[第一章:フタカとタシカの世界]その6
「…はぁ。なんだか完敗の気分だわ…」
呟きながら、るいは学校から出ていた。時間は正午過ぎ。平日なら、彼女の背後の学園は規模もあって昼食時で盛り上がっているが、今日は静かなものである。
そのせいで比較的周りが静かになり、るいはつい、先程のことを思い出しているのだった。
「…ラピラリに勝負で負けて。こんなのまで貰って」
るいはラピラリから貰ったノートを見て、凄い見やすいわねと呟く。
「…完全にラピラリの下よね、私。凄いムカつくけど…事実としては…」
ため息をつきながらるいは坂を下っていく。
バスは平日とは運行ダイヤが異なるため、しばらくは来ない。そのために、彼女は歩きで家へと向かう。
「いい加減、この状態どうにかしないと…。特に服作りに関しては」
(とは言っても、何が問題なのかわかんないし……どうしようもないわね)
答えを出せず、停滞する他ない自分に、るいはため息をつく。
「…ああっ、不味いわ。このままじゃどこまでも気分が下がる…」
(…いっそ気分転換でも…)
そう、るいが思ったときだ。
彼女の視界の端にあるものが止まる。
「…楽しそうね。パーティは」
それは坂の上から見れば左側に位置するレストランだ。そこでは、複数人の[確定存在者]たちが集まって、パーティらしきものを開いている。
彼らは思い思いの物を食べ、飲んで笑いあっていた。
「…。[確定存在者]なら、美味しもの食べての気分転換もできるんだけど…」
るいは軽いため息をつく。
「私たち[不確定存在者]は、できないのよね」
[変動範囲値]20以上が常の[不確定存在者]。彼女らは変化の幅が異常なほど大きい[有波]であるわけだが、彼女らはそれ故に他のものを摂取する、ということが基本出来ない。
それは、[仮定存在者]状態でなければ実体がなく、そもそも物理的に摂取不可能、ということだけではない。その状態でも、自分を維持する為には接種も何もかもできないのだ。
そしてそれには、変化の幅が大きい時の[有波]の性質が関わってくる。
アンペアの授業で言われていたとおり、この場合の[有波]は不安定で、他の[有波]の影響を受けやすくなる。このときの[有波]…その存在に他のもの、例えば絵の具をかけると、かけられたものは、絵の具に近い形へと変化してしまう。
他のものでも同様だ。自分と違うものに触れれば、幾つの[変動範囲値]が出る状態かによって多少、かかる時間の差こそあれ、大抵は比較的短時間で触れたものと同じか近いものへと変化してしまう。あるいは同化するか中途半端に元の自己を残して混ざってしまう。
元の自分の状態を維持する力が弱いが故にそうなってしまうその性質は、[不確定存在者]にはそのまま発現している。その結果、実体を喪失した体で、何かに接触(透けて貫通することになるが)していると、短時間で前述のようになってしまう。また、全身を壁などの中に入れるようなことをすれば、ただちに同じようになってしまう。そのため、透けた状態では何かに触れることは絶対に避けるし、そうするのが当たり前だ。
そして、そんな制限を[不確定存在者]に課す性質は[仮定存在者]状態で[変動範囲値]が低く出る状態であっても、抑えられてはいても健在であり、[確定存在者]と同じように飲食などすれば、下手すれば食べたものそのものに変質してしまう可能性があった。
そのため、[不確定存在者]たちは食べることも飲むこともできないのであった。
「…まぁ、食べたり飲んでりしなくても、それで死にはしないのは救いだけど…」
[不確定存在者]は実体がないのだが、それは勿論開拓時の爆弾による急激な変化が原因だ。彼女らはその際に、自然にない段階までの変化をいきなり強いられたことにより、体を構成する[有波]の構造に悪影響が出、生物としての特徴の大半を喪失した。実体をなくしたことは失われた特徴の一つであり、他にも内臓や骨格、消化、吸収、排泄、生殖能力など、実体ある生物であるためのもののほとんど全てを失っている。
その結果、彼女らの体は[ユレオサエ]の力で実体化したところで、生物としての体の内部構造は既になく、ただ[有波]が詰まっているだけになっているのだった。
しかし、それらのことのおかげで、[不確定存在者]であるがゆえの多数かつ一部致命的なデメリットと引き換えに、餓死などの生物としての弱点はなくなっていた。
「…幸、不幸は言い難いけど…ね」
少し自身の性質のことを考えたるいは、そこで思考を打ち切る。
「…こんなこと考えてても気分良くならないわね…」
正直、不便に思ったことの方が多い性質のことを考えて、そうなるはずはない。
(…[不確定存在者]の性質のこと考えると、…連中のこと思い出すし)
[不確定存在者]に含まれる、ある嫌いな者たちのことを思い出し、るいは機嫌が悪くなりかける。
それを避けるため、頭を振って今の思考を振り払い、彼女は言う。
「…とりあえず、こういうときはあそこよ。あそこに行くしかないわ!」
るいは坂を走って下り出す。
向かうのは坂の下側、林と一体化した町の一角だ。
そこは十数年程前の、[不確定存在者]のための施設増設などを目的とした、都市の大規模な再開発計画の中で土地開拓元のまま残された、通称”旧開発区”と呼ばれる場所の外周にある一角である。
隣に巨大な比較的背の低い木々と店が織り交ざっているという特殊な景観故に人気のあるそこには、るいのお気に入りの服屋が存在する。
