第71話 金で買えない天災と、漆黒の連撃
リザが放った『魔動拳』によって、絢爛豪華だった正面の大門は跡形もなく消滅した。
それどころか、美しい庭園を丸ごと抉り取って出来上がった一本の「更地の道」の先。建物の壁にぽっかりと開いた大穴から、リザとルードは悪徳商人ルシルの私室へと堂々と足を踏み入れた。
室内には高級な調度品が並び、その奥のソファーで、一人の男が優雅にワイングラスを傾けていた。彼こそがグリーガル第一商業組合の総裁、ルシル・グリーガルだった。
ルシルはガラスの破片が散らばる床を一瞥すると、やれやれと肩をすくめた。
「ずいぶんと派手なノックだな」
「ルシル! 衛兵たちは全員片付けたぞ! 貴様の悪事もここまでだ!」
ルードがレイピアの切っ先を向け、怒りを込めて言い放つ。だが、ルシルは全く動じる様子もなく、ソファーに深く腰掛けたまま、ルードの隣に立つ少女へと視線を向けた。
「おや、そこにいるのはリザ・ウェカム名誉大公様じゃないか」
「私を知ってるのかい?」
リザが尋ねると、ルシルは薄汚い笑みを浮かべてグラスを置いた。
「商人は情報が命なのでね。どうだろう、名誉大公様? 君にはいくら払えば、前の領主みたいに私に尻尾を振ってくれるかな?」
「私は金じゃ買えないよ」
リザが静かに告げ、両手足にドス黒く濃密な魔力を集中させ始める。しかし、ルシルはそれをただの子供のハッタリだとでも思ったのか、くくく、と声を立てて笑った。
「この世は金が全てだよ。金があれば何でも買える。法律も、人間の命も、そして――」
ルシルが指をパチンと鳴らした、その瞬間だった。
室内の影が不自然に伸び、音もなく、一人の黒髪で黒ずくめの男が姿を現した。男の左右の手には、禍々しい光を放つ短剣が握られている。
「まさか……『無影』のウォダースか!?」
ルードの顔から、一気に血の気が引いた。
「『無影』のウォダース?」
「リザ様、危険です! この大陸で一番の暗殺者と呼ばれる男です! 奴に狙われて生きていられた人間は、今まで一人もいないと言われています……!」
ルードの必死の警告を聞き、リザはフーンと鼻を鳴らした。
「よく勉強しているな、領主代行。さて、私の『武器』を知ってもらったところで、そろそろ命乞いでも聞かせてもらおうか?」
「命乞いだと!?」
「今なら許してやると言っているんだ。それにタダとは言わん。いくら欲しい? 私の仲間にしてやろう」
「ふざけるな! お前のような悪党の仲間になどなるものか!」
「やれやれ、無益な殺生は好きではないのだがね。ウォダース、やれ」
ルシルの冷酷な命令と共に、黒ずくめの男――ウォダースが動いた。
その動きは洗練されていて一切の無駄が無い。「無影」の名の通り、本当にその姿が室内の明かりの中に掻き消えた。ルードの動体視力では、もはやその残像すら追うことができない。
「ルード、あんたは下がってな」
リザが小さく呟いた次の瞬間、ウォダースは完全にリザの死角である、真後ろの虚空から出現した。リザの首筋へ向けて、必殺の短剣が音もなく突き出される。
カツンッ。
だが、短剣がリザの肌に触れるより早く、リザの身体が超自然的な速度で反転した。
『背後から襲い掛かる敵にはオートカウンターする』というリザの身体の防衛本能が、意識よりも早く完璧に発動したのだ。
ドゴォッ!!!
「がはっ……!?」
リザの無慈悲な裏拳が、ウォダースの顔面にクリーンヒットした。
大陸最強の暗殺者は、鼻血を吹き飛ばしながら後方へと転がっていく。生まれて初めて「背後からの奇襲を迎撃された」という事実に、ウォダースの冷徹な瞳が驚愕に染まった。
だが、流石は大陸最強。ウォダースはすぐに体勢を立て直すと、口元の血を拭い、プライドをかけて再び猛烈な速度でリザへと肉薄した。
「速いねぇ。でも、私のコンボの練習台にはちょうどいいよ」
リザは最高の笑顔を浮かべると、魔力を乗せた無慈悲な固有連撃を繰り出した。
「漆黒連撃っ!!」
一撃目、順手による強烈な正拳突きがウォダースの腹部を捉え、鉄の肉体をへこませる。
ドン!
