第73話 冬の足音と、夢遊病の戦闘狂
自分の領地にド派手な更地を作り、キャプティ王女に原稿用紙五十枚の反省文を書かされたあの日から、一ヶ月ほどが過ぎた。
季節は巡り、肌を刺す風はすっかり冷たくなっている。冬の足音は、もうすぐそこまで迫っていた。
「さむさむ……」
リザは外套のフードを深く被り、身を縮こまらせながら街道を歩いていた。
ふと周囲を見渡せば、街道のあちこちで領民たちが落ち葉や枯れ枝を山のように積み上げ、火をつけて燃やしている。
モクモクと立ち上がる白い煙と、乾いた木が爆ぜて焦げる懐かしい匂い。
石造りの中世ファンタジーな街並みなのに、そこに広がっている光景は、アラフィフの里沙――リザの前世――が子供の頃に見た、古き良き昭和の日本の風景そのものだった。
「おーい、リザちゃん! 今日も美味しいリンゴが入ってるよ! こっちおいで!」
果物屋の馴染みのおばさんが、店先から親しげに手を振って声をかけてくれた。
「わーい! おばちゃん、いつもありがとー!」
リザは小走りで駆け寄り、差し出された真っ赤なリンゴをさっそく齧る。シャクッ、と小気味良い音が響いた瞬間、果汁の津波が口いっぱいに押し寄せてきた。
この異世界の旬の果物は、日本で食べていたものよりも味も香りも段違いに濃い。リザの顔は一瞬でとろけるように緩んだ。
「ふふ、リザちゃんはいつも本当に美味しそうに食べるよねぇ」
ニコニコと嬉しそうに笑うおばさんの横で、リザは照れくさそうに笑いながら、店先に貼られたいくつかの貼り紙に目をやった。しかし、残念ながらリザの好むような『傭兵募集』や『魔獣討伐』といった物騒な広告は一枚もない。
それを見たおばさんが、呆れたように苦笑する。
「もうこんなに寒くなってきたんだ、どこの国だって冬を前に戦争なんて始めやしないよ。大人しくお家で暖かくしてなさいな」
「やっぱりそうだよねぇ……」
暴れる正当な理由がなければ、いくら戦闘狂であっても大暴れすることはできない。どうやらお楽しみは春までおあずけのようだ。
そんなことを思い、少しだけ退屈そうにつま先で地面を弄った、その時だった。
冷たい風に乗って、落ち葉を燃やす匂いとは明らかに違う、香ばしくて甘い匂いが鼻腔をくすぐった。――焼き栗だ。
異世界に転生してからというもの、栗なんて一度も見かけたことがなかった。それは間違いなく、前世の日本の秋を彩る、あの懐かしくも濃厚な秋の味覚の香りだった。
「おや、なんだか良い匂いがしてきたねぇ」
「うん……ちょっと、行ってくる……」
「え? リザちゃん?」
おばさんの声を背中で聞きながら、リザはフラフラと、まるで夢遊病患者のように匂いの発生源に向かって歩き出していた。鼻をくんくんと鳴らし、完全に食欲に意識を乗っ取られた状態で、ふらふらと路地裏へと吸い込まれていく。
そして、焼き栗の匂いが最高潮に達した、角を曲がった瞬間。
「うおっ!?」
「ん?」
危うく、路地裏で小さな焚き火を囲んでいた男と正面衝突しそうになった。
リザがハッと我に返って目の前の男を見ると、その男の背中には、温かみのある茶色の立派な『翼』が生えていた。髪も同じく綺麗な茶髪だ。
(有翼人……! 異世界に来て初めて見た!)
ファンタジー生物の登場に、リザのテンポが内心で跳ね上がる。
一方、茶色の翼を持つ男は、突然現れた奇妙な幼女に驚きつつも、優しく目線を下げて微笑みかけてくれた。
「お嬢ちゃん、僕に何か用かい?」
「あ、いや……その、焼き栗のすっごく良い香りがしたから、釣られてきちゃった」
流石に夢遊病のように突撃したのが恥ずかしくなり、リザはもじもじと指先を弄った。すると、男は納得したように「あぁ」と声を漏らす。
「ヤキグリ? もしかして、このウイングナッツのことかい?」
男は焚き火の灰の中から、太い枝に刺さった物体を取り出した。それは現実の栗よりも一回り大きく、小ぶりなみかんほどのサイズがある。
その瞬間、辺りに焼き栗の香ばしさを百倍に濃縮したかのような、暴力的とも言える甘い香りが爆発的に広がった。リザの口の端から、じゅるりと涎が垂れる。
「……食べるかい?」
男がフッと親しみやすい笑みを浮かべ、それを差し出してきた。
リザは人間の限界を超えるほどの超高速で首を縦に振る。
「熱いから気を付けてね」
「ありがとう! って、あちちちちちっ!!」
受け取ったのは良いものの、焼き立てのウイングナッツは想像を絶する熱さだった。リザは両手の中で栗をジャグリングのように跳ねさせながら、必死に息を吹きかける。口に入れたいのに熱くて食べられないという、もどかしい生き地獄。
そんなリザのコミカルな様子を見て声を立てて笑いながら茶色の翼の男は、ふと表情を少し引き締めて尋ねてきた。
「ところでお嬢ちゃん。この街に、どんな軍隊も一撃で消し飛ばす『黒い天災』こと、リザ・ウェカム名誉大公がいるって聞いたんだけど、どこにいるか知ってるかい?」
「うん。何か用?」
リザは熱い栗をふーふーと吹きながら、視線は栗に固定したまま答えた。
「あぁ、ちょっと僕の故郷が訳ありでね。どうしてもその人に助けてもらいたくて、遥々やってきたんだ。どこに行けば会えるか教えてくれるかい?」
「いや、どこにも行かなくていいよ。ここにいるし」
「え?」
ルストの動きがピタッと止まった。
彼は、目の前で「あちちちっ」と栗を両手で弾ませながら涎を垂らしている小さな女の子を、改めて凝視した。よく見ると、外套のフードの隙間から、夜のように深い黒髪が覗いている。
「え、あ……ま、まさか、あなたが……!?」
ルストの顔から一気に血の気が引き、大慌てでその場に膝をついて頭を垂れた。
「た、大変失礼いたしました! 僕は有翼人の里から来ました、ルスト・エイヴェズと申します! リザ様にお願いしたいことがあり、この街へやってきました。どうか、僕の話を聞いてはいただけないでしょうか……!」
大真面目に懇願するルスト。しかし、リザの関心はすでに別のところにあった。
「ああ、いいよ。食べてる間に話を聞くくらいならね」
「あ、ありがとうございます……!」
有翼人のルストからのお願いとは一体何だろうか。っていうか、そんなことよりこのウイングナッツ、まだめちゃくちゃ熱い。早く食べたい。早く冷めておくれ。
キノコに続く新たなる大好物(予備軍)を前に、リザの脳内は早くも「栗一色」に染まるのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
「ちょっと面白いかも」「続きが気になる」と思ってくださったら、画面下の【ブックマークに追加】や、【評価の☆☆☆☆☆(星)】をぽちっと押して応援していただけると、執筆の物凄い励みになります!
よろしくお願いいたします!
(次回更新:明日19時40分!)




