村長の咳
セシリーに連れられてやってきたのは、村の中央にある大きめの家だった。砂を固めて作ったブロックの壁に、ドアのない入口がぽっかりと開いている。僕の住んでいた塔の部屋と比べて、随分と砂にまみれた開放的な建物だと思った。
「パパ~、お客さんだよ~」
セシリーが入口にすっと入っていった。僕もその後ろに続く。
奥には広い部屋があった。足元には絨毯が敷かれ、やはり砂を固めて作ったような椅子とテーブルが置かれている。窓一つなく壁に覆われているため、飛来する砂粒が少なく安心して寝れそうな場所だ。
砂質の椅子に、男性が座っていた。
「客? 客と言ったかセシリーよ?」
そう言ったのは、座っていた人物。頭に布を巻いた白髪交じりの男性だった。少し……顔色が悪いように見える。
どうやら、この人が村長らしい。
「おお、あなたが神官様の仰っていた旅人殿ですか?」
「神官?」
アドのことを言っているのかな?
「〈祈りの塔〉の神官様のことです。あの方にはお世話になりました。我々がこうして新天地で村を切り開けたのも、すべては神子様と神官様のお導き、そして配給ゆえ。ここには魔物もなく、平和な場所で満足しています。」
「それは、移住してきたってことですか?」
「そういうことですな」
ここに元から住んでた人ではないらしい。
とはいえ、この家を見る限り昨日今日やってきたといった様子ではなさそうだ。
「二十年前にできたばかりの、何もない村です。食と寝床の提供はできましょうが、それ以上は期待しないでください」
「えっと、それは分かってます。もてなしてもらおうだなんて思ってません」
「ありがとうございます。ははは、それにしても旅人とは初めての経験だ。狭い村の中で、何ももてなすことはできま…………うっ」
「村長?」
「うう……ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!」
突然、言葉を止めた村長が咳き込んだ。顔色もよくないから、ひょっとして何かの病気?
「パパ、大丈夫?」
セシリーが不安そうだ。
「いやはや、お見苦しいところをお見せしました。最近、少々体調を崩しておりましてね」
「だ、大丈夫なんですか村長さん?」
「はははっ、ご心配なく。大したことではありません。ただ少々喉の調子が悪くなってしまって。喉に効く……特製のお茶を飲めば治りますので。本当に、大した問題ではないのですよ」
そう言って、村長は奥でお茶の準備を始めた。どうやら喉に効くお茶があるらしい。
あまり、村長さんとは長く話をしない方がいいかもしれないね。無理をさせたくない。
なんてことを考えていたら、村長がこう言ってくれた。
「よろしければ、娘と一緒に過ごされてはいかがですか? 丁寧なもてなしはできませんが」
「はい、よろこんで」
セシリーと一緒にいることはとても楽しそうだった。だから僕としても願ったりかなったりだ。
「セシリーと一緒に? 旅人さんが?」
「よろしくね、セシリー。僕は旅人で、名前をミコといいます」
「じゃあミコは今日セシリーと一緒に遊ぶんだね。これから何か予定ある~?」
「ううん、別に何も……」
周りを砂漠に囲まれた、小さな村。正直なところ僕は何をしていいのか分からなかった。旅のしおりに書かれていたこと以外の予定はない。
「じゃあ、今日は外で遊ぶね~。こっちこっち~」
僕の腕を掴んだセシリーは、笑いながら外に出ていった。
元気いっぱいの彼女の勢いに押され、僕はつられて外に出ていくこととなった。
外に出たセシリーと僕は、そのままの勢いでオアシスへとやってきた。
オアシス。
飲料水であり生活用水である村の要。近くでは作物を作っているらしく、村人たちが水を撒いたり土を耕したりしている。
「あっ、暑いからってここで泳いじゃ駄目だからね」
「うん。見ず知らずの泉で泳いだりなんかしないよ」
「セシリー、昔、この泉で泳いでて怒られちゃいました」
「そ、そうなんだ……」
この水が飲み水にもなるんだよね。そんなところで泳いでしまって文句を言われる理屈は、まあ、分からなくもないと思った。
「でもここは涼しくて気持ちいいのー。セシリー、暑いときはいっつもここで過ごしてるのー」
「そうだね、確かに心地いいかも」
周囲の植物のせいか、ここの空気はほんの少しだけひんやりとしていて心地よいかもしれない。
「今日はここで昼寝しようかな」
「昼寝するの?」
「お昼寝気持ちいよー。ミコも一緒にしようっ!」
そう言って、セシリーは草の上に寝転がった。
え、本当に今から昼寝するの? いや、僕は別にいいんだけど……本当に自由奔放な子だな。
そんなことを考えながら、地面に座り込んだその時。
「ちっ」
誰かの、舌打ちする音が聞こえる。
振り返ると、木の陰に男がいた。短髪の若い男だ。こちらを睨みつけながら近づいてくる。
眠ろうとしていたセシリーが、ゆっくりと上半身を起こし始めた。あまり愉快な表情はしていない。
「てめぇが村長の言ってた旅人か。それに……けっ、誰かと思えばセシリーか」
男は不機嫌そうに唾を吐き捨て、こちらを睨みつけた。僕に対してもあまり良い印象を抱いてはいないようだけど、その視線は僕よりむしろセシリーの側に向いている。
なんだろう? 二人は村の仲間じゃないのかな?
