左利き
蒼介が戻ってきて一週間、約束した宿題は、一日も欠かさなかった。ただ、書く手が変わった。最初は夏帆の前で書こうとしなかったが、何度も顔を寄せてくるので、やがて折れた。
もともと左利きではない。ペンを持つと、手と手首がほとんど直角になり、文字はいつも片側へ傾いた。右手を無理に使うより速いが、以前と比べれば、まだはるかに遅かった。字も、右ほど整わなかった。
隣の少女の視線は、わかった。睫毛が長く、目が大きい。うつむいていても、少しまばたきするだけで目についた。盗み見るのが下手なのに、時計を見るふりをして、ついでに教室を見回しているように装う。目が向けられるたびに、全身が落ち着かなかった。
両面の数学プリントは、問題を読めば、数分で解法が浮かんだ。けれど手順をすべて書くには、自習の半分がかかった。紙をめくる音がすると、夏帆がまた見た。蒼介はペンを止めた。
右手に問題があると知られただけでは足りず、今度は左手の不器用さまで、すっかり見られている。哀れんでいるのか。それとも、これほど小さなことにまで意地を張って、身の程を知らないと思っているのか。
二時間目の自習には、静かにさせる当番が教壇で宿題をしていた。窓から微風が入った。隣でペンの音が止まると、少女はますます熱心に見た。書き込まれた用紙を見て、それから彼の顔を見た。
「これで、もう終わり? さっき、びっくりして見てた。どうして問題を読み直さなくてもわかるの?」
声は小さかったが、調子は明るかった。少女がペンを左手に持ち替え、自分でも字を書いてみた。「三崎」の「三」だった。線は曲がり、本人も見ていられなかったらしい。最後の横線を引くと、手のひらで隠した。
「思ってたより、ずっと難しい。すごいね」
当番に見つからないよう、顔を低くしていた。それでも話していると、無意識に頭を揺らす。ブックスタンドの上で、ふわふわしたうさぎの耳が動き、すぐに教壇から目を向けられた。
当番が指を差し、声を出さずに注意した。夏帆は急いで背筋を伸ばし、口にファスナーを閉める仕草をした。蒼介は目を伏せ、唇を固く結んだ。
◇
四組に、これほど目立つ男子が来るのは珍しかった。最初に他クラスの女子が見物に来たころは、同じクラスの男子も少し誇らしげだった。喜んで中へ声をかけ、入口で前髪をいじったり、手を握りしめたり、背伸びをしてのぞく女子たちを眺めていた。
けれど数日もすると、誰が呼んでも、蒼介は応じなくなった。うつむいて、自分のことを続けた。廊下へ出る回数を減らすため、水を飲む量まで減った。呼んでも来ないので、男子たちは次第に興をそがれ、別の楽しみを探した。
彼の席は通路側で、高いブックスタンドもなく、どの方向からでも見えた。誰が最初に、ペンの持ち方が違うと気づいたのかわからない。右袖を引き下げ、左手を上げて手首を曲げ、真似しながら大げさに顔を動かす者が出てきた。
実乃里まで、何度か見た。トイレへ向かう途中、廊下の窓際に知らない女子が何人か立ち、話しながら四組をのぞいていた。後ろの席の男子が、またあの仕草をした。実乃里はこらえきれず、夏帆へ軽く触れた。
「聞いた? 障害者なんて言葉まで、冗談にして……」
夏帆の頭の中で、音が鳴った。人だかりは近く、何人かがもうこちらを向いていた。実乃里の腕をしっかり抱き、友人との会話を続けるふりで、声は少しも落とさなかった。
「左利きを見たことないのかな。どっちの手で書くかなんて、本人の自由でしょ。そんなことで嘘まで作るなんて、どれだけ妬んでるんだろう。くだらない」
普段から少し誇らしげな話し方をするので、不自然には響かなかった。近くの女子たちも、同意するような顔をした。実乃里が、はっきり息をついた。
「そうだよね。左手の字がきれいじゃなくたって、いいじゃない。あれだけ成績がよくて、答案まで顔と同じくらいきれいだったら、不公平すぎるよ」
夏帆はうなずいたが、胸は晴れなかった。前の人生で蒼介と再会したとき、彼はもう、誰にも軽く扱われない地位にいた。自分で字を書く機会も少なかった。はっきり覚えているのは、母の葬儀を終え、ふたりで市役所へ婚姻届を出しに行った日だけだ。彼は手袋をしていて、署名はぶれず、文字も整っていた。
だから十七歳の彼にとって、字を書くことが、これほど大変だとは考えもしなかった。
何日も経って、少しずつわかってきた。彼が自分の善意を誤解し、雨の中で卓球台の周りまで掃除したのだと思っていた。けれど彼には、ただ自分のできる恩返しだったのかもしれない。この年の蒼介は、大人になってからより無口で、自尊心が張りつめていた。どんな重荷も引き受けるのに、他人の同情には身を引いた。
もう少し近づきたかったが、どうすればいいのか、まだわからなかった。
秋休み前の最後の週、前の人生にはなかった出来事が、いくつか起きた。うれしかったのは、苦情が役に立ったことだった。教職員用の食事スペースの責任者が替わり、蒼介も学校の紹介で、図書館の新しい閲覧室へ仕事を移った。
夏帆はあちこちで尋ねていた。大量の新刊が入るところなので、少し疲れるかもしれない。それでも環境はよく、収入も食堂より少なくはなかった。面倒なのは、学校のオーケストラが、三年生の進学説明会のあとの激励演奏に出ることになった点だった。練習自体は厄介ではない。ただ、しょっちゅう悠人に会わなければならなかった。
彼は近ごろ、何に刺激されたのか、食べ物を何度も持ってきた。食堂でなかなか買えないたこ焼き、校外で買った菓子、ミルクティー、ケーキ。包装は、どれも立派だった。夏帆は見ているのが嫌だったが、捨てるのも惜しくて、教室へ持ち帰り、分けた。
実乃里は出どころを知っているので、何度も手を振って断った。彼女の隣に座る、普段は数学の資料を担当する男子は、すべて受け取った。数日で、頬が少し丸くなった。
そうした細かな出来事は、木曜の午後、別のことに押し流された。夏帆はいつもどおり笛を吹いて集合させ、点呼のとき、男子の列のいちばん右に、いるはずのない人を見つけた。
いつもの長袖の制服の上着だった。洗いすぎて白っぽくなり、ファスナーは上まで閉まっている。背が高く、痩せた少年は、目を伏せ、ときどき前を見た。淡い茶色の瞳が、斜めの日差しで暗い金色に映っていた。
夏帆は名簿のクリップボードを握り、少しの間、動けなかった。夜の自習でしか見なくなっていた蒼介が、体育に来ていた。




