再会
アトラスがエリュティアを迎えたのは、庭に面した館の一室である。大きな窓があるのだが、窓の外の大木が木陰を作って、部屋の隅は灯りが必要ではないかと思わせるほど薄暗い。風通しはよく、庭の花々の香りが風に乗って漂ってきた。ザイラスはその部屋の窓際に、二人のためにベンチを準備させていた。やや薄暗く落ち着いた雰囲気の中で、花の香りが漂う木漏れ日を浴びる窓際のベンチに、主人と来客が並んで座るという演出である。
この館まで壮大な行列を作っていた人々は、館の敷地の一角に導かれてもてなしを受けた。エリュティアとドリクスは、そんな人々を残して出迎えに出たザイラスにアトラスが待つ部屋に導かれた。
「我らが王子よ。エリュティア様がお着きです」
ザイラスの言葉に、ドリクスに返事を促されたエリュティアがか細く言った。
「先日の返礼に参りました」
「よぉ、参られた。歓迎いたします」
アトラスの言葉に、傍らに控えていたザイラスは笑顔のままぴくりと眉を動かした。王子の声音に威張る調子があり、素直な心を失っている様子が聞き取れたのである。彼はそれを言葉には出さず、新たな話題を窓辺の鳥かごに移した。
「ほらっ、窓の外にリルナがおります」
ザイラスの目配せをうけたアトラスが話題を引き継いだ。
「ルージの山岳地帯にいる小鳥です。美しい姿と囀りがルージ人の心を和ませてくれるのです」
「ただ、エリュティア様の美しさにはかないますまい」
ザイラスはそう付け加えるように言って、アトラスの視線をエリュティアに導いた。そして、二人を優しく窓辺のベンチに追いやるように腕を広げた。ザイラスはドリクスに会釈して、その視線で部屋の片隅の椅子を指し示しながら言った。
「では、ドリクス様には、あちらでリルナの話などをお聞かせいたしましょう」
ザイラスはアトラスとエリュティアを窓辺に残して、自分とドリクスは部屋の隅で控えていようというのである。ドリクスはそれを悟って同意した。
「おおっ、是非とも聞かせていただきたいものだ」
薄暗く目立たない場所だが、窓辺にいる二人の会話が聞こえ、必要なら、二人の会話が弾むように話題を投げかけることができる位置である。
(ルージに、こういう若者が)
ドリクスは部屋の隅に誘うザイラスの背を眺めてそう思った。ルージは武辺者の地と聞いていたが、わずか二十歳にも満たない若者が、このような細やかな心配りをすることに驚いたのである。しかも、その気遣いは計算ではなく人間らしい優しさが垣間見えた。
窓辺に残されたエリュティアは凍り付いたように堅く、胸元に抱いた物を抱きしめる姿勢を保って、アトラスの言葉を待っていた。アトラスもまた戸惑っていた。今まで若い婦人と二人で話をする機会はほとんどなかった。アトラスは、ふと別の女性を思い出した。
「私の可愛い剣士さま」
リーミルならそう優しく笑って、男心の隙にするりと入り込んで来ただろうと思ったのである。しかし、エリュティアにはリーミルのようなしなやかな話術はなかった。エリュティアは姿のみならず、発する言葉も繊細で美しいが、外見は薄氷のようで濁りのない透明感の反面、心は脆く、返答の力加減を誤れば、傷つけ壊してしまいそうな危うさを感じる。そんな彼女が緊張で震えるような声で、しかし、力を込めて言った。
「ささやかですが、先の贈り物の返礼でございます。どうぞお受け取りくださいませ」
エリュティアは胸に抱いていた包みを解いて、細い鎖がついた金属板をアトラスに差し出した。
「これは?」
アトラスの問いに、エリュティアはどう応えたものか迷ったが、円盤に刻まれた文字を読み上げた。
「『我、常に真理の女神と共に在り。真理の女神、常に我を導かん』」
「では、この像は真理の女神ですか」
アトラスは円盤に刻まれた女性の像をエリュティアと見比べて、似ていると思いつつ、像の傍らに刻まれた弓で、エリュティアの言葉に納得した。
「冶金の神が、この胸板に真理の女神の姿と精神を写し取ったという伝説がございます」
「この金属板に、真理の女神の意志が込められていると?」