彼女は最近、服作りのことで気分が上がらないときはそこへとしばしば向かっていた。理由としては、服作りのために必要なものを買いに行っているのもあるが、一番大きなものは別である。
その店の小さめのショーウィンドには憧れの彼の作品があり、それを見ていると、楽しい気持ちになれるからである。服のことで気分が上がらないるいにとっては、それは絶好の気分転換なのだ。
「…ええと。こっちよね。…道が荒かったり、変に道が入り組んだままなのは、ちょっと困りものよね」
るいは目的の区画に足を踏み入れ、自分より少し背の高い木々の下、道を間違えないよう歩いていく。
景観はそれなり以上に良いのだが、何分できたのが星への入植から数年と言う、比較的早い時期なのもあって、構造が古く、悪い。
当時は開拓用の爆弾のせいで、母船の一部が[変動範囲値]20以上が算出される透けた部位となり、一部は元のままと言う、二状態が混ざった[半確定存在]となって、ほとんど使い物にならなくなっていた。
そのため、莫大な移民を保持できず、[確地アリーヤ]へ早急に移住させようと都市を建造したが、急いでいたこともあって都市構造は全体的にかなり粗削りだ。
それは開拓初期の都市程強く見られ、るいが今いるこのあたりも、その名残が強く残っていて、やや歩きづらく、迷いやすかった。
廃墟や管理されていないところが他の場所に比べると多いのも関わっているだろう。
「…けど、まぁ。慣れてるし、すぐよすぐよ」
言いながらるいは進んでいく。
既に目的の店には何度も行っている。時間はかかるとしても、辿り着けることは確定している。だからこそ、るいは道の確認こそ多少しつつも、割と気軽に歩いていた。
(数日ぶりに、あの凄い服が見れるわね。ああ、楽しみだわっ。お姉ちゃん以外で尊敬するあの人の作品を見るのは)
飾られている作品が、憧れの彼作の中で特にデザインが好きなのもあって、るいはその服の形を思い出しながら、歩いていった。
「ふんふふ~ん。ここを右ねっ」
そうして、見るのを楽しみにしてるいは目的の店に辿り着いた。
…が。
「…え、休業日なの?」
辿り着いた店の入り口には本日休業日と書かれてる。
ショーウィンドもカーテンが内側で引かれ、中の服は全く見えなくなっていた。
「…そういえば、ここ平日しか開いてないんだったわ」
(そうよ、今日は休日の補習だったじゃない。うっかり平日の感覚で着ちゃったけど…)
完全な無駄足だった。そのことを理解したるいは思わずため息をついてしまう。
「……。今日はいろいろ、上手くいかないわね…これは自分のミスだけど…」
自身の勘違い、或る意味での失敗に、るいの気分はさらに落ち込む。
「…はぁ。なんか気分転換するどころか、気分沈降よ…もう」
るいは背を丸くし、再度ため息をつく。
それから体を伸ばし、
「…仕方ないわね。とりあえず、帰ろっと…」
そう、露骨にテンションが低い声で言い、その場を離れて歩き出す。
そのときだった。
「ん…?」
ふと、るいの視界の端に何かが映る。
「…あれは?」
店の向かい側、木々によって暗い道に、うっすらと長い髪のようなものが見える。
どこか透けて浮いているそれは、水色にも見える薄紫をしていた。
「…随分、綺麗な色ね…」
るいはその美しさに感嘆する。木々の葉の隙間から光によって、輝きの色を僅かに変えるそれは、圧倒的な美を持っていた。
「…あんな色の髪に合わせた服着せたら、きっと凄いいい絵になるわね」
軽く想像し、るいがそう言った直後だ。
その視線の先の薄紫が、動く。
「あ…」
るいはすぐに木々の間に姿を消すそれに、生えている元、つまりは顔があるのを一瞬見とめる。どうやら、本当に髪のようだ。
そして、その髪の持ち主は[不確定存在者]だったようで、透けた体で奥へと消えていく。
「…なんか、急いでた?」
少し、動きに焦りのようなものがあったような気がしたるいは、数秒の間髪の持ち主が消えていった方を見つめる。
「……」
そして、なんだか先の美しい髪が気になってるいは消えたほうへと歩いていく。
「……」
そうして少し歩いたとき。
「…あ」
るいはついに見つける。
そこは、木の骨組みと植物でドーム状になっている空間。ツタなどの植物で覆われた、るいの三倍ほどの高さの天井からは、光が隙間から溢れている。
…そんな中、その光の下にその少女はいた。
『…』
背は低い。
体も全体的に幼い。だが、それに反して薄紫の髪は相当に長い。身長より少し長いぐらいだろうか。もはやマントか何かのような雰囲気で、[不確定存在者]の不安定さを示す、体の外側が変化した靄と共に、その小さな身を包んでいる。
そして、当然のように透けたその身には、ドームの天井から点のような光が降り注ぎ、幻想的な光景をその場に形作っていた。
「綺麗…」
るいは思わずそう呟く。実際、目を瞑って宙に浮かぶ少女の姿は、水色と薄紫色の輝きに彩られ、非常に美しいものであった。
「…ぁ」
るいの声に少女が気づき、るいの方を見る。
「あ、えと」
意図せず視線が合ってしまい、るいは気まずくなって、言葉に詰まる。
…と。
「…ぁ」
「?」
幼い少女が何かに気づいたのか、小さく声を上げる。そしてその声は何かに怯えているようで、
「あ、わ、私…?」
自分が怖がらせてしまったのか。そうるいが思い、何かを言おうとした時だった。
「…[不確定存在者]は…」
「え…」
自分とも、目の前の少女とも違う声に振り向いたるいの視界に入ったのは。
「殺す」
鈍く光る、鋭く長い刃であった。




