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六章






 今、私は大きな家の前に立っている。


 明らかにお金持ちだとわかるその家は、一般庶民が近づくにはかなりハードルが高かった。

 今からここにお邪魔するのだと思うと、インターフォンを押す手が震える。



 チャイムが鳴ってしばらくして出て来たのは使用人で、応接室まで案内される。

 勧められるまま中に入ると、そこには私たちより年上の男の人がいた。

 驚いて思わず足が止まる。


 てっきりゆらが言う“彼”は同年代だと思っていた。年上だったなんて。


 けれど、納得もした。ゆらが自分というものを確立していない人間に恋うことはないと思うから。


 彼は不思議そうな顔で私をみてから、「座らないのか?」と向かいのソファを指した。

 そこで正気に戻った私は慌てて向いに座った。


 彼は品よくティーカップから紅茶を飲んでいる。

 私も真似るように口をつけた。

 それを確認した彼は、気さくに話し始めた。


「よく来たな。俺は水無瀬燿だ。おひいさんから話は聞いてる」


「あ、私は朝霧日和といいます。…で、あの、おひいさんと言うのは?」


戸惑いながら問いかける。

 全く聞き覚えのない単語だ。なんなら意味も怪しい。


「あれ、知らねぇの?久世家の姫のこと。おひいさんから連絡来たからてっきり家の人間かと…」


「怜ちゃん、のことですか?」


怜はお姫様と呼ばれるほど格式高い家だったのか。知らなかった。


 そんな高貴な人に無礼な言葉を使っていなかっただろうか。

 不安で眉が下がる。


 それを見た燿は面白そうに笑った。


「姫って言っても久世の家に同年代の娘がいないのと、態度のデカさでそう呼ばれてるだけだから大したことねぇよ」


本心でそう言っているのがわかって脱力する。


 そもそも今まで怜に咎められたことがないのだから、心配する必要もなかった。


 名家の馴染みのない空気にすっかり飲まれていた。


「で、朝霧さんはおひいさんの知り合いか?」


「はい。クラスメイトなんです」


力が抜けていつものように笑うことができた。


 けれど、燿は急に目が笑わなくなった。さっきまでは普通に笑顔だったのに。


「そのクラスメイトが俺に何のようだ?」


まるで試されているように感じた。答えを間違えば、追い出されそうな空気感。


 私は静かに息を吸って言葉を吐き出す。


「聞きたいことがあって来ました。あの…ゆらちゃんって知ってますか?」


ゆらの名前を聞いて燿はキョトンとした顔をして、それから優しく笑った。


「おひいさんのとこの子だろ?何回か話したことあるよ」


燿はなにかを勘違いしているようだった。


 けれど、親しくないらしいゆらのことを覚えていた。しかも、とても大切に思っている目をしている。

 それが、とても嬉しくて…まるで自分まで報われたような心地になった。


「急に会えなくなったんだけど…元気にしてるか?」


ヒュッと息を飲む。


 答えられなかった。


 嘘は言えない。けれど、本当のことはもっと言えなかった。

 だから、代わりに問い返す。


 質問に質問で返すのはマナー違反だけれど、燿は怒らないような気がした。


「ゆらちゃんとどんな関係なんですか?」


「ゆらとはおひいさんの家で会って…って言っても、3回くらいかな。関係で言うならそれだけだな」


本当に浅い関係だったらしい。


 ゆらの天邪鬼で親しくないと言っていたのではないかとまだ少し思っていたからやっぱり驚いてしまう。

 その驚きが顔に出ていたのだろうか、燿は小さく笑った。


「お硬い家ってのは子供の頃から過剰な教育をするんだ。心を壊す一歩手前まで。それで従順になればよし。壊れりゃ他の人間を据えるってな」


燿はとても怖い顔をしていた。


 過剰な教育とはあまりにも酷すぎるものなのだろう。私には想像もつかないけれど、ゆらの諦念も、怜が心を隠すのも、全てその結果なのかもしれない。


 そんな考え方、とても人間の所業とは思えなかった。


「ゆらは誰よりも感情がなくてさ。…見てられなかったんだよ。あの表情が悲しくて、どうにかしてやりたくなった。…だから、珍しく声をかけたんだろうな」


燿はその時のゆらの表情を思い出したのか、悲痛な面持ちで目を伏せた。

