笛吹き⑤
腹の中にくぐもった声が聞こえてきた。
「静かだな。やっと死んだか?」
「しっかし、こんな古びた笛を肌身は出さず持ち歩きやがって。おかげで手間がかかったじゃねぇか」
村の男の声だった。上の方で下卑た笑い声が交わされている。
「いいのかい?お前の息子」
「いいんだよ。どうせ継ぐもんもない末っ子だ。足りなきゃまた仕込めばいい」
鼠の腹が沸々と煮えくり返る感覚がある。潜り込んだ腹の中に残る消化液が悪さしているだけが原因じゃあないだろう。
村の男はパイパーの笛について話していた。都会ではやりつつある魔法という技術が使える笛だ。家畜の世話がうんとやりやすくなるし、使えなければ売って金に換えればいい。
パイパーが大切にしていた財産が、村の男に雑に扱われていた。鼠は痛くて痛くて仕方なかった。
宝石なんて嘘で、自分の子供を騙してパイパーを連れ出したのだ。パイパーが起きないのも、子供たちがパイパーを踏みつけたのも、鼠が痛いのも全部村の男の嘘が原因だ。
鼠はパイパーの腹の中にいるばかりに、痛みと怒りで爪を立てることも叶わない。爪を立ててはパイパーが傷ついてしまう。鼠は悔しくて恨めしくて痛くて、そのまま中途半端に溶かされて目を閉じた。
次に目を覚ました時、鼠は土の上に顔を出していた。不思議と身体も軽くて、いつもより早く駆けて村まで戻ることができた。がむしゃらに走った割に鷹や梟、猫に見つかることもなく、すんなり村の中に入れたのだ。
村は少し大きくなっていた気がする。以前より古びた道具が少なくなって、錆のない真新しい道具が目立つ。乗ってきた馬車はなかった。
とある家に沿って歩いていると、頭上の窓から声が聞こえてきた。
「ああ、全部あんたが笛吹きさんから笛を譲ってもらったお陰ね」
「そうだな。俺もあの人に頭を下げた甲斐があるってもんだ」
村の男が騙った言葉は嫌に鼠の頭の中を響いて残る。窓に登ると、男は腹が膨れた女の傍で機嫌よく酒を煽っていた。テーブルには、パイパーの大切な笛が乗っていた。
鼠は、それからどうしたかを覚えていない。
確かなことは、鼠は嘘が大嫌いになったこと。今に至るまでずっと嘘つきを探して呼び出していたこと。ただ残念なことに、嘘に敏感なこの耳は嘘の大きさは聞いても内容までは聞き取ってくれない。鼠は力をくれる不思議な場所に穴を掘って、その中で嘘つきを試すことにした。掘り当てた大きすぎる場所は流れが速すぎて鼠も流して追い出してしまうので、そこをいい嘘つきを帰らせる場所にした。
長い時間嘘つき退治を続けるなかで、鼠は増えたがその分頭も弱くなった。最近は嘘の大きさも分からない。きっと「潮時」ってやつだ。
だからこれでいいのだと、顔も忘れてしまった笛吹きの肩の上で変なガラスをぶら下げる男をじっと見る。
鼠との遭遇から三日が過ぎた昼。私は病室の窓を開けて、広場にある銅像の背を見守っていた。
今日は生憎の天気で、分厚い雲が空を覆いつくしている。相応に空気もひんやり冷たく、少し湿った風が吹いていた。
銅像の向かい側、つまり顔が向いている方では伯父たち研究職員が何やら準備をしている最中だ。一人は腰から剣を下げていた。そこから距離を取ったベンチより遠い場所で、トレン町の地主たちと町長が作業を見守っている。ただ恩人さんだけは、窓枠を挟んだ通路に立ち、私のすぐ近くにいた。
「恩人さんは行かなくていいの?」
「良いんだ。あまり近くにいては作業の邪魔になりかねないだろう。ついでに、君の伯父さんから見張りも頼まれている」
「うーん、別に走り出したりしないのに」
これから鼠――トレン町がある地脈に焼き付いた負の遺産が“処理”される。
町民の多くは恩人さんの持つ土地の向こう、私とエンテが見つかった川周囲で行方不明者の捜索中だ。残っていたほかの町民も、国の機関による地脈調査だと濁されて町の外へ非難させられている。詳細を話していないだけで嘘はいっていない。証拠に、誰も失踪していないし鼠も何も言わない。
鼠は風の冷たさを感じられるのだろうか。私を案内して以来、鼠はずっと笛吹きの肩に乗って動かないでいる。私の髪飾りはあんなに避けていたのに、広場の街灯についている鳥の意匠は気にしていないのか、気にならない程あの場所に居たいのか。
