一章
私は最近異様な寒さを感じていた。
それは外気が寒いわけではない。何故か自分の体温が上がらないからだ。
けれど、日に日に下がっていく体温に恐怖を感じながらも、私は病院に行くことには躊躇をしている。
私は天涯孤独の身の上だった。
だからというわけでもないのだけれど、自分のことになると途端に体が重くなる。
心配する人間がいないからまあいいやって。
それに、病気になんて滅多にならない私が病気なはずがないって理由なくそう思っていて、私は行動を起こさずにいた。
だから、私は学校で倒れた。
初めは寒くてたまらなく感じた。
けれど、そんなこともあるだろうと気にせずにいたら、今度は力が入らなくなった。
そして、最後には座っていられなくなった。
気づけば私はいやに温かい地面に転がっていた。
意識が朦朧とする中、誰かが静かに話す声が聞こえる。
「この子は家の療養所に連れて帰るから救急車は呼ばないで。誰か外まで運ぶの手伝って。皮膚には絶対触れないで」
頭がぼんやりしていて意味はあまり理解できなかったけれど、どこかに連れて行こうとしていることはわかった。
今身分証持ってないや。大丈夫かな。
そう考えて私は意識を手放した。
◆◆◆
目を覚ますとそこは病室のようだった。
病室ってこんなに白いんだ。少し居心地が悪い。
そんな益体もないことを考えていたら、軽いノック音がして扉が開いた。
そこにはクラスメイトである久世怜がいた。
「怜ちゃんが助けてくれたの?ありがとう」
そう笑いかけると彼女は「あー、こういうタイプ苦手」なんて失礼なことを言っている。
それに苦笑を返すと彼女は大きなため息を吐いて、隣に置いてあった椅子に腰掛け足を組んだ。
「朝霧日和、体調は?」
「え、あぁ、うん元気だよ。なんだったんだろうね、あれ」
フルネームで呼ばれていることが気になりながらも返事をする。
そもそも、なんで怜がここにいるのだろう。
彼女は大きな病院の娘だったのだろうか。
「もっと深刻になりなさいよ。アンタ死ぬとこだったのよ」
「そうなんだ。迷惑かけてごめんね」
「違うでしょ。まずは現状把握したがりなさいよ。全く…。ここは、私の家が経営してる療養所。それで、あなたは先祖返りの雪女」
「…先祖返りの雪女」
思わず、鸚鵡返しをしてしまう。
雪女…。だから体が寒かったんだ。
どこか他人事のように考えていると怜が頭を抱えている。
「優しいと評判の優等生がこんな能天気だとは思わなかったわ…。普通はもっと慌てたり、錯乱したりするものでしょうに」
「まだ現実感がないだけだよ」
そう笑うと、私の反応を無視することにしたらしい怜が説明を続ける。
「先祖返りは祖先に妖怪を持つ人間に偶に現れる能力を持った人間のこと。特別何かができるわけじゃないから面倒事しかないけど。で、ここは先祖返りのための施設。質問は?」
「特にないかな」
私の言葉に今にも舌打ちしそうな形相の怜がこちらを見ている。
怜ちゃんってこんな子だったんだ。
もっとクールで無口なイメージだったのだけれど。
「いや、何かあるでしょ!この後どうなるのかとか、能力ってなにとか!」
「えーっと、じゃあ、両方教えて欲しいな」
怜が「どいつもこいつもほんっとどうなってんの」と憤慨している。
きっと心配してくれているのだろう。
怜ちゃんは優しいなと微笑ましく感じていると、今度は本当に舌打ちが聞こえてきた。
「これからアンタは能力がコントロールできるまでここにいなきゃいけない。アンタの能力は多分体温調節。と言っても肉体は人間のままだから、下げても上げても倒れるだけ」
そこまで言って怜は立ち上がった。
どうやら終わりらしい。
「他に気になることがあったら職員に聞いて。私でもいいけどここにはそんなに来ないし…。あ、スマホ出しなさい。連絡先だけ教えてあげる」
連絡先を交換し終えると、怜は足早に行ってしまった。
