[第一章:フタカとタシカの世界]その7
「…っ!」
るいが振り向くと同時、短剣のようなものが胸元に迫ってきた。
距離はない。
戦闘技能があるわけでもなければ、運動が得意というわけでもない彼女には、到底回避などできなかった。
「ぁ…!」
鋭利な刃が煌めき、るいの制服の胸元を切り裂く。裂かれた右襟の下側の布地は、その際の勢いによって宙を舞う。
その奥で、一時的に実体を得ているるいの鎖骨あたり(形だけで骨はないが)が露わになる。
「な、なんなの…っ!」
るいは驚き、たたらを踏む。
それを見ながら、襲ってきた相手は振りかぶった腕を戻す。
(…急になによ…)
るいは目の前の相手を見る。
腕や足などに[ユレオサエ]は確認できない。[確定存在者]だ。
見た目は完全なる黒ずくめ。体全体を覆う、限りなく黒に近いツナギの肩や腰には簡易的な装甲が見られ、頭は顎の突き出た、細い線状のバイザーがついたヘルメットで覆われている。
そして、分厚いグローブで覆われた手には、先にるいの服を切り裂いた短剣のような武器がある。
白く、ツタのような装飾のあるそれには、持ち手近くに円柱を倒したような形の、小さな盛り上がりが裏表二つずつ確認できた。
そんな恰好の相手は、るいを見て呟く。
「…邪魔者め。殺し損ねたか…」
低い男の声が放たれる。
それを聞いて、るいの頭上の少女は縮こまり、
『いや…』
と恐れを感じさせる声を漏らす。動く様子はなさそうだった。
その様子をちらりと見た黒ずくめの男は、得物を構えてるいに問う。
「…どけ。邪魔だ」
「な、なによ…」
状況が良く分からず、るいは戸惑った声を上げる。
「なんなのよ、あなた!」
「…ふんっ。そこをどけ。俺はそこの[不確定存在者]を、殺す…」
「…!」
男の視線が向かっていると思われる先、そこには今しがた恐れの声を上げた少女の姿がある。
「…あなた、この子を…」
「ああ、そうだ。[不確定存在者]だからな…」
「…っ」
そこまでのやり取りで、前の都市で複数回過激派から狙われた経験故の耐性で、多少の落ち着きがあるるいは状況を把握し、相手がどういうものかある程度理解する。
([UCEE]…!)
るいの目の前にいる者は、頭上の[不確定存在者]の少女に対する殺意を持っている。
加えて、彼が持っているのは[不確定存在者]を殺すために[UCEE]が開発した専用装備、[不確消去剣]だ。
それの所持が、彼が間違いなく[UCEE]の[確定存在者]であることを証明している。
「[不確定存在者]は殺さなければならない。消さなければならない。俺は、俺たちはそのためにいる」
「…それは。迷惑な話ねっ」
るいは背後の少女を庇うように立ち、思わずそう返す。
(…[不確定存在者]だからって、一方的にやられるなんて最悪よ)
るいはかつていた都市で自分を虐めてきた者達を思い浮かべ、そう思う。
…と。
「…ん?お前…。そうかお前も…」
黒ずくめはるいの腕にある[ユレオサエ]を見たのか、得物を構え直して言う。
「…[不確定存在者]か…。なら、殺さなければならないな…」
「…!」
るいは後ずさる。
「そんなに、[不確定存在者]だからって、殺したい?」
緊張で身を固くしながら、るいは黒ずくめに問う。
「そりゃそうだ。消すべきだろう。それ以外にあるか?」
鼻で笑うように言う黒ずくめ。その様子を見たるいはむっとして、
「…別に、悪いことなんかしてないでしょ![幻影魔女]ならともかく、なんで透けた体だからってだけで…!」
過去の体験からも、るいは目の前の黒ずくめのような者たちの行動には不満や反発がある。
だからこそ、例えそれが無駄だとしても声を上げてしまうのだ。
「…馬鹿め。今[幻影魔女]でないからって、てめらが今後もならねぇとは限らないだろ?…だから殺す。消す。物に憑いて、好き放題されるのは迷惑極まりないからな!」
「…っ!」
[幻影魔女]。彼女らにはある特殊な技能がある。それは、27~29当たりの[変動範囲値]が算出されるその体を用いて、他のものの中に入り、自分を消さないで一体化し、一つになった対象を自分の体として扱うことである。
もちろん、普通の[不確定存在者]([変動範囲値]に関わらず)が他のものの中に入るなどと言うことをすれば、一体化したものに影響され、意識は消えて溶けるように一つになってしまう。混ざるだけになってしまうのだ。
だが、[幻影魔女]は違う。彼女らは先天的な能力によって、自分を保持できる。
普通の[不確定存在者]にとっては致命的なことをしても、体への他物体からの影響は小さいものにとどめることができ、存在が大きく変質することはない。他の[不確定存在者]のように大きな害を受けることはないのだ。
