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〈祈りの塔〉を出た神子は、本当の世界を知らない  作者: うなぎ
砂漠の村編

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6/11

アーロンの秘密



 しばらく歩いて、僕たちはオアシスから離れた。男が僕たちを追ってくることもなく、無事に逃げ切ることができたようだ。

 建物にもたれかかりながら、少し小休止。別にすごく運動してたわけじゃないけど、緊張で体が疲れてしまっていたから。


 ただ無言でいるのも空気が悪くなるので、僕はセシリーに話しかけた。


「あの人は、セシリーのお兄さんなの?」


 お兄ちゃん。

 知識としては知っている。同じ母親から生まれた子同士で、先に生まれた男の子を指す言葉。つまり、あの人とセシリーは兄妹ってことなのかな。


「うん、あの人ね、セシリーのお兄ちゃんなの。アーロンお兄ちゃんって言うんだ」


 アーロン、それが彼の名前らしい。


「家にはいなかったよね」

「うん、あまりあの家には帰ってこないの。独り立ちして、自分の家を持ってるから」

「仲、あまり良くないのかな?」

「昔はそうじゃなかったんだけど、今は……。砂人形もね、お兄ちゃんが教えてくれたの。砂ばっかりで何もないこの村で、セシリーが少しでも楽しめるようにって。泥だらけになって、一緒にお人形作ったの」


 いい……お兄さんのように聞こえた。

 けれどさっきみたあの人は、セシリーの言葉からは想像もできないほどに悪人に見えた。そのまま殴りかかってきてもおかしくない、そういった性格……というよりも精神状態の悪さが付き合いの少ない僕でも十分に伝わってきたのだから。


 本当に彼――アーロンさんはセシリーのお兄さんなの?


「セシリー、どうすればいいのか分からないけど。すっごく上手い砂人形を見せたら、お兄ちゃんも……昔のことを思い出してくれるかなーって思って。また、優しかったころのお兄ちゃんに……」

