第65話 スラムの遭遇戦と、二人のステップ
ハドラムファミリーの本拠地へと近づくにつれて、街の景色は目に見えて荒廃していった。
さっきまであれほど心地よく漂っていたトルコマールダケの香ばしい匂いは完全に消え失せ、代わりに生ゴミとドブの悪臭が鼻を突く。
建物の壁はボロボロに剥がれ落ち、路地裏からは濁った目をした男たちがギラギラとした視線でこちらを睨みつけてくる。
リザの脳内にある『美味しいキノコが食べられる楽園』が、あいつらのせいでこんな汚いスラムに変えられているのだと思うと、ふつふつと不愉快な気分が湧き上がってきた。
その時、リザの背後の路地裏から、気配を殺した一人の男が音もなく飛び出してきた。リザが振り返るよりも早く、鋭い風切り音が響く。
「ふんっ!」
短い呼気と共に、ルードの放ったレイピアの柄頭が、男の顎を正確に打ち抜いた。
ガクガクと崩れ落ちた男の手からは、毒々しく光る短剣がポロリとこぼれ落ちる。
「リザ様、この辺りはもう完全にハドラムファミリーの縄張りです。一瞬たりとも油断なさらぬよう、お気をつけください」
「あ、うん。ありがと」
リザは素直に頷きながらも、心の中で(全然気がつかなかった。後ろから来てたのかい)と、自分の気配察知能力の低さに少しだけ呆れていた。
だが、警告を口にしたルードの表情がすぐに険しくなる。
男の昏倒を合図にするかのように、周囲の路地裏や建物の陰から、ぞろぞろと数十人のガラの悪い男たちが武器を手に現れた。完全に包囲されている。
ルードはすぐさまレイピアを抜き、流麗な構えを取りながら告げた。
「リザ様、数が多すぎます。右側をお任せしてもよろしいでしょうか?」
「……へ?あ、いや、全部私に任せなって――」
「行きます!」
「もう!私が何か言うのより先に攻撃を始めるのやめてくれる!?」
リザの静止も聞かず、生真面目な領主代行はすでに左側の男たちに向かって突撃していた。
「やっちまえ、ガキども!」
前方から鉄パイプを振り上げた男が躍り出てくる。
リザはその男をチラリと一瞬だけ一瞥すると、無造作に一歩前へ踏み込んだ。
全く無駄のない軌道で放たれた、鋭い空手の前蹴り(まえげり)が男の腹部にめり込む。
「がはっっ!?」
トラックに撥ねられたような衝撃を受けた男は、背後にいた仲間たちを三、四人ほど巻き込みながら、派手にスラムの壁へと吹き飛んで激突した。
それと同時に、リザの死角である真後ろから、二人の男がニヤニヤと下劣な笑みを浮かべて同時にナタを振り下ろす。
振り返ることも、見ることもなく。
リザは軸足を滑らせるようにして身体をわずかに捻ると、ノールックのまま、凄まじい遠心力を乗せた回転裏拳を背後へと叩き込んだ。
ドゴォッ!!!
「ぶふぇっ!?」
裏拳の直撃を受けた一人目の顔面が歪み、その肉体が弾丸となって二人目の男を巻き込む。
二人の男は凄まじい勢いでボーリングのピンのように真っ直ぐ吹っ飛んでいき、路地の奥に積まれていた木箱の山を派手に粉砕した。
「おっと!また体が勝手に動いちゃった」
リザが軽く拳を振って何食わぬ顔で呟くと、リザを襲おうと武器を構えていた右側の男たちの動きが、恐怖でピキリと凍りついた。12歳の少女が放ったとは到底思えない異次元の質量。完全にビビっている。
そんな男たちの怯えを余所に、リザの視線は左側で戦うルードへと向けられた。
「はっ!せいっ!」
ルードの戦いぶりは、リザの暴力的な一撃必殺とは対極をなしていた。
大振りな刃物をひらひらと紙一重でかわし、相手の出鼻を挫くように手首を突き、武器を落とさせ、膝裏を払って確実に無力化していく。
流れるようなフットワーク、レイピアの銀光が描く美しい軌道。
(へえ……綺麗じゃん。無駄がないっていうか、フェンシングの試合を見てるみたいだねぇ)
男たちがビビって攻撃してこないのをいいことに、リザは思わずルードの美しい動きに見とれてしまっていた。
だが、そんなリザの隙を敵のならず者たちが見逃すはずもない。
「死ねや、クソガキがぁ!」
左右の路地から、油断したリザの隙を突こうと次々に男たちが襲いかかる。
しかし、リザの視線はルードの動きを追ったまま、固定されていた。
正面から迫る敵をチラリと見ては、最小限の動きの正拳突きで遥か後方へと弾き飛ばす。
さらに真横や真後ろからノールックで襲いかかるナタや棍棒に対しては、肉体が勝手に最適解を導き出し、完璧なオートカウンターの回転回し蹴りや裏拳で、敵を面白いようにボーリングのピンに見立てて片っ端から更地へ変えていく。
「おっと、見とれている場合じゃない。って、あれ?」
ルードの戦いぶりが一段落し、リザがようやく我に返って周囲を見回した時だった。
気がつくと、リザの担当だったはずの右側の男たちは、一人残らず地面に転がって白目を剥いているか、恐怖のあまり武器を捨てて遥か彼方へと逃げ出していた。
「……あなたで、最後です!」
ほぼ同時に、ルードが左側最後の敵の喉元にレイピアの切っ先を突きつけ、完全に戦意を喪失させた。
ハァ、ハァ、と少し肩を上下させ、額にうっすらと汗を浮かべているルード。彼は一息つくと、心配そうにリザのいる右側へと目を向けた。数十人のならず者を相手に、12歳の少女が無事であるはずがない――。
しかし、そこにあったのは。
服の埃をパッパッと払いながら、息一つ乱さずに佇むリザの姿だった。
あまりの光景にルードが呆然と言葉を失う中、リザとパチリと目が合う。
「あ、おつかれー。なかなか良い動きだったよ、ルード」
「あ……は、はい。リザ様も……お怪我がないようで、何よりです」
ルードは引きつった笑みを浮かべ、フッと小さく息を漏らしてレイピアを鞘に収めた。
この『黒い天災』の規格外の強さを改めて肌で感じ、彼は自分が一人で領地を背負おうとしていた無謀さを、少しだけ自嘲したのかもしれない。
「レンス・ハドラムは、この先の酒場にいるはずです。行きましょう」
ルードが指し示した数十メートル先には、周囲のボロ家とは明らかに一線を画す、一際大きな2階建ての酒場がそびえ立っていた。
そこから漏れ出てくる下劣な笑い声と酒の臭い。
どうやらあそこが、ウェカム領を荒らす害虫、ハドラムファミリーの本拠地であるようだった。
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(次回更新:明日19時40分!)