彼女らはその力を活かし、自分と言う存在を維持しつつ、他物体との同化を、まるで神経を通すようにして成す。そうして、[幻影魔女]は現象を除くこの世全ての[有波]を体として得ることができるのだ。
そして、そんな彼女ら(特に開拓最初期になった者たち)は、自身のその特殊な能力を使い、入植を始める各地で暴れ出した。
悪意の赴くままに、様々な物、者を体として操り、暴虐の限りをつくし、いまなお迷惑をかけ続ける。
仲間を増やし、場所を占拠し、国のようなものをつくりもし、世界各地で好き勝手に動き続ける。
それこそが[幻影魔女]であり、彼女らの暴走と横暴への憎しみや怒りが、[不確定存在者]の差別や弾圧の始まり、[UCEE]の出現原因にあったのだった。
「…[幻影魔女]になるに違いない[不確定存在者]は、全て殺す。だから、お前も殺す」
「…っ」
るいは黒ずくめの言葉に、腕を振るわせる。
その理不尽さと、原因たる[幻影魔女]への怒りなどで。
「…迷惑な、ほんと迷惑な話よっ!」
るいは黒ずくめを睨みつけてそう言う。
だが、彼はそれにまともに取り合わない。
「ああ、そうかよ。なんにしろお前たち[不確定存在者]はいなくていい」
「…そんなこと、勝手に決めないでよ…!」
その抗議は通じない。[UCEE]の者たちは基本、[不確定存在者]の抗議を聞く気など欠片も持ち合わせていないのだから。
「俺はやる。…[不確定存在者]の、[幻影魔女]のいない世界のため。…そのためにまずは」
言って、黒ずくめは視線をるいからその頭上の少女に移す。
「そこのガキからだ…!」
「…!やめなさいよ!」
「うるさい!邪魔をするな!邪魔をするならお前から先に消す!」
「っ…」
殺されることはまっぴらで、狙われる恐怖もやはりあるため、黒ずくめの一喝にるいは多少なりとも怯まずにはいられなかった。
そうして少し大人しくなったように見えるるいから、黒ずくめは視線を外し、得物を銃のように構えて少女の方へと向ける。
「…これがあればはるかに容易に、殺せる。消せる。[ユレオサエ]を壊して実体化を解かなくても…!」
[不確定存在者]の、変化の幅故に変わりやすいという弱点。それを抱える彼女らを[仮定存在者]状態から殺すためには、[ユレオサエ]を破壊して実体化を解いた上で(逃げられないよう体を固定する必要があるので部分的にだが)、体に大きなものを一定時間突っ込んで意識のない別物に変質させる、というのが主な方法だ。
そうすれば、多少時間がかかるが実質的な殺害ができるのである。
だが、[通波]というものが利用された[不確消去剣]は、突き立てて機能させるだけで[不確定存在者]を即時変質させ、殺害することができる。
「さぁ、ガキ!」
『っ!』
黒ずくめの言葉に少女は思わず目を見開き、声を詰まらせる。
『…』
恐怖で震える身を見ながら、黒ずくめは得物を構えて言う。
「死ねぇぇ!!」
「…このおっ!」
そうして黒ずくめの手の武器にの裏表についた円柱部位が僅かに光を放ち…四つの小さな穴から何かが発射。
それは少女…ではなく、間に割って入ったるいへ、先ほど切り裂かれて彼女の素肌が露出したあたりに命中した。
「あ…」
瞬間だった。
「…うぅ…おぇ!」
唐突な不快感がるいを襲った。
「…うぅうぇ…っ」
浅く、しかし粘っこく広がるその感覚によって、るいはバランスを崩し、その場に倒れてしまう。
(な、なに…これ。…気持ち悪い)
まるで、麻酔を注射されたときのような、体の内側から広がる鈍い感覚。それは不快感だけでなく、吐き気と倦怠感に近いものも呼び起こした。
(…これが…私達を別物に変えて…殺すための…武器…)
「うぅ…!」
『…!』
るいの様子を見た少女は、飛び出した姿勢から倒れたるいの様子を見、呆然とする。
『…ミィのために…』
[UCEE]への怒りから衝動的に守ってくれ、攻撃を受けたるいの様子に、少女はまた震える。
「…、うぅ…」
不快感に支配され、動くことのできないるいの下へ、黒ずくめが歩いてくる。
「…邪魔しやがって。…しかしまぁ、どうだ?効きは?」
彼は苦し気なるいを見下ろし、軽い笑い声をあげる。
「ま、見たら分かるがな。…ああ、いい威力だ。こうも簡単に、ダメージを与えられるんだからな」
「…う…」
るいは睨みつけるように黒ずくめを見る。だが、そうしているうちに、
(あれ、意識が…)
いつの間にか、意識が薄れるような感覚になる。いや、自分と言う存在が揺らぐような、そんな感覚にさらされる。
「さぁ、次で最後だ。それでお前は、別物に変わって消える」
それを聞いた瞬間、るいはぼやけた意識の中で理解する。
(私、殺される…?)
