七~十三
七
パテはほんとに厚切りだった。
三センチはある。有名タレントが食レポにうかがいたいとテレビ局から連絡を受けたシェフが、よこしまな思いからついサービスしすぎたかと思うくらいだった。しかし男によると、これがふつうらしい。どっしりとしたその田舎風パテに男はテーブルにあった黒胡椒をたっぷりと擦りかけた。
「これがいいんですよ」
まるで生クリームたっぷりのケーキをホールごと抱えた小学生のように目をきらきらさせている。そんなのを見させられたらまねしないわけにいかない。浪男も目の前の胡椒のボトルをつかんでガリガリとやった。
たしかにガツンときた。そのせいでパテの濃厚さが増している感じがする。「ほんとだ、こりゃうまい」
「でしょ。前にシェフに聞いたんですけど、東ティモール産の有機栽培の特別な黒胡椒を使っているそうです。ふつうのものより粒が大きくて香りが高い。それを出し惜しみせずにテーブルに並べてるんですからこだわりが感じられますね」
「花山椒に似た香りですね」
「そう。わかりますか」
「中華でよく使うでしょう」浪男は赤坂の四川料理の老舗を思いだしていた。月に一度は界隈のお仲間たちとつるんで個室であれこれ打ち合わせている。とりわけ韓国勢からのアガリをどう分配するかについては、最近のシビアなテーマだった。そのときに供される料理に振りまかれているのが花山椒だった。「舌先がビリビリとしびれるやつ」
「通ですね」
「いや、女房がね、好きなもので。そう、スパイスとかが」ついに浪男は本物のうそをついた。法的にはいまも浪男は独身だった。「料理にいろいろ使うんですよ」そこで浪男は腕時計に目をやる。
うそだろ。
さっき時間をたしかめたときから、十分しかたっていない。あと五十分、じりじりと時がすぎるのを待たねばならない。だがまだ誰にも言ってないが、浪男の決意は固かった。ハセガワが倒れる直前だったか、やつにだけは冗談めかして口にしたことがあった。まさしくやつも「ご冗談を」と受け流した。でも浪男は本気だったし、そのためのクソ面倒な手続きもぜんぶすませてきた。
引退するのだ。
きれいさっぱりと。
まわりの連中はあたふたするだろうが、もう知ったこっちゃない。これはおれの人生だ。考えるまでもなく、おれはやりすぎるぐらいやった。シュウさんを引き継いでむしり取れるところからは力づくで頂戴してきた。
カネを。
でももうそんなものには用がない。決めたんだ。静かに暮らすって。あとは里奈がどんなふうに成長するか、それだけを見届けられればじゅうぶんだった。
「わたしなんてこの年で独り者ですからね。料理はいやでもしなきゃいけない。なんとなく身に着いてしまいましたよ。だからスパイスのこととかも自然と興味を持ちまして。出張先では必ず地元の市場をのぞくようにしているんです」
「スパイスを買われるんですか」そう訊ねながら、浪男はウェイトレスを目で探した。ねっとりとしたパテ、エアコンはきいていても高い窓からはさんさんと真夏の日差しが降り注ぐ。ビールもいいが、そろそろ目先を変えたほうがいいだろう。
「ああいう市場だと、キロ単位でしか買えないでしょう。眺めるだけですよ。それがまた楽しい」
「グラスの白を」目が合うなり、すばやく近づいてきた彼女に浪男はそっと告げる。
すると隣の男が教えてくれた。「ここはグラスもわりと種類があるみたいですよ」浪男の背後に目をやっている。
「なるほど」浪男は振り返り、ワインリストがわりに黒板にぎっしりと書きこまれたグラスワインのメニューを見入った。「結構ありますね」
価格はどれも八百円程度。量はわからないが良心的だ。
「前はカリフォルニアのシャルドネが良かったんですよ。でもそのときはおなじワイナリーのソーヴィニヨンブランも気になっていたんです」
「ございますよ。一番下に書いてあるのがそれです」彼女がそっと指さした。「とてもすっきりとしてパテなんかによく合うと思います」
「じゃあ、それをいただこうかな」浪男は注文し、自然と男のほうに目を向ける。ちょうどつぎの便が轟音をあげて離陸を開始したときだったので、男はむだに声には出さず、立てた人差し指で自分の胸を二度叩き、ウェイトレスに合図した。