「馬鹿なくせに村長の権力で平和に暮らしてる女。ったく、他の奴らは汗水流して働いてるってのに、今日は昼寝で昨日は砂で人形遊びか? 毎日が休日気分で幸せそうなもんだなぁおい。どういう神経してんた? ああん?」
男が怒鳴っている。言い過ぎ、だと思った。
確かにセシリーは働いてないけど、僕と同じようにまだ未成年の分類だと思う。村を軽く見た限りでは、働いているのは僕やセシリーよりも上の年代の人々であり、それより下の子は遊んでいた。ただ、その遊んでる子供の中で、一番年齢が高いのはたぶんセシリーだと思う。
仮にセシリーが仕事をさぼっていたんだとしても、ここまで怒鳴りつける必要はないと思った。
「うう……」
あまりにひどい暴言に、セシリーが泣きそうになっていた。
僕も信じられなかった。世の中には、こんな風に誰かを苦しめる人がいるんだって。塔にいた神官たちとは全然違う、悪意の塊。僕が直接文句を言われているわけじゃないのに、こうして話を聞いているだけでひどく気分が悪くなっていった。
「あああああああああああああああああああっ! やってられねぇな、やってられねぇよこんな糞みたいな世の中じゃあ! こんな辺鄙な場所に連れて来られて、周りは砂漠で逃げられもしねぇ! 生き地獄だぜっ!」
男は相当いら立っている様子だった。だけど、こちらを睨みつけるだけで暴力を振るってくることはなかった。村長の娘であるセシリーに手を出せば大問題だ。たぶん、そういう理性が働いて力をセーブしたんだと思う。
だけど彼のいらだちは収まることを知らなかったらしく、その悪態はいつまでも止まらない。僕たちは彼の睨みつけるような視線に気圧され、一歩も動くことができなかった。
「…………」
延々と続くかもしれないと思っていた彼の悪態が、突然止まった。
やっと解放してくれるのか、と思ったけど……少し様子が変だ。彼は突然黙り込み、僕たちの方を見ないで明後日の方向を向き始めた。その視線の先には何もない。
なぜ言葉を止めたのか、どういうつもりなのか、僕は全く分からなかった。
「くく、くくくくくくく、クククククククククククククククククククククククククククククククククククククククク……」
いきなり、男が笑い始めた。何の脈絡もなく、本当に突然の出来事だった。
不気味な笑い声に、僕は軽く恐怖を覚えてしまった。狂気的なその姿は、塔の中で出会えることのないタイプの人種。
もう、彼は僕たちのことを見ていない。笑いながら自分の世界に入っているみたいだった。
「お兄ちゃん……」
そう、セシリーが男を見て言った。
お兄ちゃん? お兄ちゃんって……。
セシリーが僕の袖を引っ張った。今のうちに逃げよう、と目が訴えている。
僕もこんな男の相手をしたくはなかった。こくり、と頷いて二人でこの場を立ち去った。
去り際に、ちらりと男の方を見た。彼はやっぱり独り言を呟きながら、誰もいない方向を眺めている。
「…………」
血走った彼の目が、とても怖いって思ったんだ。




