13 女王の招待状10 ハートの女王
招待状は、どうやら双子ではない者の手に届いたらしい。
今まで着ていたドレスをメアリー・アンにぬがされるのに身を任せ、少しは退屈がまぎれるだろうかと考える。
書状を出した。
白兎が異音を聞いたからだ。
双子が共有する王の夢に何か変化でもないかと呼びつけるものになるだろうと予測したが、やはり招待状は招く客を本能で知っているものなのだ。
思わぬ展開に、女王はいつ以来かぶりにーーー実にルイスが消えてから久方ぶりにーーー訪れた気分がいい時間に機嫌よく微笑む。
薔薇を浮かべた湯にひたり、メアリー・アンに全身を磨かせる。
髪にも手足にも、全身に丁寧に塗られた香油が馴染むころ、女王の元に別のメアリー・アンが何着か替えのドレスを持って現れる。
いつだかにルイスから与えられた道楽だ。
時間が過ぎないせいだろうか。
この不思議の国では元来体が汚れることなどないし、いつも自然に全てがあるべきように整っていて人手などかける道理もない。
ルイスがいなくなって、触れる手がルイスからメアリー・アンに変わったことで道楽としての価値も薄れたが、なんとなく続けてしまって、そのうちそのままこの道楽だけはある種の習慣として女王の元に残った。
自分と庭師と白兎と深く眠り続ける王。
赤い薔薇と美しい庭。
勝手に供される薔薇の香りの茶をたしなみ、貴族を集めた社交の場をもうけ、気紛れに裁判を開き処刑を宣言する。
城の中は薔薇が開く音さえ聞こえてきそうなほど静まりかえっていて、風の音も虫の羽音ひとつ聞こえてこない。
沈黙の城の中で退屈を退屈とも思わずに、女王は王に代わって国を治めた。管理者として。
道楽という言葉は知っていても、その概念は知らなかった。ある日、ルイスが訪れるまで。
『ああ、お美しい陛下。陛下ともあろう方が道楽をご存知ないとは!』
それがなぜだったか、もうすっかり時間の彼方に埋もれてしまって思い出せない。
ともかく、ルイスは女王の世話係とやらの役を好んで引き受け、従者然としてかしずいた。
何が楽しいのか、鼻歌でも歌いだしそうな様子で手ずから紅茶を入れ女王にだれかに用意させた茶は殊更に美味だと教えたこともあれば、自らの膝を椅子として提供し女王の命令に従ってずっと髪を撫で続けたりもした。
髪を丁寧にくしけずり、ドレスを脱がせ、着せて、靴下や靴を履かせる。
『お美しい陛下』
ルイスが教えた遊びを、女王は大層気に入った。
湯殿で湯にひたるのも、そうした遊びの一環。道楽だ。
ルイスの大きな手が女王の平たい体に薔薇の香油を擦り込むとき、髪に馴染ませるとき、その迷いない丁寧な手つきが女王を得もいわれぬ満ち足りた気分にさせたものだ。
ルイスは女王が望めばどんなことでも引き受けた。
ただし、女王の元へ下ること以外は。
『私は旅行者。いずれ時が来れば、去る者でございます』
時など来ない。女王は言った。この不思議の国において、時間が過ぎるなどあり得ない奇跡だ。
『私は一時の夢と同じもの。この国の住人の方々とは一線を画する異人である事実を変えることはできません』
『お美しい陛下。私なき後は、どうぞ、メアリー・アンをお召しなさい。きっと私と同じように、喜んで陛下のお世話をいたしましょう』
それに何と答えたか、女王はもう覚えていない。あり得ぬ仮定だと一笑に付したか、それとも嘘だとなじったか。
思えば、そのときに首をはねておくべきだったのだろう。
首と体を別々にしてしまえばあの目に見つめられあの手に触れられることはなくなるだろう。
そう思うと惜しくなって先延ばしにしたのがそもそも誤りだったのだ。
この世界の住人であれば時間を刈りとれば体も共に消えてしまうからそうはいかないが、ルイスならばあるいはそうならなかったかもしれない。
なにしろ、ルイスの体ときたら常にドクドクと脈打ってこの体はここにあるぞと存在を主張し続けていたから。
『これは鼓動と申します』
胸に耳をつけ興味深く耳を傾ける女王をとろけるような目で見つめ、ルイスは言った。
『私の国では、生きて動いている限り、皆、このような音がいたします』
女王はその音が好きだった。
自分からはしない音だから。
そう言えば、と考えて、何の褒美だったか女王は自分がルイスに胸の音を聞くのを許したことを思い出す。
ルイスは女王の音を聞き、たくさんの黄金が落ちるような音だと目を細めて聞き入っていた。
ずっと続くと思っていた。
ルイスは女王を特別美しいと言ったから。
なのに、ある日急にルイスは消えた。
代わりにルイスが言った通り大勢のメアリー・アンが現れて、ルイスがやっていたことをそのままやるようになったのだ。今のように。
メアリー・アンに寄ってたかって体をふかれ、ドレスを着せられながら、女王は何度目かわからない後悔に物憂げに息を吐く。
(つまらぬ)
ルイスは嘘をついた。
メアリー・アンがやるのはルイスのとちっとも同じではない。
目が違う。手つきも同じようでいて、全然同じではない。物足りない。
だから、いつの間にか道楽だったはずのものは習慣になってしまった。
今日の客はどのようだろう。
ルイスと同じ世界から来たのだろうか?
もしとてもルイスと似ていたら、喜びのあまり首をはねてしまうかもしれない。
女王は酷薄さなど微塵もない無邪気な顔で微笑む。
久方ぶりに訪れた先が見えない接見が楽しみで、鼻歌でも歌いだしてしまいそうな気分だったからだ。