白ワインは水のように透明感のある色合いだったが、ウェイトレスの言うとおり、ほのかな酸味のある滑らかな味わいだった。なにより驚いたのは、カップルにサーブするかのようにおなじ盆で運ばれてきたグラスだ。ドボドボという表現がぴったりの大盤振る舞いの注ぎ具合で、八割方が満たされていた。酒飲みの乗客を相手にしたキャビンアテンダントが、何度も呼びつけられるのが面倒だから最初の一杯から恥ずかしげもなくグラスのぎりぎりまで満たすことがあるが、まさかそのつもりじゃあるまい。だとしたらなかなかのサービスだ。
「うん、最高だ」
男はきんきんに冷えた液体を口にふくみ、目を閉じてごくりと喉ごしをたしかめると満足げにうなった。
「バンコクだとこの値段では出せないですよ。おなじ輸入品なのにね。その意味じゃ、日本はワインに関しては意外と価格が落ち着いていると思います。もちろんイタリアやフランス、それにアメリカなど原産国とはくらべるべくもありませんがね」
「世界中を飛び回っている感じですか?」
男はうれしそうに微笑みながら、パテの付け合わせである大ぶりのキュウリのピクルスをカットして口に放りこむ。手つきがなんだかピアニストのように華麗で繊細に見えた。自分にはない部分だ。浪男はうらやましかったし、妙な興味を覚えた。
「飛び回るってほどでもないですけど、出張は多いですね。海外のクライアントに会いに行ったり、請け負った仕事の現場が海外だったり。貧乏暇なしですよ」
この年齢で海外の現場を回るとは、一線の営業マンだろうか。だがあまりずけずけと訊ねるのも失礼だ。そう思っていたら向こうが察してくれた。
「ずっと自分で商売をしていましてね。自営業なんです」
「ああ、それならいま五十九でも定年後のこととか心配しなくてもいいわけですね」
「ええ、その点はたしかにそうですね。けれど、これまでサラリーマンのような安定した仕事というわけではなかったですからね。浮き沈みが激しいので、ざっとならしてみるとカツカツですよ。だからこれからも懸命に働かないと。たとえ海外に出かけても、なにかから解放されるとか、現実逃避するとかいうような気分にはなれませんね。長年の習い性なんですけど、ぱっと仕事をこなしてさっと帰ってくる。それでまた――」
「海外出張というわけですか」浪男は小さくグラスを掲げる。
苦笑しながら、それに男も応じてくれる。「だけど若いころは、わたしだって放浪の旅に出たことがありますよ。学校を卒業して一時勤めたんですが、三十歳で退職して、その後、世界中を三年ぐらい転々としていたんです。もちろん貧乏旅行ですけどね」
「すごいな」さすがにそれには浪男も感嘆した。「三年もですか」
「いわゆるバックパッカーみたいなやつですよ。身一つであちこちに。自分探し、モラトリアム、要するに現実逃避ですね。カネはなかったけど、時間はふんだんにあったから、その日その日の風に吹かれてあちこち回りました」
「うらやましいなあ」
「いまにして思えば、なんて贅沢な時代だったことか。自分でも憧れてしまいますよ」
「わたしは学校を出てからずっと働きづめなものでしてね。ある意味、流されるままに生きてきてしまった」
あの暗黒大陸でね。
記憶の端になにかがひょっこり顔を出しそうになる。
「流れにあらがって飛びだしてみるなんて考えもしなかったな」
落ち着け。
あと小一時間で浪男は自由人となる。その意味では、そこがスタートラインかもしれない。あらゆる腐ったしがらみからいよいよ解放されるのだ。そうだ。バックパッカーになって世界を放浪してもいい。
でもどうだろう。
浪男はふと考える。
若いころ、それこそ社会の荒波にもまれる前、純真無垢の世間知らずだったころの放浪旅は、そこで会得したなにかを己の将来に生かせるのではないかという着地点があったはずだ。つまり、たとえ長期間、僻地をさまよったとしても帰るべき場所が用意されているのだ。しかしいま、これから浪男が飛びこもうとしている世界は、まさしく逃避行だ。なにも警察に追われているわけではない。だがいまは、もう昔のやり方が通用する時代じゃない。抑えても抑えても、まるで死肉からウジ虫がわきだすように新たなカネの亡者たちが手を変え品を変え、目の前に現れてくる。ゴッドファーザーがすべてを決める時代はとうの昔に終わっている。業界の秩序なんてみじんも気にしない連中をこれから先もたった一人で相手にしないといけない。だったら、そのままカネを持ち逃げしてどっかに消えてしまいたいと考えても、神さまはお目こぼししてくれるんじゃないか。
認めたくないが、それもこれもハセガワがいなくなったせいだ。わかっているつもりだったが、それくらいやつは大きな存在だったのだ。
八
≪放浪の旅……初耳だな≫
≪わたしもです≫
≪三崎の登記簿のほうはどうだ≫