「我がシュレーブの祖グヴォーダー王が身につけた物で、この胸板を身につける者にルミリアのご加護があると言われています」
エリュティアの言葉にアトラスは反駁した。
「民を率いる王として必要なのは、真理ではなく混沌の中で示す勇敢さと力強さです」
「この胸板によって、貴方様の勇敢さと力強さが真理の導きを受けますように」
エリュティアは祈りをこめてそう言ったが、その言葉によってアトラスには心をかき乱されるように母の姿が思い起こされた。夫の愛が得られないと嘆き悲しむことが人生になったかのような女の姿である。もし、真理があるなら、母の運命は何処で狂ってしまったのかという疑問や怒り、そして、狂った母の運命の産物が母と父の間に生まれた自分自身ではないかという罪悪感、そんな感情がアトラスの返事にやや怒りの感情を込めさせ、口調が激しくなった。
「真理の導きとはなんです?」
「それは」
とまどうエリュティアにアトラスは断言した。
「私の運命を定めるのは、私自身です」
「では、人に神の導きは不要だと仰るの?」
「私は自ら運命を切り開きます。エリュティア、妻としての貴女の進むべき道も示しましょう」
「神々のご威光を知らないのは傲慢ではありませんか」
「いいや。神に運命をかき乱されてたまるものか」
アトラスはやがて妻となるだろう女性の肩に手をかけて引き寄せて、言い聞かせるように語り続けた。
「エリュティア、私に貴女の運命を託しなさい」
発した言葉の意味はともかく、本来はエリュティア様、あるいはエリュティア姫と敬意を込めて呼ぶべき相手である。アトラスは彼女が既に妻であるかのように呼び捨てにし、彼女を引き寄せる腕にも優しさがなかった。その粗暴な振る舞いにエリュティアはおびえを見せてドリクスを振り返った。
ルージ国における王妃リネと王リダルの確執は、息子のアトラスの心に深く食い入ってトラウマになっている。それを差し引いてもアトラスは感情に流され、相手の女性にぶしつけな振る舞いをしているとザイラスは考えた。この時にエリュティアの教師ドリクスがアトラスとエリュティアの間に割って入らなければ、ザイラスがアトラスを引き離していたに違いない。ただ、シュレーブ国のドリクスの行為の方が、洗練されていた。
「なんともお元気な話しぶり、お二人ともお若い。この年寄りには羨ましゅうございます」
ドリクスは笑顔で二人の話題に割り込みながら、エリュティアに言い聞かせるような素振りを取って、二人の間に割って入って、エリュティアの視界からアトラスを消した。
「アトラス王子の果敢な意志はおいおい慣れましょう。エリュティア様、まだお気づきではないが、貴女様には果敢な意志を包み込む包容力がございます。やがてお二人はお似合いの夫婦になられましょう」
「私は、この方に、嫁がねば……」
嫁がばならないのですかという、エリュティアの言葉をドリクスは途中で制して、アトラスを振り返って言った。
「本日は、返礼のみにて、この辺りで失礼いたしましょう。正式なお話は改めて正式な使者を使わすことにいたします」
ザイラスの目配せで、アトラスは冷静さを取り戻して、自分の粗暴さに気づいていた。アトラスは礼儀を補うようにドリクスの言葉に応じた。
「では、姫をお送りいたしましょう」
「ご配慮は無用にて」
ドリクスは笑顔でそう言って、ザイラスに目配せをした。いまは、この二人は距離を置く方が良いというのである。ザイラスもよく察して、アトラスの背後からアトラスの肩に手をかけてエリュティアの後を追うのを止めさせた。ドリクスはエリュティアに寄り添うように公邸の玄関へ導きつつ、アトラスのことを考えた。先ほどのアトラスの口調から推察しても、エリュティアを妻に迎える心の準備はできているようだった。大陸の中原に覇を唱えるシュレーブ育ちの姫の優美さと、大陸の東に浮かぶ島国のルージの王子の粗暴さの吊り合いがとれるかどうかは別にして、両国の関係を強めるための輿入れのきっかけは整ったと判断したのである。