嵐のような人だなと笑ってしまう。こんなに楽しい人なら学校で話しかけてみればよかった。
これからは話しかけてみよう。友達になれるかもしれないし。
ここに来られてよかったかもしれない。
少し不謹慎かもしれないけれど。
◆◆◆
ふと目を開ける。
真夜中だった。
慣れない場所だからだろうか、妙に目が冴えていた。
私は外の空気が吸いたくなって、病室を抜け出した。
静まり返った廊下には自分の足音だけが木霊する。満月だからか月明かりが眩しいくらいで、怖さは感じなかった。
神秘的な夜だった。
それが非日常を強調しているようで少し胸が弾む。
ゆったりと歩いていると中庭にたどり着いた。
様子を窺うと、そこには一人の少女が佇んでいた。
月明かりに照らされた彼女は幻想的で、完成された絵のようだった。
なんだか夢を見ているようでぼんやり立ち尽くしていると、彼女がこちらを振り返った。
彼女はキラキラしていた。
それは髪が光に反射してというのもあるけれど、それだけではなく人を拒絶する雰囲気が神秘的さを際立てていた。
あぁ、美しい人だ。
彼女は目が赤く光っていたけれど、怖いとはちっとも思わなかった。
人外めいた美しさは持っていたけれど、それだけだ。
私は誘われるように彼女に近づいた。
彼女は何も言わずに私を見ている。
「月光浴ですか?」
私は笑って問いかけた。
不思議な言葉を使ったものだと思う。
けれど、どうしてだかこの言葉が最適なように感じた。
まるで彼女は月の光を吸収しているように見えたから。
だからこんなにキラキラしているのかもしれない、なんて。
「月光浴、か…。確かに僕にはぴったりかもしれない。けど、違うよ。強いて言うなら…息を吸いにかな」
───吸う意味なんてないんだけど
彼女は静かにそう言った。
彼女の赤い瞳にはなにも映っていなかった。
けれど、私にはその虚な瞳が孤独を映しているように見えた。苦しんでいるように見えた。
私は大丈夫だよと言ってあげたくなって、近寄り彼女の手を取ろうとした。人の温もりは心を落ち着けるから。
けれど、彼女にとってはそうではないらしい。
「触るな」
冷たく言われて動きが止まる。
拒絶を振り切ってまで、私の考えを強いることはできなかった。けれど、どうにかして一人じゃないよと伝えたい。
私は言葉を届けようと、彼女の顔を見た。
そこで口の周りにべったりと、何かがついていることに気がついた。けれど、この暗さではそれが何かわからない。
ただの散歩のつもりだったから、ハンカチが手元にない。手渡してあげられたらよかったのに。
仕方なく声をかけるだけにとどめる。
「口の周りに何かついてるよ」
彼女は慌てて服の裾でそれを拭った。
「忘れて」
「なにを?」
「全部」
彼女は全てを切り捨てるように言った。
誰かと関わることが苦手なのかもしれない。
けれど、心のうちには独りぼっちの寂しさがあるような気がして私は素直に頷けなかった。
「うーん。それはできないかな。だってこれって運命的な出会いでしょう!」
私はどうしても彼女との縁を切りたくなかった。
だから、殊更楽しそうな声を出した。
私が彼女のことを忘れるつもりがないことをしっかり伝えたかった。
「運命だなんておめでたい頭だ。すぐに改めることをお勧めするよ」
「嫌だよ。あなたと仲良くなりたいの。私の名前は日和!よろしくね」
「はぁ…。今日は冷える。早く帰った方がいい」
彼女は諦めたようにそう言った。
まるで放っておいても興味をなくすと思われているかのようだった。
けれど、それでも別にいい。
私のことを心配してくれるくらい優しい人だから、絶対にまた会える。
名乗ってはもらえなかったけれど、これだけ美しい人ならきっと見つけられるから。
私は「おやすみなさい」と声をかけて、踵を返した。
部屋に帰ってベッドに潜り込んでも、美しい彼女の顔が思い浮かんだ。
私は小さく笑って目を閉じる。
早くもう一度彼女に会いたい。