 私もゆらの顔を想像してしまって悲しくなってしまった。


 今でも十分苦しそうなのに、当時はもっと酷かったのだろう。そう思うとやりきれない。


 私は体温が下がりそうで慌てて深呼吸をする。


「けどな、ゆらに声をかけた時の顔がさ。見せて回りたいくらい無垢で可愛くって…もうダメだったんだ」


燿は自嘲している。何が燿にそんな顔をさせているのだろうか。

 今の所、微笑ましい出会いの話だと思うのだけれど。


「連れて逃げてもいいって思ったんだけどなぁ」


燿は大きく息を吐きながら項垂れてしまった。


 出会ったのがどれくらい前なのかはわからないけれど、燿の胸には未だゆらが存在している。

 私が思った以上にゆらのことを大切にしているようだった。


 それが私には、まるでゆらを愛しているかのように聞こえた。

 そうであればいいと思っているからだけではなく、それが真実だとそんな風に。


 だから、怜は燿を嫌いだと言ったのかもしれない。

 燿が踏み込みきれなかったから切れてしまった縁だから。


「嫌われちまって、連絡取れなくなって今に至る…んだけど、アイツ大丈夫か?笑えてるか?」


その言葉に泣きそうになった。


 “笑えてるか”という問いは、ゆらのことをちゃんと理解して、大切に思っていなければ出ない言葉だった。


 “笑うこと”は何気ない仕草だ。考えなくても心に応じて反射で起きるものだ。

 燿はその感情ごと押し殺して生きているゆらが苦しいことを、理解してくれている人だった。


 ゆらに声を大にして言いたい。

 ゆらが大切に思うように、燿も大切に思っているんだと。

 過去の記憶だけを抱きしめる必要ないんだよと。


「ゆらちゃんに会いたいですか?」


「そりゃあな。ゆらが望んでくれるなら」


即答だった。


 会ってほしいと思った。


 顔を会わせられなくても、交流を持つことはできる。だから、ゆらと話をしてほしいと。


 けれど、まだ真実を話すことはできない。

 確認しなければいけないことがある。


「燿さんは先祖返りって知ってますか?」


「知ってるも何も水無瀬は九条の分家だからなぁ」


「え、そうなんですか」


燿は私が驚いている姿に苦笑している。

 あまりにも私が知らなすぎるのだろう。

 

 それにしても燿が分家だと言うのなら、ゆらのことを知っていそうなものなのに…どうして知らないのだろうか。


「じゃあ、吸血鬼のことは…」


「あぁ、次期当主ってやつな。吸血鬼の血が強く出てなんか大変なんだろ?…そいつが死んだら代わりに俺を当主にしたいとかほざくから詳しくは聞いてねぇ。それが嫌で俺家出たし。出れなかったけどな」


燿は思った以上にアグレッシブな人だったようだ。

 話を聞いただけだと、とても静かな人のように思えたのだけれど、どうやら燿は行動力の塊のような人だった。


「おひいさんとの見合い話も出てたし、どうしても家を出たかったんだけどな。それこそゆらを連れて全部捨ててやるって。好きなヤツいるのに見合いとかできるわけねぇっての」


燿は嫌そうに唸っている。


 燿が家から出られなかったのは、ゆらが血を必要としていたからだ。

 燿がいなくなったらゆらは死んでしまう。だから、燿は外には出られない。

 けれど、真実を知ったら燿は外に出たいなんて思わないだろう。


 ならば、真実を知らされない理由は一体…。


 きっと何かあるのだ。それがこの状況を打破するヒントになる気がした。


 だって、知ったら燿はきっとゆらを中心に世界を回すはずなのだ。全部捨ててもいいと思うくらい大切なのだから。


 家を出たい理由付けだって、色々付け加えられていたけれど、一番はゆらのことだ。

 私にはそう聞こえた。


 燿に真実を知らせるとまずい理由は、燿が真実を知ったならばわかるのだろうか。


 ならば、きっとゆらについて話すべきだ。


 知ってもらって、それでゆらの心を癒してもらう。

 そうしたら少なくとも、あの孤独も生きることへの投げやりさも無くなるはずだ。

 それだけでも価値がある。


 これは善意なんかじゃなくエゴだけれど。

 それでも、これがきっと正解だ。


 私は燿に全てを話すことにした。



 ところで、私と燿のどこが似ているのだろう。






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