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10 生地を買って自宅で服を仕立てた時代

「明日のお昼に、大公殿下がパウロ様にお会いしたいとのことです。場所はピエトラ橋をご所望です。」


ディナーの席で家令のマリーノ が伝令してきた。家令が何の仕事なのかいまだにわからないが、ダンディで品のあるおじさんである。それにしても、明日の昼って急だな。


「ピサにいたときは、そういう招待は数日前にきたものですが、ヴェローナでは皆直前に招待しますね。」


バルトロメオ様のときも、ピサから帰ってきたその日にパーティーで、伯爵邸はてんやわんやだった。スカラ家が適当なだけかもしれない。


「ピサの社会は商人が中心ですが、ここヴェローナでは名のある家は土地を持っています。領地にいない限りは社交の場に出られるものとみなされます。」


そうか、社交は仕事の一環だった。今回は伯父が甥を呼び出すだけだけど。


「伯父様は何の用事だと思いますか」


パーティーであいさつをする予定だったが、結局体調不良で出席されなかった。ヴェルデ様にはお会いできたけどね。


「前回の夜会での騒動か、もしくは縦置き型二輪車の一件かもしれませんね。」


背筋がひやっとすることを言われた。この人は大久保利通みたいなヒゲを蓄えているので、今ひとつ表情が読めない。


「もちろん、ご記憶の一件があってからお二人はお会いしていませんから、お元気な様子をご覧に入れたいということもあるでしょう。」


そうだよね。パウロの母は生後まもなくなくなっていて、父も子供の頃に他界しているそうだ。伯父はパウロ様の後見人で、可愛がってくれていたらしい。闘病生活の中で、世話を焼いていた甥が記憶を失って自分を覚えていないと知らされるのは、どんな気分だろう。


何だか気後れしてしまう。もちろん大公殿下は街の統治者なので、お断りするという選択肢はなさそうだ。今日のディナーがあまり好きじゃないニシンの塩焼きなのも含めてあまり気分が上がらない。ちなみに、執事のフォスカリと家政婦のストルネロ夫人もダイニングにいるが、一緒に食べる訳ではなく、報告をしながらパウロ様が食べるのを見ているだけだ。みんなで食べたほうが楽しいと思うのだが、会話が盛り上がるメンバーでもないのは確かだ。


「パウロ様、ニシンを残されてはいけませんよ」


デザートにヨーグルトを持ってきたピエトロが言う。こういう場では彼は給仕担当だ。ここにたまに出入りする代官のアンドレアを除けば、家にいて交流があるのはこの4人だけ。失敗したけどやっぱり社交界が恋しいかもしれない。テオバルド司教様は伯爵家の所属ではないので、たまにしか会えない。


その日は気分が上がらないまま、湯浴みだけしてベッドに入った。ピサのときも思ったけどこの時代のベッドはなぜか短い。



翌朝、起きるとピエトロがパンを運んできていた。硬いやつだ。


「ピエトロ、服を選んでくれないか」


「今回はお会いになるのはお身内の方ですし、パウロ様の思いのままに着飾るとよろしいかと思います」


ピエトロにしては珍しく皮肉の効いてない言い方だ。おもむろにパンをかじる。固い。


「パンをそのままお齧りなると歯をお痛めになりますよ。ちぎってお食べください。」


今日はピエトロが妙に優しいようだ。今日はストルネロ夫人に任せずに張り切って衣装を選ぶことにする。


パウロ様の衣装棚には優雅なマントやジャケットが何点もあるのだが、下に履くものは物足りない。ピエトロみたいな半ズボンやタイツがあったりするが、長いズボンは何点か肩からかけるやつがあるだけ。男は長い革のブーツの中にスボンの裾を入れる場合が多いので、ズボンが今ひとつでもあまり気にならないかもしれない。ちなみにベルトは上着の上から巻くのが主流らしい。トレンチコートみたいな感じか。


ベージュの薄手の長い上着があった。ここに茶色のベルトをして、こげ茶のトラウザーと茶色のブーツを履いてみる。茶系統で統一されていい感じなんじゃないだろうか。社交界の一件のあと屋敷から鏡が姿を消したので、自分で自分の格好をチェックできないのは悲しい。


