問題のある少年
蒼介は痩せていた。腕には薄く筋肉がついていても、関節はまだ骨ばっていた。ふたりが手を離すと、袖口は肘に留まらず、少しずつ手首へ滑り落ちた。周囲では蝉が騒がしく鳴き、傾いた日が地面を赤く照らしていた。風には埃と、バレーボールの革の匂いが混じっていた。
みなが彼を見ていた。白い横顔は、相変わらず何の表情もなかった。静かな目を見ると、それ以上尋ねるのがためらわれた。さっき露わになった傷など、自分には関係ないかのようだった。
黒田はまだ納得していなかったが、代わりに何か言う者はもういなかった。離れたところで見ていた生徒から、ボールを抱えて散っていった。袖をまくったふたりは、適当な口実で離れた。いつもいちばん騒ぐ男子たちさえ、黙っていた。
竹内はグループ分けの表を手に、人だかりを解いた。複雑な顔で、下ろされた手を見た。それでも口を開くと、まだ相手を責める調子だった。
「事情があるなら、どうして先に言わないんだ」
蒼介は答えなかった。左の掌の付け根は、サーブで擦れて赤くなっていた。右手を握り込み、親指で薬指の関節を押さえた。
「右手が伸ばせないから、ボールを受けなかったのか?」
少年はようやく顔を上げ、長いこと彼を見た。
「俺の右手が伸びるかどうかと、さっき、人に袖を引っ張らせたことに、何の関係があるんですか」
◇
体育は、午後の最後の授業だった。蒼介が四組へ戻ってきたのは、夜の二時間目の自習が終わってからだった。空いていた机へ座り、問題集を一冊と、軸の擦れた黒いペンを出した。いつもどおりうつむき、誰かと話す気はなさそうだった。
クラスの態度は、変わっていた。男子は大声で呼ばなくなり、真似もしなくなった。ただ、こっそり見た。後ろの給水機へ行くにも、別の通路へ回り、わざわざ彼の隣を避ける者がいた。
夏帆は、はじめはそれほど気に留めなかった。翌朝、修平の車で学校へ向かう途中、何気なくチャットの履歴を開き、何ページか遡った。
四組の生徒だけのグループは、春のクラス替えのあとに作られた。教師はおらず、一晩で千件を超えることも珍しくなかった。流れていく文を見ながら、あの不安がまた胸に浮かんだ。「自傷」「犯罪」という文字が見え、指がぴたりと止まった。
教室の扉を開けると、まだ人は少なかった。数学の資料を集める男子が、ブックスタンドの後ろに伏せるようにして、パンを食べながらスマホを見ていた。夏帆は近づいて軽く触れ、声を落とした。
「三崎のこと……本人が話したの?」
「まさか。あいつの性格、隣に座ってて知らないのかよ。みんなの推測だって。昨日、そっちは遠くて見えなかったろ。竹内先生が袖を上げさせたら、みんな固まった」
半分こちらへ体を向け、牛乳をひと口すすった。話すほどに調子づいていった。
「夏休みの犯罪映画、見た? あの少年犯の腕、似た感じだった。ほんとに、これくらい長いんだって」
手を広げ、空中で示した。
「俺はわかんないけど、体育係のやつ、ドラマ詳しくてさ。開放骨折の跡っぽいって。折れた骨が外に出るやつ。聞いたことあるだろ――」
「それが犯罪と、何の関係があるの?」
夏帆は眉を強く寄せた。男子は口を曲げ、何も知らない子を見るような顔をした。
「学校の喧嘩で、あそこまでなるかよ。鼻の骨が折れただけでも、何日も騒ぎになるのに。前の学校も辞めたんだろ? 外で何かやって、手を潰されたんじゃないか。だから、あんな書き方なんだろ」
「外では言うなよ。反対の腕にもやけどの痕があって、その下の古い傷は、自分で切ったって話もあるし。これから気をつけろよ。顔だけ見てないで。自分にまでああいうことするやつ、近づかないほうがいいって」
夏帆は彼を見つめ、しばらく何も言わなかった。相手は最後のパンを口へ入れ、やっと忠告が届いたと思ったらしかった。
「話、終わった?」
「え……まあ、大体」
夏帆が椅子を押しのけた。脚がタイルを擦り、耳障りな音がした。男子も体を起こした。彼女がまっすぐ外へ向かうので、慌てて声を上げた。
「宮原、沢田先生に席替え頼みに行くの? 俺のも頼んでよ。壁際でも最後列でもいいから!」
席替えなんか、するものか。夏帆の足は速くなり、こめかみが痛いほど脈打った。目の縁まで熱かった。傷痕が何本かあるだけで、どんなふうに犯罪の筋書きが出来上がるのか、先生に見てもらうつもりだった。
グループの履歴を沢田先生に見せた代わりに、校内で使ってはいけないスマホは、一時預かりになった。先生は文面を確認し、ひとりずつ呼んで話を聞き、噂をやめ、該当の内容を削除するよう求めた。けれど昨夜のうちに、広まるものは広まっていた。さらにひどい話までできていた。数学Sグループの転校生は、地元で刑務所に入っていた、と。
金曜には、放課後の自習がなかった。夏帆は管理棟へ待ちに行ったが、長いこと待っても、蒼介は出てこなかった。普通のクラスが下校し、あちこちの校舎から鞄を背負った生徒があふれ、何人かずつ校門へ向かった。夏帆は木陰で場所を変え、つま先で小石を転がし、ときおり三階を見上げた。
考えてみれば、前の人生でも似た噂を聞いた。ただ、そのときは、もう高校三年だった。あの年の蒼介は、もっと慎重で、右手のことをさらに一年隠していた。最後に知られたときも、今のような屈辱は味わわずに済んだ。
あんなに用心深い人が、体育で目立つ危険を知らなかっただろうか。わからなかった。ただ、自分を責めずにいられなかった。自分が関わったせいで、彼の周りでは、すでに多くのことが変わっている。これから必ずよくなると、誰に言いきれるだろう。
入口を照らしていた光が、少しずつ離れていった。スマホは預けてあり、修平の電話には出られない。叔父はきっと、校門の外で待ちくたびれている。また三十分待ち、三階の練習室の灯りも消えた。夏帆はようやくうつむいて校舎へ戻り、鞄をまとめて帰ることにした。
校舎の下で、悠人たちと向かい合った。夕日が髪の縁に、ふわりとした光の輪を作っていた。急いでいて、目も上げなかった。
◇
悠人は金曜の放課後、学校に残ってバスケットをする習慣があった。以前の夏帆は、それをよく覚えていた。いつもオーケストラの練習を口実にぐずぐず残り、もう一度彼に会おうとした。その考えは、彼の友人たちまで知っていた。
最近はずっと避けられ、悠人はほとんど忘れていた。今、彼女がこちらへ歩いてくるのを見て、自分でも認めたくない期待が、少しだけ生まれた。




