落として続けた。


「しかしこの街には、信じていれば誰かに救済してもらえると信じる者も多い。パオロ、お前やお前の父親には、私は教皇派とのパイプ役を期待していた。お前をパドヴァでなくボローニャに行かせたのもそのためだ。」


パドヴァとボローニャがどう関係にあるのか分からないけど、話の流れからするとボローニャ大学が教皇派、ということでいいんだろうか。


「しかし、パオロ、お前の父は教皇に心酔してしまっていた、子供のお前をイタリア語のスペルではなく、ラテン語のスペルを与えたように。お前も若くしてその傾向があった。」


そうか、パオロでなくパウロだったのはそのせいだったんだ。


「ラテン語はローマ法や教会文書を読むのに必要かもしれぬ。しかし教会や修道院が世界中の英知を集めてやっていることといえば、大昔の経典に注釈をつけるだけに過ぎない。お前は生きた言語を使うべきだ。」


伯父様はつまり宗教の勧誘みたいなことをしていらっしゃるようだった。この場合はアンチ宗教だけど。


「お前は頭が良かった。しかしその才能は、頭のいい人間はすでに理解し、頭の悪い人間はずっと理解できないような、古典の注釈に注がれていた。」


頭が良かった、と過去形で語られるのは悔しい。


「いいかね、お前に教皇派と懇意にしてもらいたいとの望みは変わらない。ヴェローナから天の裁きを待つだけの弱い人間がいなくなることも永遠にないだろう。だがお前の心だけは、きらびやかな真紅の僧衣に奪われないでほしい。」


迫ってくる言葉だった。つまりはスパイになれと。


「テオバルドから伝えてあると思うが、教皇派のカプレーティと皇帝派のモンテッキは流血の惨事を続けてきた。バルトロメオは宥和を望んでいるが。」


「バルトロメオ様はみんな仲の良い、平和なヴェローナをお望みなのですね。」


そろそろ何か言わないと、演説が続いてしまいそうな気がして遮った。大公様の意に沿った回答だと思ったが、彼は不機嫌そうになった。


「宥和は問題を先送りするだけだ。話し合っても対立の根本が解決するわけではない。そもそも宥和というのは定見のない者が日和見的に使うか、解決する力を得るまでの時間稼ぎとなるかしかない。勝者は勝利を確立して初めて敗者に寛容になるのだ。緊張した握手で得られた対等の平和など、数年と持たない。バルトロメオは勇敢な戦士だが、政治的にはなよなよしていて不安が尽きないのだ。私は先も長くないというのに。」


パウロに話しているというより、難しい独り言みたいになってきたが、甘い対応が何につながるのかという不安はなんとなく伝わってくる。


「さて、この街の教皇派の首領、カプレーティには娘が一人いるだけだ。他に姪二人に、甥にはティボルトという血気盛んな若者がいるが、とても教皇派を率いるような器ではない。つまりカプレーティは次の世代の真っ当な男子がいない。」


何やら、長い前置きが終わって、本題に入る雰囲気だ。


「パオロ、お前がカプレーティの婿に入って、教皇派を内側から変えてくれないかと、私は期待しているのだ。」


橋の上で、大公は無言になった。


言いたいことを言い終わったのか、大公はこちらの反応をうかがっているようだった。婿入りの一件は混乱していたが、言われるままになるわけにはいかない。俺は攻めやすそうなところから始めることにした。


「まず、パオロではなく、パウロのままの方がいいと思います」


パウロよりもパオロの方が締まって聞こえるような気がして好きだ。大公は不審そうな顔をしているが、このためにちゃんと理由も考えた。


「これからカプレーティ家との関係を築きなおすに当たって、名前をいきなり改めるのは不信感を招くのでは」


「うむ。向こう側の信頼という点ではその通りかもしれぬ。だがお前の決心を見せてほしいと思った面もある」


大公は考え込むように答えた。すみません、俺決心できてないんだ。


「それに、カプレーティ家に婿に入った場合、伯爵家のスタッフと領地はどうなるのですか。」


これは大事。21世紀の高校生が曲がりなりにもこの時代で生活していけているのは、比較的信頼できるサポート役とそれなりの自分の収入があるからだ。婿入りして完全にアウェーになったらと考えると恐ろしい。


「カプレーティは爵位がない、お前の姓が引き継がれるはずだ。カプレーティの内部に入ってもお前が全部失う必要はないだろう。」


大公の答えは淡々としているが、なんとなくはぐらかしているようにも聞こえる。そのままでは二重スパイみたいな状況に追い込まれそうな気もする。


「まだ記憶を失ってからあまり立っていません。しばし考える時間をいただたらと思います。」


大公は、純粋に驚いたような顔をして笑った。


「ほう、混乱しているところに付け込まれないだけの器量は残っていたようだな。」


やっぱりつけ込んでたのか。


「まあ、私自身が健康だったら無理な頼みもしないところなのだが、マーキューシオを含めてスカラ家の次世代は、やや勢力均衡の扱いが危なっかしいのでな。」


「均衡ってなんでしたっけ?」


テオバルド司教に比べて、大公は難しい言葉を使う傾向にある。一応確認してかないと。


「スィ タキュイッセース フィロスフュス マンスィセース」


急にラテン語で返された。「あなたが黙っていたなら、あなたのことを哲学者だと思っただろう」の意だ。読み書きはしていたけど、パリス様のおかげでラテン語会話まで理解できて嬉しい。思わず笑みが出る。


「やっぱり早くボローニャに戻った方がいいのかもしれないな。」


大公はなぜか頭を抱えた。


「だが、善は急げだ。明日の晩に教皇派のアンセルメ伯爵が主催する仮面舞踏会があって、カプレーティから数名が出席する。そこに出席してほしい。」


仮面舞踏会出たことないけど、急に無茶なお願いをされた。


「記憶がなくなりましたし、仮面舞踏会なんてよくわかりません。」


「安心しなさい、仮面舞踏会は他人のふりをする場所。人妻を口説くもよし、政敵と冗談を言うもよし。お前の背格好なら皆お前だとわかるだろうが、お前自身として立ち振舞わなくてもなんとかなるはずだ。」


なるほど、仮面舞踏会ってどうせ招待はバレるし、コスプレみたいなものだと思っていたけど、お互いを知らないふりをして楽しむところだったのか。


「もう一つ、カプレーティの一人娘、ジュリエッタが13歳になる誕生日が8月1日に催される。彼女の公式なお披露目の場となるはずだ。」


ジュリエッタか、文化祭で伊東が演じる役だったジュリエットに似ている。昔は人気の名前だったのかな。ちょっと待った、今13歳って言った。


「その13歳の少女って、殿下が俺と結構してほしい相手のことですか」


俺はロリコンじゃない。13歳って犯罪だよね。


「7歳離れているなど、珍しいことではないだろう。」


大公殿下は何やらどこ吹く風といった感じだ。


「どちらも出席の手はずは整えておいた。健闘を祈る。」


まだ話合いは終わってない気がするけど、大公の中では話は完結したようだ。自分の名前が刻まれた橋から、もと来た道に戻っていく。


「すみません、カプレーティには記憶を失う前の俺を知っている人もいます。強引に進めては、、、」


「代わりと言ってはなんだが縦置き型二輪車計画の頓挫による財政負担と、工房を占拠したことにより甲冑の生産が遅れたことを、水に流してやっても構わない。


最後に出てきたか、悪夢の自転車計画。


「はい」というしかなかった。大公殿下は病気の割にすこぶる上機嫌で帰っていった。


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