第64話 領主の権限と、更地への案内
ルードの案内で到着した領主館の扉を開けた瞬間、リザは思わずその場に足を止めた。
そこは執務室と呼ぶにはあまりにも凄惨な空間だった。
床のあちこちには、リザの身長を優に超えるほどの分厚い書類の山が、まるでいくつもの歪な塔のようにう高くそびえ立っている。デスクの上も例外ではなく、溢れかえった紙クズや乾ききったインク壺で埋め尽くされていた。
リザがリモートワークという名目で、この領地の仕事を全て丸投げした結果、彼がたった一人でどれほどのデスマーチを生き抜いてきのかが、一発で伝わってくる惨状だった。
寝る間も惜しんでペンを握り続けていたのだろう、部屋の隅には仮眠をとったと思われる使い古された毛布が転がっている。
さすがに大人として少しだけ良心が痛んだリザは、腕を組み、ルードを真っ直ぐに見つめた。
「ルード。とりあえず人員を増やしな。私の権限、いくらでも使っていいから」
大公たる自分の名前を使えば、予算も人員もいくらでも融通できる。それが丸投げした自分にできる、最低限のフォローのつもりだった。
しかし、ルードは散らかったデスクに視線を落としたまま、静かに、だが頑なに首を横に振った。
「いえ、結構です。このウェカム領は前領主の度重なる悪政のせいで、財政も治安も完全に底をついています。国からも見捨てられたような修羅の国に、他所から優秀な役人が進んでやってくるはずもありません」
ルードはそこまで言うと、悔しさを押し殺すようにペンを握る手に力を込めた。机に落ちる彼の影が、その孤独な戦いの重さを物語っている。
「この街の問題は、私が領主代行としての責任を持って、私一人の手で全て解決してみせます」
その声には、悲壮なまでの覚悟が滲んでいた。頑ななまでの堅物。
街の領民から「英雄」と慕われる男は、同時に、すべての重荷を不器用に一人で背負い込もうとする、危ういほどの責任感の塊でもあった。
「ふーん。まあ、増員するかどうかはあんたにお任せするよ。何度も言うけど私の仕事はあくまでリモートワークだから、事務作業を手伝う気は一切ないしね」
リザはお茶を一口啜り、デスクに広げられた古びた地図に視線を落とした。
「それより、さっきのチンピラどものことだけど。あいつら何者?」
ルードは表情を実戦のそれへと引き締め、地図の北側にある一点を強く指差した。
「彼らは『ハドラムファミリー』。ボスはレンス・ハドラムという男です。前領主の時代、重税によって食い詰めた粗暴なならず者たちを束ねて作られた武闘派集団で、構成員の数だけで言えばこの街でトップを誇ります」
「数が多いんだ」
「はい。彼らが街の露店から不当に高い上納金を毟り取っているせいで、露店主たちは日々の生活すら困窮し、次々と店を畳んでいるのが現状です」
ルードは一度言葉を切り、無念そうに視線を地図からリザへと移した。
「この土地の名産であるトルコマールダケはとにかく鮮度が命で、現地でしか食べられない最高のご馳走なのですが……彼らの横暴のせいで露店自体が無くなれば、現地に赴いても食べる場所すら完全に失われてしまいます」
ガタッ、と激しい音を立てて、椅子を引いたリザが静かに立ち上がった。
その漆黒の瞳には、ハドラムファミリーに対する冷徹な、そして苛烈な怒りの炎がパチパチと灯っている。
「私の……私が美味しくトルコマールダケを食べるための環境を、そのファミリーだかハドラムだかが邪魔してるって言うわけね」
「街の治安の問題、ひいては領民たちの死活問題です。ですが相手は数が多く、非常に危険な連中ですので、まずは私がしっかりと裏から包囲網を敷いてから、段階的に……」
「作戦なんていらないよ。アジトごと更地にすれば関係ないじゃん」
リザは拳をミキミキと鳴らし、迷いのない足取りで執務室の扉へと向かって歩き出す。その背中から立ち上る魔力のプレッシャーに、ルードの肌が粟立った。
「お待ちくださいリザ様、一人で向かうのはいくら何でも無謀です!」
「一人で行くわけないでしょ。私は初めてこの街に来たんだから、アジトの場所なんて知らないよ。ルード、アジトに案内しな。今から行くよ」
リザは扉のノブを掴み、毅然とした表情でルードを振り返った。
「これでも一応領主だし、これくらいの仕事はしておかなきゃね」
自分のキノコ欲しさという極めて個人的な本音を、領主としての最低限の義務という言葉にすり替え、リザはフッと不敵に微笑む。
ルードはその圧倒的な強者の威圧感と、自分の力を借りようとしない新領主の真っ直ぐな瞳に完全に圧倒され、言葉を失った。
たった一人で街を背負おうとしていたルードにとって、目の前の少女の言葉は、あまりにも強引で、そして圧倒的に頼もしかった。これ以上彼女の足を止めることはできないと悟り、ルードは深くため息をついてレイピアの柄に手をかけた。
「……分かりました、ご案内します。ですがリザ様、本当に無茶だけはしないでください」
「大丈夫だよ。私を誰だと思っているんだい」
リザは案内役のルードを従え、ハドラムファミリーのアジトへと、迷いのない足取りで出撃するのだった。
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(次回更新:明日19時40分!)




