笛吹き
パイパーは異国出身の曲芸師だった。肩に乗る相棒の白い鼠と、自分で魔法を組み込んだフルートが全財産。故郷を離れ、諸国を渡り歩いて何年が過ぎただろう。芸を売る生活は決して楽ではないが、充実していると胸を張って言えた。
雨が絶えない竹林を歩いたこともあったし、砂漠で遭難して絶世の美人に助けられたこともある。自分が奏でる音楽に乗って即席のダンスを合わせてくる同業者もいれば、邪魔するように大音量の太鼓をかき鳴らす奴もいた。その記憶と経験どれもが宝物で、かけがえのない資産だ。
この町にたどり着いたのは偶然だった。話だけは聞いたことがあって、酒場で出会った人たちが「あの町は農民ばかりで娯楽が無い」「つまらない場所だ」と言っていた。農民ばかりで鼠が嫌いだから、相棒はきっと邪険にされるだろうと忠告も貰っている。しかし次の場所に行くには、どうしても辻馬車でその町を経由しないといけない。どうせ通り道ならば、とパイパーは辻馬車が停まる一晩だけ、町の中で芸をさせてくれないかと町長に打診をしてみることにした。
これが、思いのほかすんなり通った。
「願ってもない申し出だ。娯楽のない町で子供たちが退屈している。十分な礼はできないが、それでも構わないのであれば頼めるだろうか」
パイパーは大喜びで芸の準備をした。殆ど曲芸師がこない町で、子供たちが初めて見る曲芸師が自分になる。これほど名誉なことがあるだろうか。子供たちの心を彩る初めての芸に相応しい舞台にしてみせると宣言して、パイパーは張り切って笛を磨いた。
その晩の芸は、パイパーの人生で一番のできだと自慢できる内容になった。パッチワークのように色とりどりの布で作られた服を纏ってフルートを演奏する。相棒の鼠はお揃いの衣装を着て、曲に合わせてロープの上を軽やかに渡った。相棒とへんてこなステップを踏みながら間抜けで楽しい曲を奏でたり、空の樽を借りて玉乗りをしたり。途中で猫が喧嘩を始めたので、音色で誘って一緒に躍らせてみたりもした。
天敵であるはずの猫と鼠が仲良く踊る姿に子供たちは大喜びで、一晩の芸は最初から最後まで盛況のまま幕を閉じた。
「見たかい相棒。おれたちの芸を、子供たちみんな気に入ってくれていたよ」
相棒の鼠は一声鳴いて答えた。たったそれだけで、パイパーは相棒が同じ気持ちだと理解していた。
翌朝に馬車が壊れていなければ、このままいい話で終われたのに。
洞窟内は平坦で、苔むしている割に滑らない。鼠が先導するまま歩き続けてどのくらい経っただろう。
相変わらず聞こえるかすかな笛の音色に、いつの間にかすすり泣く声が混じるようになっていた。苔に足を取られないよう慎重に運んでいた足取りが加速する。気付いたときには殆ど走るような状態だった。先導していた鼠すら追い越して、声の傍に近寄る。そこでは十歳にも満たない子供が一人蹲って泣きじゃくっていた。
「ぼく、大丈夫?」
かけた声に顔を上げた男の子は、真っ赤になった目元からさらに涙を増やして私に飛びついてくる。懸命にしがみついてくる男の子を何とか抱き留めて背中を擦ると、爆発するように泣き声が大きくなった。
男の子の背後では、別の鼠が一匹こちらを見ていた。
洞窟の壁を背もたれにして座って、膝に男の子を乗せてひたすら背と頭を撫でてやる。泣き声が小さくなるころには男の子はうとうと舟をこぎだして、ずっしりと抱える体の重みが増したと思えばすっかり眠ってしまっていた。それでもまだ、たまにしゃくりあげては泣いている。
脱力して崩れかける体を抱え直して、柔らかい髪を撫で続けた。訳の分からない場所で不安だったのだろう。肩回りの服が涙やらなんやらを吸い込んで濡れているけれど、まあ、今は気にしないことにした。
二匹に増えた鼠は離れたところでじっとこちらを見ている。急かすようでもあるけれど、鳴くこともないし近づいてこようともしない。それをいいことに、私は男の子を優先して座っていた。
改めて男の子の寝顔を見る。何となく見覚えがあったのだ。乱れた前髪を整えてあげて、暫く悩んでようやく思い出した。図書館から紅茶店までの道中で見かけた、お母さんに怒られていた子だ。夕方紅茶店から帰るころには、あのお母さんは子どもがまだ帰ってこないと苛立っていた。まさか、あの時からここに?
