第79話 天使の微笑みと、漆黒の純愛
「アンジェ……!」
ルストの震える声に、白髪白翼の少女――アンジェは、その場にぽつんと佇んだまま、真ん丸な瞳にみるみるうちに涙を溜めていった。
「ルスト……本当に、本当にルストなのね……! 良かった、生きていてくれたのね……!」
アンジェは大きな白い翼をはためかせ、駆け寄ると同時にルストの胸へと飛び込んだ。ルストは戸惑いながらも、ずっと心の支えだった愛しい少女を、壊れ物を扱うようにそっと抱きしめる。
「アンジェ、僕は……君にどうしても伝えたいことがあって、この里に戻ってきたんだ。地属性の僕じゃ、君に相応しくないかもしれない。だけど……僕は、小さい頃からずっと、君のことが好きだったんだ!」
ルストの命懸けの告白。それを聞いたアンジェは、顔を真っ赤に染めながら、この世のものとは思えないほど美しい、聖母のような微笑みを浮かべた。
「嬉しい……! 私もよ、ルスト。私もずっと、あなただけを愛していたわ!」
二人の想いが、ついに結ばれた瞬間だった。
その感動的な光景をクレーターの端っこで見届けていた赤髪のエリフは、あまりのリザの強さへの恐怖と、自分たちの行いへの後悔から、その場に両膝と額を地面に擦りつけた。綺麗な土下座だった。
「ル、ルストぉぉ! 悪かった! 俺が悪かった! 地属性だからって見下して、お前を殺そうとまでして……本当に申し訳ありませんでした!!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら謝罪するエリフを、ルストは複雑そうな、しかしどこか晴れやかな表情で見下ろし、そっと手を差し伸べた。
「いいんだ、エリフ。こうしてアンジェに想いを伝えることができたんだから、もう過ぎたことさ。顔を上げてくれ」
「ルストぉぉ……! お前ってやつは、なんて聖人なんだぁ……!」
感動の和解劇。
だが、そんな美しい青春の1ページを、これっぽっちも空気の読めない小さな天災が、無慈悲にぶち壊した。
「はいはい、お熱い和解劇はそこまでだよ。……ねぇ、赤髪のあんた」
リザがエリフの背中を、泥まみれのブーツで小突く。
「ひ、ひえっ!? な、何でしょうか化け物、いや、お嬢様!?」
「あんた青い髪の相棒がさぁ、私の大事なウイングナッツを踏み潰してくれたんだよねぇ。お腹を空かせた私への精神的ダメージは計り知れないよ? ……分かってるよね?」
ゴゴゴゴゴ……とリザの背後から立ち上る漆黒のプレッシャーに、エリフは魂が消し飛ぶほどの恐怖を感じ、大慌てで両手を振った。
「わ、分かってます! 分かってますとも! うちの班が管理している蔵のウイングナッツ、好きなだけ、それこそ山ほど持って行ってください! 全部差し上げますから!!」
「ふふっ。話が分かるじゃないか。じゃあ、案内はあんたに任せるよ」
リザは満足げにパァッと顔を輝かせた。
ウイングナッツも無事に確保でき、ルストの恋も実り、すべてが丸く収まったハッピーエンド――。
誰もがそう確信した、その時だった。
「――ねぇ、ルスト?」
ルストの胸に顔を埋めたまま、アンジェが鈴を転がすような声で、くすくすと低く笑い始めた。
「本当に良かったわ。あのルヴェンの猛攻からも、風の部隊の一斉射撃からも、生きて私の元へ辿り着いてくれて。やっぱり、私の選んだ人は間違っていなかったのね」
「え……? アンジェ……?」
ルストの背筋に、妙な寒気が走った。
「ルヴェンったら本当に単純なの。私が少し『ルストの泥臭いところも優しくて好きだな』って囁いてあげただけで、勝手に嫉妬してあなたを里から追放しちゃうんだもの。それどころか、プライドを傷つけられたルヴェンはエリフやレトゥにあなたを殺すよう命令までして……。ふふっ、期待通りに動いてくれて助かっちゃった」
「な……何を……言っているんだ……?」
ルストの顔から血の気が引いていく。
アンジェは、うっとりとした表情でルストの頬を両手で包み込んだ。
「だって、試してみたかったの。地属性のあなたが、どれほど深く私を愛してくれているのかを。もし、ルヴェンたちの襲撃を乗り越えられずに死んでしまうなら、そこまでの男だったってこと。でも……あなたはすべてを乗り越えて、私の元へ来て、愛を告げてくれた!」
すべて。
ルストが味わった理不尽な追放も、命を狙われた襲撃も、すべてはこの白い翼の天使がルヴェンの恋心を利用して裏で糸を引いていた、ただの『愛の実験』だったのだ。
「ああ、なんて素晴らしい愛かしら……! これで障害はすべて消えたわ。ルヴェンは再起不能だし、エリフたちもあなたに頭が上がらない。これからはずっと、死ぬまでずぅっと、私と一緒にいましょうね、ルスト?」
「ひ、ひぃ……っ!?」
あまりの恐怖に、ルストはアンジェの手を振り払い、腰を抜かして後ずさった。
命をかけて愛した天使は、すべての人間を手のひらで転がしていた、本物の『怪物』だった。
「り、リザさん!! 助けてください! この人、何かおかしいです! 助けてっ――」
ガタガタと震えながら、ルストは救いを求めてリザに縋り付こうとした。
しかし、エリフからウイングナッツの蔵の鍵を受け取っていたリザは、ルストを一瞥すると、ふーんと鼻を鳴らして呆れたように肩をすくめた。
「あー……。あのお嬢ちゃん、前世のゲームで見た『ヤンデレ』ってやつだったのか。なるほどねぇ、全部あの子の自作自演だったわけだ」
「リ、リザさん……?」
「まぁ、相思相愛なんだからいいんじゃないのかい? 私の目的はウイングナッツだしさ。……いやぁ、若いってのはいいねぇ。青春だねぇ、お幸せに!」
「ちょっと待ってえぇぇぇーーーっ! 見捨てないで、リザさん!!」
ルストの悲痛な絶叫を背中で聞き流しながら、リザはエリフを従え、るんるん気分でウイングナッツの蔵へと歩き出していった。
その後ろでは、アンジェが「どこに行くの、ルスト?」と、満面の笑みでルストの足を掴もうと這い寄っている。
大好物の栗を山ほど手に入れたリザにとっては、間違いなく大満足のハッピーエンド。
しかし、命がけで『天使』の元へ帰ってきたはずのルストにとって、果たしてこれが本当にハッピーエンドだったのか――それを知る者は、誰もいない。
(第八章・完)
これにて第八章完結です。
第九章はまだ執筆中なのでしばらくお待ちいただけると嬉しいです。
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