殺される。消される。自分がいなくなる。
まだ大したこともしていないのに、夢に向けての道をうまく進めてもいないのに。
こんなところで、よくわからないもので、急に殺されてしまう。
(…[幻影魔女]のせいで…)
自分という存在を消されてしまう。
その事実を認識し、るいは。
「…そんなの…」
(いやよ…。たまった…もん…じゃ、ない…)
消えたくない。まだ存在していたい。彼女にはやりたいことがある。なりたいものがある。目指すものがある。
だから、抵抗しようとする。
しかし。
「…わた、しは…」
意識が揺れる。言葉は虚ろになり、思考ははっきりした状態とぼやけた状態を行き来する。
そんなるいの様子を見て、黒ずくめは。
「ははは!良いざまだ![不確定存在者]には、これが似合ってる。こんな末路が最適だ!ははは!」
ただ、嬉しそうに笑う。るいの状態を喜ばしく感じ、ただ。
「ははは!やっぱり最高だな。この瞬間が。ああ、たまらん」
「…」
「ははは!…ああ」
そこで笑いつかれたのか、飽きたのか、黒ずくめは笑いを止める。
「じゃ、とどめ行こうか」
言って、彼はうつぶせに倒れていたるいを蹴って仰向けの状態にする。
そして、彼女の裂かれた服、肌が僅かに透け、揺らぐそこへと剣を向ける。
「こ…の」
るいの、途切れ途切れの言葉を黒ずくめは嘲笑って。
「さぁ、苦しめ。[通波]をくらって、渦巻くような苦しさで、死ぬがいいさ」
「…ぅ…ぁ。この…」
『いやぁ!』
るいの虚ろな声が発せられ、泣きながらの少女の悲鳴が木霊する。
そんな中で、黒ずくめは無慈悲にも先の攻撃を再度放とうと、手を握り…こめなかった。
「そこまで、です」
「!?」
突如、高速で何かが飛来してきて、黒ずくめの手の得物を弾き飛ばし、近くの草むらの中へと転がさせた。
「…誰だ!」
黒ずくめが苛立ちを感じさせる声でそう言う。
そして、それに応えて現れたのは。
「私、です」
姿を現したものを見て、るいは呟く。
「…おねえ…ちゃん」
るいの実の姉、月音だ。…しかし、現在の姿の彼女にとってそれは正確ではない。
「…その恰好…お前は」
月音の格好は、今朝とは違った。黒のボディスーツの上には幾らかの装甲があり、腰には特に大きな四つの、ひし形の装甲がある。
そして、頭には黒いフレームの、黄色のバイザーがあり、彼女の衣装の全体にはバイザーと同じ色の線があった。
そんな恰好の彼女の名と、役割、立ち位置は、家とは違う。
「…私はこの都市の平和を守る者が一人。あなたたち、世界中に潜む[UCEE]に対峙する剣」
一呼吸を置いて、名は告げられる。
「…[守護剣]、ムーンセイバー、です」
それこそ、この恰好の時の月音の役割と、立ち位置を示す名であった。




