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笛吹き④

 嘘嫌いの笛吹き鼠は、一番大きな通路まで私たちを連れてきた。私たちが来た道はその通路への横穴で、ぱっくり開いた穴の先に今までとは比べ物にならない大きな空間が広がっている。岩肌は少し明るい色をしていて、苔がない。左右に道が伸びているけれど、先はあまり見えなかった。暗いわけではなく、本来なら暗闇になるだろうその先がクリーム色に滲んだようにぼやけているのだった。


「すごーい!」

「エンテ、待って!」


 あまりにも明るく、洞窟なのに陰鬱とした雰囲気が皆無な場所だからか、エンテが私の手を離して横穴から広い通路に飛び出した。一歩出たと思うとその足は地面に触れず、ふわりと小さなエンテの体を浮かせて持ち上げる。雨後に水かさが増した川のように、奔流に飲まれるように何度か向きを変えたエンテの体は、そのまま通路の先へと流されていってしまう。


「エンテ!」

 一歩踏み出そうとした横穴の地面に鼠がいて、躊躇した隙にエンテの体は見えなくなってしまった。鼠は黙ってエンテが消えていったほうを見つめている。

 鼠が慌てないということは、これが正しい道なのだろう。仮にも嘘つきである私たちを静かに導いていたこの鼠が、不誠実な態度を取るとは思えない。私は跳ね回る心臓をなだめるように自分の胸に手を置いた。


 叫び声すらあげず消えていったエンテは帰ってこない。この洞窟が笛吹き鼠により地脈に沿って作り上げた場所ならば、この大きな通りも地脈のはずだ。


「ここは東の果て?」

 足元で短い鳴き声がする。

「そう。私たちは“よい子”と認められたのね」


 トレン町の笛吹きは、正直者で嘘が嫌い。よい子は東、悪い子西へ、あなたに笛は届いたか。音色はいつも見張ってる。

 笛吹鼠はどこまでも御伽噺のとおりだった。地脈を辿って、東の一番大きな地脈流まで送ってくれたのだ。鼠基準の“よい子”は鼠の案内で帰り道に繋がる地脈に到達できる。一方で“悪い子”は、鼠を無視して迷うか、鼠を傷つけて怒りを買う。偶然ここまで辿り着くことはあるのだろうか。もしかしたら、来られないよう途中で妨害されるのかもしれない。


「ここまでありがとう、鼠さん」


 足元の鼠を見る。短い鳴き声をあげる鼠は、髪飾りを着けているにも拘らずに今までで一番近くにいた。


「もし見張りを辞めたいなら、ゆっくり休みたいなら、私を探してね。伯父様なら、きっと何とかしてくれるから」


 鼠は答えない。

 私はその小さな頭を指先でひと撫でして、エンテと同じように勢いよく大きな通りに飛び出した。

 見えない水が私の体を巻き上げて奥へ、そして上へと押し運ぶ。視界が暗転する前に、ひときわ大きな鼠の鳴き声を聞いた気がした。




 目を覚ます。視界がしばらくぼやけていたが、どうやら天井が漆喰ではなく木でできているらしいと気が付いた。数回瞬きをすれば焦点が合ってきて、木目もくっきり分かるようになってくる。

 体を起こそうとして、異様に全身が重たいことに驚いた。四苦八苦して寝返りを打ち、やっとの思いで上体を起こす。後になって点滴が刺さってなくてよかったと心底安心した。もし刺さっていたら、今頃針がずれて大変なことになっていただろう。


 部屋は清潔な匂いで満たされている。どうやらここは病院らしい。私が寝かされていたのは窓際のベッドで、隣にあるもう一つのベッドは空いているらしく布団は綺麗に畳まれて使われた痕跡がない。

 私は、ベッドの柵やサイドテーブルに掴まりながら窓辺を目指して移動する。部屋は通りに面した一階のようで、目と鼻の先にはあの銅像広場が伺える。空は雲が多いものの晴れていた。広場にはいつもどおり、笛吹きが演奏をする背中が良く見える。銅像を眺めていると笛吹鼠を思い出して、何ともいえない気分に満たされた。


 暫く窓の外を眺めていると、少し雑なノックが響く。それに応える前にガチャンと扉が開かれた。目線をそちらに動かせば、今すました顔で入ってきたドクターが驚愕の顔に変わる瞬間をしっかり目撃してしまった。絵に描いたような口髭の下で大きな口がパクパクと動いている。