魔力が固まってできた存在だという鼠は、魔力を目に集めないと視認できないそうだ。私は一度鼠の案内で洞窟に行ったからか特に気にせずとも見えるし、たまにか細い鳴き声も聞き取れる。これは昨日お見舞いに来てくれたエンテも同じだった。エンテは、鼠の鳴き声を寂しくて悲しそうだと言っていた。
準備を終えたのか、伯父と若い研究職員が右手にペンデュラムを垂らして銅像の前に立つ。もう一人は腰に下げた剣を抜き、いつでも振るえるように構えた。まるで悪者退治だ。
「……いよいよか」
「うん」
恩人さんが組んでいる腕に力が籠る。
まずは伯父が前に出て、右腕を突き出して何か唱えている。多分ペンデュラムが魔法道具で、何らかの効果を発動しているのだろうとは想像できた。残念ながら私の位置からは銅像と地主さんたちに隠れて何を言っていてどんなことが起きているのかは分からない。ただ見ていた人たちの短いどよめきが聞こえてきて、辛うじて伯父が何かを確かめるように頷いたところが見えた。
「何をしているのかな」
「まずは地脈内を探ると聞いているな」
負の遺産は、原因となった人が亡くなった場所が地脈に強く焼き付いてできる。始めはその場所がどこか、魔法道具で探知して正確に把握する必要がある。把握したら焼き付いてしまった魔力地脈から引きはがし、探知した場所に根こそぎ集めて引きはがす。
「……それを、処理して終了だそうだ」
「そっか」
言葉にすると呆気ないものだ。
伯父が後ろに下がり、代わりに若い研究職員と剣を構えた人が前に出る。伯父と同じようにペンデュラムを下げた右腕を突き出した。鼠は動かない。
「集束点をここに!範囲を半径五、深度十五と定める!……シアン、準備は良いかっ」
研究職員の声は伯父より大きくて、こちらまではっきりと聞こえてきた。
「いつでもいい」
「よしっ――集束完了まで五、四、三、二、一!」
やにわに周辺の空気が変わる。ただでさえ冷えていた風はさらに冷たく、鋭く変わって、風が銅像の周りに集まりはじめた。一変した空気に地主たちと町長が後退する。女性の地主さんだけその場から動かなかった。
鼠が大きくひと吠えする。それから銅像の下から黒い靄があがり、風に混じっていく。町のいたるところから黒い鼠が大量に飛び出して、渦巻く靄に合流した。風はつむじ風になって集まり、やがて銅像全体を覆った。鼠が靄に飛び込むたび濃度を増している。
地主たちがちらほらと腰を抜かして座り込むので、私と恩人さんからも何が起きているのか見やすくなった。そのころには、もう渦で銅像のシルエットは分からなくなっていた。
私は瞬きを忘れてそれを見ていた。渇いた喉に唾液を無理やり飲み込んで、懸命に鼠の行く末を見守った。涙が出たのは、きっと開きっぱなしの目が乾燥したせいだ。数粒宙を舞った涙は、風に乗って黒い渦に飲み込まれていく。
「ヂーッ!」
それは激しい感情が籠った、鼠の心からの鳴き声だった。言葉ではないので真相は分からない。ただ聞いた者の胸を強く締め付ける一声は、天に向かって放たれた。
私は知らなかったことだけれど、この時の渦と鼠、そして声は、魔力を集めて感知しなくても分かる状態になっていたらしい。
鼠の一声ののち、黒い渦は大きな鼠の姿に変わった。随分と大きくなった両の後ろ脚を器用に銅像――笛吹きに乗り上げて、太い尻尾は笛吹きの体にぐるぐると巻きつけている。鼠は頭を伯父たちの方に少し伸ばすと止まった。鼠はもう鳴かない。
剣がいよいよ鼠に向けられる。強く踏み込み、遠心力に乗せて振るわれた剣は迷いなく大きな鼠の懐に向いていたのを、その場にいた全員が見逃さない。
鼠は動かなかった。
パリンッと硬い石のようなものが砕ける音がしたかと思うと、間を置かずに鼠の体も粉々になって散った。硝子のように無数のかけらとなった黒い身体はそのまま砂と化して、穏やかな風に乗って広がり、跡形もなく消えていった。
風が一握の砂を私と恩人さんの前まで運んできたけれど、結局触れる前に消えてしまうのだった。
全ての砂が消えると、曇天は大粒の雨を降らせ始めた。次々に落ちる水滴が町中のレンガを濡らし、瞬く間に水たまりができる。伯父たちがペンデュラムや剣をしまい退却の準備を進める中、他の全員は雨に打たれながら動けずにいた。
銅像が濡れ、笛から水滴が滴る。頭上に落ちたひときわ大きな水滴が銅像の輪郭を滑り、左目の凹凸に沿って留まった。いくつかの粒が合流し、頬を伝って落ちていく。
こうして嘘嫌いの笛吹きは処理された。




