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亡き夫と十七歳で再会しました~無愛想な彼に、今度は私から恋をする~  作者: 熾星


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帰らない

習慣とは、厄介だった。蒼介には甘えないように、何度も自分へ言い聞かせていた。彼にそういうものは通じない。それなのに、母に世話をされる生活へ戻って数日で、幼いころの癖がまた出てきた。


 こっそり何度か顔を見た。彼の口元が固くなっているのに気づき、急いで続けた。


「隣の席だし、毎日、問題も解いてもらってるでしょ。この何日か、どうしてたのかくらい、知っておきたかったの。委員長に聞いても知らないって言うから、顔を見て、少し話そうと思って」


 ふたりは、食堂へ続くプラタナスの並木道を歩いた。葉の隙間からこぼれた光が、肩で揺れた。小さな魚が何匹も泳ぐようだった。蒼介は数秒、彼女を見下ろした。夏帆の問いかけは、途切れなかった。


「手、まだ痛い? 水ぶくれが潰れても触っちゃ駄目だよ。Sグループって、全部で何人いるの? 先生は怖い? 本当に毎日、時間を計ってテストしてるの?」


「エアコンが新しくて、上着がいるくらい寒いって聞いたよ。さっきの人のほかにも、知り合いできた? これから夜の自習には戻ってくる? この二日、窓の外の柵に鳥が来てるんだよ。早く来ないと、見られなくなっちゃう」


 ほとんど彼女が話し、蒼介がときおり答えた。短い道に、いつもの倍の時間がかかった。食堂の一階で、彼が入口のカーテンを持ち上げた。夏帆は一瞬黙り、それからまた口を開いた。


「あと、火曜のうちの掃除場所。卓球台のところ、三崎が掃除してくれたの? 誤解しないでね。前にいろいろ渡したの、何か返してほしかったわけじゃないから。宿題を借りたいって言ったのも、本当に困って、助けてもらいたかっただけで……掃除まで代わってもらうつもりはなかったの」


 長い睫毛が小さく震え、視線が落ち着かない。蒼介はその目を見た。道すがら浴びせられた質問が、この瞬間、ひとつにつながった気がした。


 わざわざ来たのは、彼が代わりに働き、借りが増えることを心配したからなのだ。


「違う。話は終わり?」


「え?」


「誤解してないから。もう行っていいよ」


 彼は背を向けた。平坦な声だった。夏帆はしばらくして、ようやく「うん」と答えた。その背中を見つめ、何が起きたのかわからない顔をしていた。


◇


 来る途中までは、何ともなかったはずだ。何を間違えたのだろう。真面目に勉強しようと決めてから、初めて授業を抜け出した。その理由は、このことをちゃんと話したかったからだ。それで関係が悪くなっては困る。


 帰るものか。


 そのあとの十分、蒼介がどれほど相手をしなくても、夏帆は後ろについて歩いた。無料のわかめと卵のスープをよそえば、自分も器を取った。安い定食の窓口へ並べば、同じものを一食買った。


 三百円の補助付き定食は、白菜と豆腐、煮た大根、それに少なめのご飯だった。大根には肉のかけらも混じっている。この値段では、文句のつけようがなかった。


 蒼介はトレーを持ち、ほとんど席の埋まった長テーブルを選んだ。夏帆は向かい側に座るしかなかった。ふた口食べては、顔を上げて確かめる。彼が立ち上がると、急いで食器をまとめ、追いかけた。


 さっきは隣を歩いていたので、気づかなかった。本当にいないものとして扱われると、普段の歩き方がどれほど速いか、よくわかった。食べ終えても外へは行かず、外階段から三階の教職員用の食事スペースへ上がった。


 夏帆がやっと登りきったとき、売り場の前には長い列ができていた。しばらく探し、奥の隅で彼を見つけた。子どもを連れて食事をしていた教師がふたり、席を立ったばかりだった。トレーがひっくり返り、かじった骨付き肉がテーブルに散らばっている。油の混じった汁が、縁を伝って滴っていた。


 蒼介は背を向け、かがんで片づけていた。夏帆はようやく思い出した。学校では課外のアルバイトをいくつか紹介していて、食堂の運営会社にも、生徒の補助員を雇う仕事があった。昼休みと放課後を合わせ、一日一時間半ほど。時給で計算すると、ひと月に三万円あまりになる。


 蒼介は、その仕事をしていた。手際がよく、布巾を洗うときも速かった。二本の指は伸びないのに、慣れた動きには、ほとんど不自由が見えなかった。


 この階は教職員が中心で、手伝いの生徒以外、普通のクラスの生徒はあまり来ない。制服のスカートに、ミルク色のレースつき靴下。上履きはきれいで、手首のプラチナの花のブレスレットが灯りに光っていた。ここに立つと、自分でも場違いに思えた。


 教師たちが、ときおりこちらを見た。同級生ほど露骨ではないが、それでも落ち着かなかった。うつむいて歩きながら、さっきの「誤解してない」をまだ考えていた。食器の台車を押す女性にぶつかり、慌てて謝った。


 小さな声だったのに、蒼介が振り向いた。まだいるとは思わなかったように眉を寄せ、布巾を持って、もっと遠くのテーブルへ向かった。


 中年の男が、電話をしながらトレーを持って座った。指先で、無造作に彼を指した。


「そこの生徒。そう、君。こっち来て、水を拭いて」


 蒼介は戻り、身をかがめて、ほとんど見えない水の跡を拭った。男は小指を立て、トレーの縁を持った。


「この二つと、後ろのあそこ。全部、君が拭いたの?」


「はい」


 背が高いため、普通に人を見ても、見下ろしているように映った。男は顔を上げ、目が合うと、眉をつり上げた。


「ずいぶん堂々としてるね。何組? 誰の紹介で来たの。食堂を長く任されてるけど、布巾を絞ることすらしない生徒の手伝いなんて、初めて見たよ」


「働くなら、ちゃんとやりなさい。学校が機会を作ってあげてるんだ。家が大変だからって、周りに何かしてもらって当然だと思わないように。あとで校長先生が来るんだよ。こんなに濡れたテーブルで、どうやって食事するの。裏を回ってくるから、戻ってもこのままだったら、もう来なくていい」


 夏帆はテーブルを見た。ごく薄い水の跡は、頭上で回り続ける扇風機の風で、すぐに乾きそうだった。それでも蒼介は何も言い返さず、バケツへ布巾を入れ、もう一度洗った。


 夏帆は近づき、バケツのそばへしゃがんだ。床は拭かれたばかりで、洗剤と料理の匂いが混じっていた。スカートが床へ触れたので、片手で持ち上げて膝に挟み、水の中へ手を入れた。


 家事に慣れない手で、不器用に二度ほど揉み、それから力いっぱい絞った。指先まで赤くし、全身の力を使うようだった。やっと毛羽立った古い布巾を広げ、両手に載せて見せた。


「はい。もう、水っぽくないよ」


 立ち上がった顔の口元に、浅いえくぼが二つできた。



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