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幕間






 何もできずに時間が過ぎていく。

 私はただ会いにいくことしかできなかった。


 私がどんな表情で会いに行っても彼女は変わらない。けれど、きっと悲しいより楽しい方がいいから、笑って会いに行く。


 彼女の心を変えられないからといって、何もしないのは間違っている。

 少なくとも、私にはあなたが人間に見えると伝えたかった。


 だから、私はいくら訝しげな表情をされても彼女の元へ向かう。

 会えば少しでも何かが伝わると信じて。


 そうして今日も私は彼女へ熱心に話しかける。彼女の心の揺れを見逃さないように、彼女を見つめて。


「…目を合わせて話すのは癖か?」


珍しい彼女からの問に私は目を瞬かせた。


 癖…。そうかもしれない。


 私は彼女をつぶさに見ている。

 それは彼女の反応を見ることに尽力しているからだけれど、いつも私は人の目を見て話していた。

 表情もだけれど、とにかく目を。


 目に浮かぶ感情だけは隠せないから。


「できればやめてほしいんだけど」


「どうして…?」


聞くと彼女は黙った。


 何かを迷っているようだ。

 けれど、すぐに彼女は小さく息を吐いてから言葉を続けた。


「彼を思い出すんだ。だから、やめてほしい」


それはとても静かで、懇願の響きさえあった。


 それがどうしようもなく私の胸を締め付ける。

 変化は喜ぶべきなのに、これは望んだものではない。


 何がそんなに彼女を怖がらせているのだろう。

 満月が近いからだろうか。


「彼って?」


「…忘れたくない人だよ。もう会えないけどね」


どう返していいかわからなかった。


 こんな些細な仕草で思い出す相手なら、それは私なんかが触れてはいけないくらい、心の奥深くにいる人なのだろう。


 彼女がそんな風に心に住まわせている人ならば、彼女の心を変えられたりしないだろうか。

 もう会えないと彼女は言うけれど、怜のように永遠の別れではないかもしれない。

 彼女に血を提供している相手ならば。

 けれど───。


 なにも聞けなかった。


 彼についての話は彼女の弱点であるような気がしたから。


 彼女は感情に飲まれて呼吸がままならなくなっても耐えてしまえる人だ。自分の中で溢れる熱を飲み込んで無かったことにしてしまう。

 なのに、彼のことは思い出したくないと口に出す。


 それだけ心に影響を受ける相手ということなのだろう。


 きっと彼のことを思い出せば思い出すほど、彼女の殻にひびが入る。

 ただ、それがわかったとしても、無理矢理彼女の心をこじ開けたくなかった。

 こんな悲しい理由で無理をして彼女の傷を深くしたくはない。


「そういえば君は少し彼に似ているよ。誠実で真っ直ぐでお人よしで」



───その目が



彼女は気づかなければよかったと言わんばかりの表情をしていた。

 何かを堪えるように顔を歪め、腕を口元に持っていく。大きく開いた口の中であの日のように牙が尖っている。


 それはいつもそうしているのだとわかる動きだった。


 けれど、彼女は途中で私がいることを思い出したのだろう、すぐに手を下ろした。

 そして、バツが悪そうな顔で目を逸らす。


 彼女の中はきっと荒れ狂っているのだろう。

 蓋をしきれない感情たちが身の内から彼女を責めている。


 だから、いつもは無感動に佇んでいるのに、今日は───。


 これがいい感情ならどれほど良かっただろう。けれど、ここにあるのは負の感情で、彼女の心は自身を追い詰めている。



「ねぇ、外に行こう」


この息苦しい世界にいてはいけないと思った。

 違うことを考え息をして、一度心を空っぽにするべきだ。


「はあ?」


彼女は頭のおかしな人を見る目でこちらを見ている。

 けれど、それを無視して私は彼女の手を取った。


「中庭行こう」


引っ張ると彼女はそのままついてきた。

 彼女の手は私よりも冷えていた。


 外は静かで空気がしんとしている。

 彼女と初めて会った日のことを思い出した。


 息を吸いにきたという彼女の姿を。


 空を見上げる。あの日ほど月は大きくないけれど、それでもとても美しい。


「初めて会ったのここだって覚えてる?」


「君みたいに無遠慮な人はそういない。だから覚えてるよ。怜ですら僕に話しかける時は緊張するからね」


皮肉っぽく口を歪める彼女の表情は初めて見るものだった。


「怜ちゃんって緊張するの?」


「さぁ?でも、僕の扱いには困っていただろうさ。一番近くで変化を見てたから」


彼女の雰囲気はいつもより少し柔らかく、何かを思い出すように遠くを見ていた。


 沈黙が続く。


 普段はそれが怖くてあれこれ話してしまうけれど、今日はなんだか平気だった。

 中庭の開放的な雰囲気がそうさせるのかもしれない。


「怜の家で出会ったんだ」


彼女は静かに話し出す。


「彼は僕を見るなり無遠慮に声をかけてきて。けど、僕はそれが堪らなく嬉しかった」


風がさらりと彼女の髪を揺らす。

 優しい何かがふわりと広がった気がした。


「あの時、崇め奉られるか腫れ物のように扱われるかのどちらかだったんだ。丁寧なんて飽き飽きしてた」


タイミングが良かったのかもね、なんて思ってもないことを彼女は口にした。


「僕、笑って手を差し伸べてくれる意味が理解できなくて。けど、彼は気にせずに僕に優しさをくれる」


幸せな時だったのだろう。


 彼女は笑わないけれど、それは心が凍った表情とは全くの別物だった。


「あー。何話してんだろ」


彼女は大袈裟にため息をついて、部屋に向かって歩き始めた。私に「早く戻りなよ」なんて言いながら。


 私はその姿に息を殺して笑った。






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