「どう思う、ピエトロ」


「パウロ様らしいかと」


この時代の流行はわからないが、自分らしくあるのが一番だよね。意気揚々と階段を駆け下りる。ピエトロ橋へ出発だ。何で橋集合なのかはよくわからないけど。


「パウロ様、そのご格好は。」


ストルネロ夫人がホールで呼び止めた。


「変かな?」


自分の服をチェックする。トレンチコートにブーツって格好は21世紀でもあったし、そんなにおかしくはないと思うが。


「帽子もかぶらずに、失礼に当たりますよ。まあピエトロ、あなたがついておきながらどうしたのですが」


「現状確認も兼ねて、殿下にありのままのお姿をお見せしようと思いまして。」


話が違うぞピエトロ。


「仕方ありませんね」


ストルネロ夫人が壁にあった金属板をゴツンと叩いた。それを合図に普段は見かけないメイドの方々がぞろぞろと出てくる。


「伯爵のお着替えを手伝って差し上げなさい。良いように取り計らいなさい。」


それを言われるとメイドさんたちは俺を奥の間に連行した。


屋敷にはパウロの部屋以外にもクローゼットがあったんだろうか。見たことのない服がいくつか壁に掛けられていた。


「失礼いたします。」


メイドさんたちが俺の服を脱がせにかかる。


「え、ちょっと」


自分で脱げるって。それにメイドさんたちは有能そうに見えて、あまり脱がす手際は良くない。


「お手を煩わせるわけには参りません。」


結構煩わされている気もするが。こんな状況でもメイドさんたちは目を合わせてこない。スカーフで髪を隠しているのもあって、今ひとつ一人一人の特徴がわからないのは残念だ。


「ありがとう、もう大丈夫」


ベルトを外されて上着を脱がされたところでストップをかける。この時代の縫製はイマイチなので、下着姿になったときにずり落ちるという展開も怖い。


「ご心配なく」


メイド様はテキパキと答える。でもさっきからテキパキしているのは返答だけなんだよね。


「あっ、ほんと大丈夫だから、あっ」


さっきから、胸板から腹に掛けて妙にボディタッチが多い気がする。メイドさんのうちの一人、息上がってないか。パウロは運動していない割に割と体つきはいいので、中にはそういう気になってしまうメイドさんもいるかもしれない。シャツの攻防に気を取られていたらトラウザーを下された。


「伯爵様、タイツを履いてらっしゃらないのですね‘」


嬉々とした声が上がった。ズボンの下にはタイツを履くものである。暑そうなので割愛していたがこうなるとは。


「だめ。もう許して。お願い。」


パウロ様に情けないことは言わせないと夜会の日に誓ったけども、ここはパウロ様の貞操の方が大事だ。流石に下着を変える大義名分はなかったようで、失ったものはトラウザーだけで済んだ。他にも色々失った気がするが。


何とか着替え終わった。暗い灰色のシャツに深緑のベスト、同系統の深緑でやや色の濃いズボン、頭には黒のターバンみたいな帽子をかぶり、黒革のブーツと手袋だ。個人的にはトレンチコートの方が良かった気がする。


「いつもありがとう」


かなり恥をかかされたと思うが、一応メイドさんたちにお礼を言っておく。


「いつも?伯爵をお手伝いしたのは今日が初めてでございます。」


さっきから顔の赤いメイドの一人が挨拶する。そうか、手際が悪いと思ったら。


そう考えると、ボディタッチだと思ったのも単に慣れていないだけか。赤くなっていたのも恥ずかしかったのかもしれない。パウロ様の体に興奮したんじゃないかとか、何だかまたナルシストみたいなことを考えていたんだな、と反省する。


息も絶え絶えで玄関に戻ると、ストルネロ夫人とピエトロが何やら意味ありげに目配せした。気に入ったのだろうか。


「パウロ様、お着替えを楽しんでいただけたようで」


ピエトロ、お前のせいで着替えることになったんだぞ。もうこりごりだ。金輪際メイドさんたちを煩わせたくない。


「もう着替えは手伝わなくていいと、女中たちに伝えましょうか。」


息が荒い俺に夫人が淡々と話しかける。


「月一回までだ。それ以上は無理。」


用意されていた馬車のドアを乱暴に開ける。


ピエトロとストルネロ夫人は何かまた目配せをしていた。


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