あなたの旅が始まったのですよ
…………。
えーっと、僕は。
旅がしたいって、アドに言った。アドはそれをいいって言ってくれた。それから……どうしたんだろう? 話をしてて、眠くなってきて、それで……。
とりあえず、起きようかな。
「え?」
目を開けると、そこは見知らぬ場所だった。
いつもの白い部屋じゃなくて、とても狭い場所だ。
下は柔らかい材質の椅子。上は金属質の板。それから両サイドには窓があって、はっきり言ってとても窮屈だ。
初めて見るその場所に、僕はただ困惑するばかりだった。こんな場所が塔の中にあったかな? 僕が一度も行ったことのない場所? 一体、何が起こってるの?
「お目覚めですか、我らがミコ」
前の椅子の背もたれから、ひょっこりとアドが顔を出した。
「アド、ここはどこなの? 僕は一体?」
「あなたの望みのままに、ミコ。あなたの旅が始まったのですよ」
「旅が始まった? そ、それって……じゃあここは」
「はい、ここは外。すでに〈祈りの塔〉を出て、私たちは外の世界にいるのです」
改めて、僕は窓の外を見た。
遥か遠くまで広がる窓の外は、ごく少数の茶色い岩と大量の砂によって覆われた荒涼とした大地だった。風に舞う砂塵が窓ガラスを覆っている。どこまでもどこまでも広がるその景色は、遥か彼方の果てまで続いている。つまりここは塔の中の部屋じゃなくて……外、なんだ。僕は金属の箱の中にいるらしい。
外。その単語に、僕は心が震えた。
ここは外。そして、砂に囲まれたこの場所は……ママの話で聞いたことがある。
「これが、砂漠? なんだよねアド?」
僕の言葉に、アドはゆっくりと頷いた。
「外に出たことのないあなたは知らないでしょう、ミコ。〈祈りの塔〉の近くには広い砂漠が広がっています。私はあなたが寝ている間に、この車でここまで走ってきたのです」
「車? 車って、何?」
「私たちが今乗っているこれは車というものです、ミコ。四つの車輪を油で動かし、人よりもウマよりも早く走ることのできる機械です。〈祈りの塔〉から村までの距離は遠いのです。ですから旅としては大変趣に欠ける話ではありますが、私が『送迎』を担当させていただきます」
「そーだったんだー」
この金属の箱は車というらしい。
ああ……まさか。話をした次の日に、こうして外に出してもらえることになるなんて。
「さあ、ミコ。ここからが本当の旅です。あなたはこれから車から降り、この先にある村へ向かうと良いでしょう」
「それが旅なんだね、アド」
「その通りです。自らの脚で歩き、様々な自然を体験し、そこに住む人々と交流する。それがあなたの望みなのでしょう?」
「うんっ!」
そうだ。僕は旅をする。
そしてその果てにママに会うんだ。僕の思い出と、成長と、他にもいっぱい話すことがある。
「ここまでありがとうね、アド。それじゃあ、僕はこれから旅を始めるよっ!」
「ふふふ、威勢がいいですね、ミコ。しかしあなたは外の世界を軽く考えているようだ。もう少し、話を聞いてもらいますよ」
「ん?」
軽く……考えてる?
そうなのかな? まあ、アドがそう言ってるならそうなんだろうね。
「さて、まずは……。あなたは塔の外に出たことがないから知らないでしょうが、外にはたくさんの危険が存在します。恐るべき猛獣、悪意ある人間、あるいは何かの事故であなたは傷ついてしまうかもしれません」
「ええ……そうなの?」
「そうなのです。塔と違い、あなたは動物や他人と触れることになるでしょう。特に人間は、我々塔の神官と違い悪意を持っているかもしれません」
「…………」
悪意、か。
そういえば、昔ママから話を聞いたことがある。この世界には犯罪者がいるんだって。他人の物を盗んだり、刃物で大きな怪我をさせたり、場合によっては殺してしまったり。そんな恐ろしいことをする人間がいるんだって。
「僕……どうすればいいんだろう? 悪い人と戦って、勝てるのかな? 力、そんなに強くない」
「これを」
そう言って、アドは正方形の物体を僕に渡してきた。
銀色で金属質のその物体は、手で触れるとひんやりとしている。太陽の光を反射してきらきらと輝いていた。
「アド、これは何?」
「〈キューブ〉、という名前の護身具です。旅の危険からあなたの身を守ります。肌身離さず持っていてください。ただそれだけで、あなたを守る武器となり防具となるでしょう」
「ありがとう」
何がどう役に立つのか分からないけど、アドがそう言うなら肌身離さず持っておかなきゃね。
「こちらに着替えなどを収めたリュックを用意しました。これを持って行ってください。それと、あなたが外の世界で戸惑わないよう、旅のしおりを用意しました。歩きながら目を通しておいてください」
アドの隣の席には、大きなリュックがあった。その前には旅のしおりと書かれた十枚程度の紙の束がある。
僕は後ろの席から前に乗り出し、その二つを回収する。
「さて、これで準備完了といったところでしょうか」
アドがそう言って前のボタンを押すと、後ろの座席のドアが開いた。僕は、ここから出ればいいのかな?
「じゃあねアド。僕、行ってくるね!」
「しばらく後にまた私が迎えに来ます。その時はまた車に乗り、次の村へと参りましょう。我らがミコよ、どうか良き旅を」
そう言って、アドは微笑みながら手を振って僕を見送ってくれた。
僕は塔から離れ、そして保護者であるアドからも別れて、とうとう本格的に旅を始めることになった。
ああ、これが外の世界なんだね。ママが話していた、夢の景色。