「いつ目を覚まされたんですか!」

「さっきです。えっと……」


 ドクターは急いで私をベッドに戻すと、後ろからついて来ていた看護師に検査の準備だと指示を飛ばしている。状況説明より前に、私は診察や検査で引っ張りまわされるのだった。

 頭に異常がないかの簡単な質問に答えている中で、私が家の前で鼠に会ってから十日も過ぎていることが判明した。東の外れで倒れているところを発見されてから今日で三日。鼠の洞窟に一週間籠っていたことになる。これ聞いた後の第一声でアルバイトと家の果樹は大丈夫かなと言った私に、ドクターたちは潮の塊を噛んだような顔をした。あと脳内の伯父が怒りながら、呆れて泣いているような表情でもっと気にすることがあるだろうと怒鳴っている。


「全くお前という子は……!」


 診察後に焦燥感溢れる顔で駈け込んできた伯父が想像どおりの顔をしてそう言ったので、思わず笑ったら頬をもみくちゃにされてしまった。成人済みの姪に対してすることじゃないと訴えると、ならもっと落ち着いて時と場合に合った対応をしてくれとお小言が追加される。伯父はもっと何か言いたいことがあったようだけれど、脱力するとその場に崩れ落ちた。


「良かった……。本当に」

「……うん、ごめんなさい。心配してくれてありがとう」


 丸まった伯父の背を撫でる。いつの間にか窓の外は見事な夕焼けに染まっていて、広場の銅像が笛の先を夕陽色に光らせていた。


 トレン町では、今失踪する“嘘”のハードルがとても低くなっている。子供の言い訳、戯れ、創作の物語。それらも全て笛吹きの地雷原となり、一気に町民二十五名が行方知れずになった。私とエンテは失踪の第一号で、同日にあと三人いなくなっている。

 戻ってきたのは、現状私とエンテの二人だけ。エンテは私より半日前に恩人さんの土地の外周で見つかって、昨日退院して家に帰ったそうだ。


「二人とも、中程度の魔力欠乏を起こしていた。何か魔法か道具を使ったのか?エンテ君は……ずっと鼠をキャナリと追いかけていたとしか話さんのだ」

「それで合っているの。鼠が私たちを“よい子”と認めて、帰り道に案内してくれたのよ」


 伯父は口調こそいつも通りだが、顔つきは研究者、調査員のそれだった。


「ねえ伯父様。負の遺産で作られた空間は、負の遺産を解決したら中の人は出てくるの?」

「……確率は六割といったところだろうね。空間異常や異界が形成されていた場合、禁足地に認定して臭い物に蓋をするというのが殆どだ。世界的にみても解決した例は数える程しかない」


 解決した調査員が戻ってきたことはあるけれど、それ以前に巻き込まれていた被害者が戻ってきた例はないという。私は話をしながら、どちらにしても洞窟で遭遇した男女は助けるのが難しいだろうなと感じていた。もし出てきても日常生活に戻ることはできないだろう。


 窓の外はすっかり日が落ちて夜に染まっている。建物に沿うように動く小さな動物の影は相変わらずで、ただ今の私にはその鳴き声も良く聞こえていた。遠くからでも見える鼠の中で、あの子はひときわ小さな体で銅像の傍にいる。

 私が窓を開けると、銅像の傍にいた鼠がちょろちょろとこちらに寄ってくる。


「どうしたんだキャナリ。夜風は冷えるぞ」

「あの子に会いたいのよ。きっと笛吹きの居場所を教えてくれるわ」


 器用に壁をよじ登った黒い鼠が窓枠に立つ。伯父は鼠が見えているけれど、鳴き声は聞こえていないのだろう。鼠は短く鳴いて私を呼び、直ぐに通りへ飛び降りた。


「今行くわ。待ってて」

「こら、キャナリ!」


 行儀悪く窓枠を乗り越えて通りに出る。鼠を追いかける私に伯父も慌てて窓から外に出るけれど、目的地は目と鼻の先なのでそんなに急がない。見失っても、優しい鼠は待っていてくれるのだ。

 銅像の足元で止まった鼠は、私と伯父が近くに来たことを確認して短く鳴いた。鼠は銅像を登り、笛吹きの左肩に乗る。


「あなたはそこにいるのね」

 伯父は小さな鼠を凝視して「まさか」と小さくつぶやいた。鼠は答えず、その場から動かない。

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