第74話 異世界の栗と、食べ物の恨み
「見ての通り、僕は有翼人です。有翼人は普段、里から滅多に出ないですから珍しいでしょう?」
路地裏の小さな焚き火の前。茶色の立派な翼を持つ青年、ルスト・エイヴェズは、どこか自嘲気味に微笑みながら語りかけてきた。
「うん。初めて見たよ。ふー、ふー……」
対するリザの視線は、ルストの手から受け取ったばかりの『ウイングナッツ(栗)』に釘付けだった。みかんサイズの大きな栗から立ち上る、濃厚で香ばしい湯気。それを小さな唇で必死にふーふーと吹きながら、リザは生返事を返す。
「この髪や翼の色を見て分かるように、僕は地属性なんです。……地属性は、有翼人にとって忌み属性、つまり『空を汚す不浄の属性』とされているんですよ」
「そうなんだ? ふー、ふー……」
「だから、僕は生まれた時から、里の全員から壮絶な差別やいじめを受けて育ちました」
「そっかぁ。ふー、ふー……」
ルストの告白はなかなか重い内容だった。しかし、目の前の戦闘狂(中身は還暦超え)の頭の中は、今まさに「いかにしてこの美味そうな栗を火傷せずに口に放り込むか」という一点のみに支配されていた。
「そんな地獄のような日々の中で、僕をいつも助けてくれたのが、光属性のアンジェでした。彼女はまるで本物の天使のような存在で、里の皆からも聖女のように崇められていた、僕の幼馴染です。……僕にとって、唯一の光でした」
「ふー、ふー……」
「僕に対し、双子の兄であるルヴェンは『闇属性』でした。有翼人にとって闇属性は極めて稀で、兄は里で神のように崇められています。……そして、ルヴェンは僕が成人したこと、そして地属性であることを理由に、僕を里から追放したんです」
「うんうん。……よし、そろそろ冷めたかな?」
ルストの悲痛な身の上話が一段落した絶妙なタイミングで、ウイングナッツがようやく食べられる温度になった。
リザは待ってましたとばかりに、その肉厚な中身を一口パクリと頬張る。
「っ……!!」
その瞬間、リザの脳内に衝撃が走った。
ホクホクとした至高の食感。そして噛み締めるたびに溢れ出す、前世の日本で食べていた高級な焼き栗の甘みを、さらに十倍に凝縮したかのような強烈な旨味とコク。
(何これ美味すぎる……! この旨味の塊のような物が、まだ手の中にいっぱいあるなんて、なんて幸せな老後ライフなんだ……!)
ルストが「僕を差別する里に未練はありません」と、切なげに視線を落とす。
「ですがせめて、里を追い出される前に、彼女に、アンジェにちゃんと思いを告げる時間が欲しかった。今、僕が単身で里に戻ろうとしても、見つかった時点で即座に処刑されるでしょう。だから、大陸最強と噂されるリザ様に、どうか助力をお願いしたくて――」
ルストが涙ながらに頭を下げ、リザが二口目の栗を口に運ぼうとした、まさにその瞬間だった。
キィィィン!!と、上空の空気を切り裂く不穏な音が響く。
直後、赤い翼の男と青い翼の男が、もの凄い速度で路地裏へと急降下してきた。
「ルストっ、見つけたぞ!!」
「うおっ!?」
ルストは持ち前の勘で、間一髪その場を転がるようにして直撃を避けた。リザのすぐ真横の地面に、凄まじい衝撃と共に二人の有翼人が着地する。
「エリフとレトゥ!? なぜここに、僕の場所が分かったんだ……!?」
ルストが驚愕の声を上げる。急襲してきたのは、彼の幼馴染であり、火属性の赤髪のエリフと、水属性の青髪のレトゥだった。
「チッ! 外したか、相変わらず逃げ足だけは速い奴だ」
赤い翼のエリフが忌々しげに舌を打つ。すると、隣にいた青い翼のレトゥが、ルストの前に立ちはだかっていたリザをギロリと睨みつけた。
「おいガキ! 邪魔だ、どいてろ!」
レトゥは邪魔者を排除せんと、リザに向けて容赦なく鋭い蹴りを放ってきた。