「いつか、そうなるといいね」


 がんばれ、とは素直に言えなかった。だってあの人はそれほどに危険人物に見えたのだから。むしろ……近づかない方がいいと言った方が良かったのかもしれない。


 けれど僕はそれを言えなかった。だって、セシリーがあまりにも寂しそうにしていたから。旅人としてすぐここを立ち去る僕に、そんなことを言う資格なんてないと思った。


「ごめんね。変な話になっちゃって。ミコ! 今日は村の案内をしてあげるね! ついてきて」

「うんっ!」


 それでセシリーの気を紛らわせるなら、僕はそれでもいいと思った。


 その後、僕はセシリーに連れられて村のあちこちを案内された。


 小さな村だけど、そこにはこの地域独特の人々の暮らしがあって、驚かされることも多かった。

 アーロンさんの件は残念だったけど、それでも……僕はこの村での生活が楽しみになった。




  ******


 砂漠の村、夜。


 セシリーの兄、アーロンは村の外を歩いていた。

 砂漠を歩き、小さな丘を越えた先。そこは村からの死角となっており、誰かに姿を見られる心配のない場所だ。村人が寝静まったこの深夜であるならなおさらだ。


「よう」


 目当ての人物を見つけ、アーロンは軽く挨拶をした。

 相手はその言葉を聞き、頭を下げてきた。彼はフードで顔を隠している。が、素顔はすでに知っている。信用のできる人物だ。


「こんばんは」

「いつもすまねぇな。あんたのおかげで助かってるぜ。うちの『親父』はな」

「病気の治療薬はお役に立ったようですね」


 アーロンとセシリーの父である村長は、病に侵されている。


 幼いセシリーはそのことについて理解が浅い。少し長い風邪か何か、という程度にしかとらえていないようだ。

 だがアーロンは知っている。あれは難病だ。まだセシリーが生まれる前、父の父――すなわちアーロンの祖父が同じ病で亡くなったのだから。


 風邪のような症状が続き、やがて吐血が始まる。治療薬が必要なのだが、当時貧乏だった祖父はそれを用意できず……苦しみ亡くなってしまった。

 つまり薬がなければ、父は死ぬ。


 アーロンは父のためにこの男と取引をし、治療薬を手に入れていた。


 薬は祖父が好きなお茶の茶葉の中に混ぜ、無意識に飲ませている。 

 アーロンはこの親孝行を隠さなければならなかった。なぜなら、薬の対価を聞いてしまえば、父親は彼を止めてしまうから。


 そう、対価だ。

 薬はタダではなく、対価を払って得ている。これは、そのための取引だった。


「それではこちらを」


 そう言って、男はあるものを渡してきた。

 それは、紙に包まれた黄色い粉だった。量としては三摘まみ程度で、水があれば簡単に胃の中へ流し込める量だ。


 無味無臭。もう何度も口にしてきたからそれを知っている。これは何度も行われてきた取引であり、アーロンが父の薬を手に入れるための対価であった。


 開発中の痛み止めの治験、と聞いている。

 薬を飲むこと自体は簡単だ。ただ口に入れればいいだけなのだから。ただ……それはアーロンにとって……。

 

「おい……」


 気が付けば、ついそんな言葉が出ていた。これまで、こんな風にこの男に声をかけたのは初めてだったかもしれない。


「この薬は、一体何なんだ?」

「開発中の痛み止め、とお答えしたはずですが?」

「ただの痛み止めなはずがないだろ? こいつを口に入れるたび、俺の頭がおかしくなっていく。考える力を奪われていってるんだ。しかも回復までの時間もどんどん長くなってやがる。今回は一週間で……やっと頭がはっきりとしてきた。なあ、俺はどうなっちまうんだ? その薬は……俺の命に関わるものなのか?」


 つい最近、妹と旅人への悪態を思い出した。それは本来のアーロンであれば考えられない行動だった。この薬が……彼の性格や感情に影響を与えていることは……明らかだった。


「多少の副作用がある、と申し上げたはずですが?」

「俺は……あんたに副作用の報告をした。普通に考えるなら、この薬は失敗なんじゃないのか? 止めなくていいのか?」

「不安なら今日で止めますか? あなたがそれを望むなら、私は別に止めはしませんが。もちろんそれなら治療薬は渡せませんが」

「…………」


 止めるわけには……いかない。

 村長の治療薬には莫大な対価が必要。それは、この小さな村で働く程度では到底稼げない。しかしこの僻地から一人で別の村へ向かおうとすれば、それだけで大事だ。命の危険すらあり、当然費用は並大抵のものではない。


 だから、この取引が必要。

 いや、もはやそれはただの言い訳であるのかもしれない。何度もこの薬を飲むうちに、アーロンは変わってしまった。


 体が……求めているのだ。この……怪しげな黄色い粉を。

 訪れる一時の快楽、万能感。それは今まで経験したどんな快感にも勝る、まさしく天にも昇る心地。


「う……うううううう……」


 アーロンは激しく悶えた。これは良くないものだと、自分の体が十分に理解してる。しかし理性でそうだと分かっていても、もはや自分を……止められそうになかった。

 ましてや、父のためのという免罪符があればなおさらだった。


「はぁ……はぁはぁはぁはぁっ!」


 アーロンは差し出された薬を奪い取ると、紙ごと胃の中へ放り込んでしまった。そして訪れる激しい後悔と自己嫌悪。やってしまった、またやってしまったと反省するがもう遅い。すべては後の祭りだった。

 だが、そんな悩みもすぐに消えてしまう。この薬は……そういうものだった。


「ヒヒヒ、ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ……」


 止めることが、できるはずがない。

 アーロンはその快楽に身を委ね、理性も感情も……すべてを忘れていった。


「少し……濃度の調整が必要なようですね。この二~三倍が適量といったところ。とはいえこれ以上の実験は必要ないでしょう。ちょうど良いタイミングなのですから」


 最後に、男のそんな声を聞きながら、アーロンは完全に理性を消失させた。


徐々に投稿ペースを空けていきます。

最終的には週に1~2回程度に落ち着く予定です。

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