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 ハーモニーの木はすくすくと、果実は艶々と今日も元気に実っている。念のため病気や厄介な虫がいないか確認するけれど、いつも大きな問題は見つからない。昨晩の強い風にも屈せず、果樹は一本残らず驚くほど順調に育っていた。


 伯父にメモを残した翌朝、伯父は態々私の家にお礼を言いに来てくれた。加えて、なるべく町の西側には近寄らず過ごすようにとの助言を貰った。私の家は北東の、恩人さんの土地と北の地主さんの土地との境界にある。町から出た西側は加工場ばかりだから、何もない限り行く用事もない。そっくりそのまま伝えれば、伯父は安心してすぐ町へ帰って行った。相変わらず忙しそうだ。


 土曜日、日曜日は殆どの店がお休みだから町に行く用事がない。手のかからないハーモニーの世話はすぐに終わってしまうので、あとはお掃除を念入りにしたり恩人さんが来たり、本を読んだりして過ごすのだ。

 昼食のサンドイッチを食べ終えて、水出し紅茶の具合を確認する。そろそろ温かい飲み物に切り替えたいけれど、家に耐熱カップは私物のマグカップ一つしかない。やっぱり来客用の茶器は早めに用意したほうが良い。


「……今日は来ないのかな」


 午後三時になっても、恩人さんは来なかった。夏から恒例になった週二回のお茶会は、別に必ず来るわけじゃないのだ。恩人さんの土地で問題が起こったときや、地主さんの集まりがあると当然恩人さんはそちらを優先する。予定がわかっていれば次回は来られない、と伝えてくれるけれど、突発的な用事だってあるのだ。だからお茶菓子を予め用意したり茶葉を蒸らして待ったりするなと言われている。地脈経由の通話機があれば断りの連絡が入れられるのにと言われたことがある。けれどあれは高いので暫くお預けだ。


 午後三時半、これからの収穫シーズンに向けて柑橘果樹の指南書を読んでいると、エンジンの音が聞こえてきた。一人用の三輪燃料車で、いつだったか恩人さんが使っていたものと違い完全化石燃料の車だ。排気ガスを浄化するため、排気部にだけ軽い魔法が施されているらしい。

 つば付きの制帽をかぶった男性が車に跨ったまま私のポストに何かを入れて、直ぐに北の土地へと去っていく。町役場の郵便職員みたいだ。なんだかんだ、実際に郵便物を配達した場面を目撃したのは初めてかもしれない。


 本にしおりを挟んで、私は玄関から外へ出る。昨晩の強風は落ち着いて、清々しい秋のそよ風が穏やかに吹いていた。落ち葉がこすれて音を鳴らし、乾いた土の匂いが鼻を掠める。


 ポストから郵便物を取り出していると、遠くでガサガサと草が揺れる音がした。とても小さな動物が草をかき分ける音が、町へ続く土の道の方から鳴っている。珍しい。

 道の両脇に茂っている草はさほど背が高くない。姿を隠せる動物も限られている。ポストの蓋を閉めながら、私の目線は草が揺れる音を追いかけていた。

 数回音が鳴って、草むらの中で移動することを繰り返す。右へ行ったり左へ行ったり忙しない。土の道を渡る動物はいないのに、両脇の草むらで音が鳴っていたことを私は疑問に感じていなかった。

 音に夢中だった私の手からは、力が抜けてしまっていたらしい。持っていた手紙とチラシを落としてしまったのと、左の草むらから動物が飛び出してきたのはほぼ同時だった。


――ヂヂッ


「鼠……」


 土の道の真ん中を陣取る黒い鼠が大きく口を開く。風が少し強くなって、私の後ろから吹き付けた。追い風に乗って両足が動き、鼠の方へと進む。

 鼠は不思議な音で鳴いている。風に乗って広がる音色は、美しくて柔らかく、どこか物悲しい雰囲気があった。私は聞き入って、ただ足を動かす。いつしか鼠との距離は一メールもなくなっていた。



 気づくと洞窟で眠っていた。笛の音はよく耳を済ませないと聞こえないくらい静かなものになっている。鼠はいない。


「ここは……?」


 体を起こして周囲を確認する。光源が無いのに洞窟は全体が良く見えて、様々な色をした苔が生えていることがわかった。始めは苔自体が光っているのかと勘違いしてしまったが、よく観察すれば苔と岩に明るさの違いはないと気づく。

 私がいたのは通路の途中のようで、左右に道が続いている。どちらも同じくらいの暗さをしていて出口の方向は解らない。洞窟内に風はなく、水音もしない。ただどこから聞こえるのか分からない笛の音色だけかすかに漂っていた。


 洞窟は大体三メートル内くらいの高さがあるようだ。幅も同じくらいあって、大柄な男性でも余裕で歩ける。立ち上がると少しだけ右の道を進んだ。数秒待って引き返し、同じだけ左の道も進んでみる。どちらへ行っても笛の音が大きくなることも小さくなることもなく、進むべき方向は分からない。


「……私、嘘をついたのね」


 震えた声はかすかに反響して消えた。笛の音は変わらない。


「笛吹きさん、あなたは嘘つきが嫌いだけれど、償いの機会は与えてくれる……そうでしょう?」


 笛の音は変わらない。鼠が一匹どこからともなく表れて、赤い苔の傍で止まった。


「私は、どうやって償えばいい?」

 鼠が短く鳴いて答えた。


 私は乾いた喉に無理やり唾液を飲み込んで、鼠がいる方へ足を進める。

 同時刻、トレン町では町民の失踪が複数件確認され、町をあげた探索部隊が結成されていた。

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