ヂヂッと鼠が鳴いた。待ちくたびれたのかと目を向けると、鼠は一匹に減っていた。
「……この子も嘘つき?」
また一度鼠が鳴く。
「重たいから、起きるまで動けないわ。もう少し待ってね」
これには鼠が答えることはなく、ただ少し姿勢が低くなった気がした。それを肯定と見なして、私は鼠から視線を外す。
男の子が嘘つきなのであれば、あの子も笛の音を口から出す鼠に誘われてきたのだろうか。タイミングは、おそらくお母さんとの買い物が終わって遊びに行っている間。嘘をついたのはお母さんとの買い物中と仮定すると、嘘をついてから失踪までの時間がとても短い。そんなに大きな嘘をついたのか、それとも――。
鼠は動かない。
私はいつ嘘をついただろう。何が笛吹の琴線に触れてしまったのか。今日は朝伯父と話したきりで、その中で嘘はついていない。西に行くなという伯父の言葉に“きっと大丈夫”という憶測で答えたことが嘘の判定を食らってしまった?それは、あまりにも理不尽だ。だからおそらく違う。ならば、と前日の記憶も探った。
「あっ」
鼠は動かない。
「……あなた、もしかしてあれに?」
鼠は動かず、長い尻尾がひと振りされた。
「もう、あれは……。悪気はなかった、は言い訳ね」
鼠が尻尾を振ったことを肯定と受け取るなら、とても些細な嘘が原因でここに連れてこられたらしい。きっとこの男の子も、子供らしい些細な嘘でここに来た。なら、同じ日についた嘘で何故連れ去られるまでに私とこの子で差があったのだろう。
足がしびれ始めると、男の子が身じろいで目を覚ました。目の周りが真っ赤で可哀想だけれど、生憎と冷やすものがない。
私を見て目を二、三度瞬かせた男の子は、困惑して顔をゆがめた。
「ああ、泣かないで。私、キャナリよ。この洞窟に鼠さんに連れてこられたの。……あなたも一緒かな?」
「……うん」
男の子はエンテと名乗った。記憶していたとおりお母さんと買い物をしていた子で、怒られた後にむくれて出かけていたら鼠に会ったという。
「買い物中、ぶつかってお店の物を落としちゃった。お母さんに聞かれて、知らない、触ってないって言っちゃった……」
お母さんは男の子が故意に落とした訳ではないと知っていた。私が見たとき怒っていたのは、きっと男の子が知らないと嘘をついたことに対してだ。嘘をつくと笛吹きの曲が聞こえるよ、という脅し文句はトレン町の定番で、外に行くときもエンテの背中にお母さんはそう叫んだという。
町はずれの茂みで蹲っていると、エンテはすぐ近くで鼠の鳴き声を聞いた。鼠が病気を運んでくることを知っていて、素手で触ってはいけないと言いつけられていたエンテは、鼠の位置を確認しようと顔を上げた。
目の前で大口を開けた鼠の喉から笛の音色が聞こえて、気が付いたら洞窟の中で眠っていたそうだ。
今度は静かに涙を流し出したエンテの頭を撫でて、袖で涙を拭く。残念ながら家にいた私のポケットにはハンカチが入っていなかった。
「さあ、もう泣かないでエンテ。笛吹きは嘘が嫌いだけれど、ちゃんと償い……嘘をついたことを反省した人は、お家に帰してくれるでしょう?」
「うん」
「私もうっかり嘘をついちゃったの。一緒に笛吹きさんに謝って、町に帰ろう」
「うん……帰りたい」
泣き止んだエンテと一緒に立ち上がる。足が痺れて少し不格好だったけれど、何とか踏ん張るとエンテの手を握った。
鼠は立ち上がった私たちにひと鳴きして、ちょろちょろと洞窟の奥への案内を再開した。