「おっと」
リザは上半身をわずかに傾け、その蹴りをひらりとかわす。しかし、あまりにも突発的な回避だったため、熱さでしっかりと握れていなかった大切なウイングナッツが、手元からツルリと滑り落ちてしまった。
ボトッ。
ウイングナッツが泥だらけの地面に落ちる。
だが、リザはまだ冷静だった。リザの頭の中には、前世の日本が誇る絶対的な防衛ルール――『3秒ルール』という言葉が浮かんでいた。すぐに拾って皮を剥けば、中身はまだ問題なく食べられるはずだ。
リザが手を伸ばそうとした、その時。
「ルヴェンの野郎がさぁ! 『やっぱりあの地属性のゴミは、追放だけじゃ生ぬるい』ってよ!」
エリフが楽しげに拳を打ち鳴らす。
「『里の秘密を外に漏らされる前に、ルストを確実に殺してこい』だってよ! 双子の兄のくせに、冷てぇよなぁ!」
レトゥが下衆な笑いを浮かべながら、ルストに向けて一歩を踏み出し――。
グシャッ。
鈍い音が路地裏に響いた。
レトゥの分厚いブーツの底が、地面に落ちていたウイングナッツを、文字通り跡形もなく木っ端微塵に踏みつぶしたのだ。
「あ……」
リザの口から、魂の抜けたような声が漏れる。
大切な、日本の秋の思い出が詰まった、異世界の至高の栗が。泥まみれの肉片となって地面にへばりついていた。
「チッ! 何だぁ!? 足元が滑ると思ったら、ただの木の実かよ!」
バランスを崩しかけたレトゥが、忌々しげに地面を擦る。
その瞬間、路地裏の温度が急激に下がった。
リザの手足に、この世の終わりを告げるような不吉でドス黒い魔力がドロリと収束し始める。
「……3秒ルールで、まだ食べられたのに」
「あ? 何をごちゃごちゃ言って――」
レトゥが不審げにリザを振り返った瞬間、リザの姿がかき消えた。
次の瞬間、レトゥの視界の真ん前に、夜のように冷たい漆黒の瞳が迫る。
「食べ物の怨みは、恐ろしいんだよ!!」
「ひえっ――」
リザの小さな拳が、レトゥの胸の真ん中へと吸い込まれた。伝統派空手の真髄、極大の魔力を乗せた一撃必殺の『上段下突き』。
ズゴォォォーーン!!!!!
「がはっあぁぁぁーーーっ!?」
レトゥの巨体が文字通りVの字に折れ曲がり、路地裏のレンガの壁を三枚ほどぶち抜いて、遥か彼方の空へと消し飛んでいった。
「れ、レトゥ!? 一撃で……!? チッ、化け物め、覚えてろ!」
相棒の信じられない蒸発っぷりに腰を抜かしたエリフは、有翼人ならではの凄まじい大ジャンプを見せると、そのまま翼を広げて滑空飛行で一目散に逃げ出した。
路地裏に、虚しい静寂が戻る。
リザは拳を引くと、泥にまみれて平たくなったウイングナッツの残骸を見つめ、静かに、だが深くブチギレていた。
「リ、リザさん、大丈夫ですか……!? すみません、僕のせいでこんな大ごとに巻き込んでしまって……!」
ガタガタと震えながら駆け寄ってくるルスト。リザはすっと冷たい目でルストを振り返った。
「……これは、損害賠償が必要だね」
「ソンガイバイショー?」
「ルスト、だったよね。今すぐ私を、あんたの里へ案内しな。これは、損害賠償という名の『ざまぁ』が必要だ!!」
リザの力強い言葉を聞いた瞬間、ルストの顔が一気にパァッと明るくなった。
「ソンガイバイショーとザマーの意味はよく分かりませんが……僕の味方をして、里へ一緒に来てくださるのですね!? ありがとうございます、リザ様……!!」
感動に目を潤ませる不憫な青年を余所に、リザは遥か空の彼方、有翼人の隠れ里があるという山脈を睨みつける。
首を洗って待っていろ、鳥人間ども。食べ物の恨みがどんなに恐ろしいか教えてやる。
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(次回更新:明日19時40分!)