二撃目、流れるような逆手でのアッパーがウォダースの顎を激しく跳ね上げる。
バキィ!
そして三撃目、身体をコマのように鋭く回転させた豪快な回し蹴りが、ウォダースの側頭部に炸裂した。
ドゴォォォン!!!
「あ、が……っ」
すべての衝撃を骨で受け止めたウォダースの肉体は、文字通り一瞬で意識を刈り取られ、私室の高級な壁を突き破ってそのまま動かなくなった。
大陸最強の暗殺者が、わずか数秒で完全沈黙したのだ。
室内に、恐ろしいほどの静寂が戻る。
「バ、バカな……!?い、いくらだ……!? いくら欲しい!? 金なら、金ならいくらでも出すぞ! 商業組合の全財産をくれてやる!!」
さっきまでの優雅な態度はどこへやら、ルシルはガタガタと全身を震わせ、ソファーから転げ落ちて床に這いつくばった。リザの靴にすがりつこうと、必死に金貨の入った袋を差し出して命乞いをする。
リザはそれを冷ややかな、ゴミを見るような目で見下ろした。
「言っただろ。私は金じゃ買えないんだよ」
リザの手足に、再び不穏な魔力が収束していく。
「私のキノコ環境を邪魔した罪は重いよ。……あばよ、悪徳商人」
「ひ、ひえぇっ――」
リザはルシルの胸ぐらを片手で掴み上げると、そのままアッパーカットの要領で、天井に向けて全力の正拳突きを放った。
ズドォォォーーーーン!!!!!
爆音と共にルシルの身体は私室の頑丈な天井を突き破り、そのまま白亜の総本部の屋根をもぶち抜いて、遥か彼方の夜空の星へと消し飛んでいった。
天井にぽっかりと開いた綺麗な穴から、虚しく夜風が吹き込んでくる。
ルードは抜いたままのレイピアをそっと鞘に戻すと、遠い目をして天井の穴を見つめ、ぽつりと言った。
「……悪人ってのは、本当によく飛ぶものなんですね」
ハドラムの時のザコに続き、今回のボスも空へ飛んだ。リザの理不尽なパワーに、ルードはすっかり慣れてしまっていた。
リザは満足そうにパンパンと手を払うと、キラキラと目を輝かせてルードを振り返った。
「よし、邪魔者はみーんな退治したね! これで今度こそ本当に松茸三昧だね! しばらく家には帰らないよ!」
「はぁ、承知いたしました。リザ様が満足されたのなら何よりです。
ルードは丁寧にお辞儀をすると、ふと不思議そうに首を傾げた。
「……ところでリザ様、そのマツタケとは、一体何なのですか?」
「トルコマールダケのことだよ! 私の故郷じゃそう呼ぶんだ!」
「リザ様の故郷はこの国だったと記憶しておりますが……?」
ルードの至極まっとうなツッコミに、リザは「あ、やべっ」と内心で冷や汗をかいた。中身が還暦超えの前世(地球の日本)の感覚でつい喋ってしまったが、この世界のリザの故郷は当然、この国である。
リザが慌てて誤魔化しの言い訳を脳内で探していると、ルードは特に深く追及することなく、真剣な顔で顎に手を当てた。
「しかし、マツタケという名称は響きも良く、呼びやすくていいですね。ウェカム領の新たな名産品として売り出すためにも、名称変更の法案でも出しましょうか?」
「いや、法案までは出さなくていいから! 頼むからその生真面目さを変な方向に使わないでおくれよ!」
国の最高顧問たる名誉大公の初仕事が「キノコの名前変更法案」など、王宮に知られたらどんな顔をされるか分かったものではない。
リザのツッコミにルードは「そうですか?」と不思議そうに笑う。あれほど重苦しかった街の歪みが、新領主の理不尽なパワーと、どこか抜けた二人の会話によって、完全に吹き飛んでいた。
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(次回更新:明日19時40分!)