≪まだです。週明けになるかもしれません≫
≪土曜だからな。しかたないさ≫
≪古民家ですかね≫
≪どうだろう。平屋だからそうかもな≫
九
きっかけはあの連ドラが予想外にヒットしてしまったことだった。ちょうど一年前の出来事だ。表向きは公共放送を標榜する渋谷の局の看板ドラマ枠だし、脚本がいまをときめく西尾勘吉だったこともあり、それなりに数字は稼ぐかと思っていたが、主演に抜てきしたまだ十七歳の水沢汐里が想像以上に瑞々しい神がかりの存在感を見せて一気にブレイクしたのだ。
そこまでならよくある話だし、浪男がシュウさんから受け継いだブリッジランド・エンターテインメントの直系であるベータラインの東――浪男の子飼いの社長で、ちょっと前までハセガワに仕えていた――が買収した弱小事務所所属のタレントの一人が汐里だったわけだから、浪男としては満足こそすれ、腹を立てる理由などあるわけがなかった。
ところがドラマがまだ終わらないうちに届いた週刊誌のゲラが、浪男の奥深い部分に爪を立てた。共演者に手を出されたぐらいだったら問題なかった。カネですべて解決できる。しかもこっちは受け取るほうだ。だが見出しをひと目見ただけで、浪男は気分を害した。業界秩序の根幹にかかわる事案だったのだ。
ベータの東を即刻呼びだした。たしか夜中の一時だったか。やつはまだ記事を読んでいなかったが、いい話であるわけがないとは察知し、オフィスにやって来たときは、顔を引きつらせて神妙にしていた。浪男はくしゃくしゃに丸めた記事のコピーを放り投げた。東は怖々とそれを広げ、読み進めるうちにみるみる顔から血の気が失せ、石像さながらに凍りついた。浪男のほうに目もあげられない。もうそれでわかった。
汐里とは、東とハセガワといっしょに一度、食事をしたことがあった。緊張のせいもあったのだろうが、口が重く、曲がりなりにもはきはきしているとは言いがたい印象だった。だいじょうぶか、この娘。すくなからず心配した記憶がある。だがしばらくして、それは大人の世界、これから自分が進むことになる業界のがんじがらめの体質について、未知の惑星に到着した飛行士のようにガイガーカウンターを手に慎重に探索しているように思えてきた。
「作曲とか絵を描くとか……そういうのもしてみたいです。でもそれは個人……っていうのかな。趣味みたいなものなんで」
あのときたしか、子どもが砂場で使うブリキの熊手のようなもので胸の奥深くをカリカリと撫でられたような気がした。懸念はすぐに消えていったが、病巣はすでにそのときから育っていたのだ。元の事務所の何者かが入れ知恵したか、策略とも呼べぬ汐里自身の愚かな暴走なのかもしれない。しかしこれは色恋沙汰とは次元がちがう。
独立は。
このあとのドラマ出演はもちろん、CMからイベント、広報大使まで、あの小娘に関してどれだけの営業権をやり取りしていると思っているんだ。この先もう終わりの見えた出がらしの女優とはちがうんだぞ。東の目の前で浪男は、記事に登場する局のチーフ・プロデューサーに電話を入れた。記事では、関係者の話として、汐里がベータラインを辞めて個人事務所を立ちあげるとされ、「新しいタイプの俳優を目指したい」との本人の発言が掲載されている。ドラマのクランクアップの打ち上げでの出来事とされ、その場を仕切ったのがそのチーフ・プロデューサーだった。
半ば公の場でなぜそんな発言をさせるのか、そもそも小娘の暴走に気付かなかったのか。ひとしきり詰問したあとで、浪男は言い放った。
「ドラマは最後まで撮ってくれていい。こないだ見せてもらった決定稿通りだ。いまから変えたら逆に勘繰られるからな。でもそれ以外の稼働は、メディアの取材もふくめていっさいなしだ。番宣番組にも使うな。わかったな。それと、もしあんたが汐里の今後のことでメディアから取材を受けるようなことがあれば、こう言ってやれ『いいものを持っているから、あまり焦らないほうがいい。しばらくどこにも出ないというのも選択肢の一つだと思う』ってな」
ひと月ほどで連ドラは終了し、言葉通り、汐里はベータラインと縁を切って独立した。元の事務所の社長からも徹底的に事情聴取を行ったが、どうやら汐里はたった一人で浪男に歯向かったようだった。だが浪男はそんな小娘相手にいちいちいきり立つ男でないし、そんなひまもなかった。汐里はその時点で二年先まで、連ドラと映画の撮影でスケジュールがびっしりと埋まり、CMも七社が決まっていたが、すべてご破算となった。あとは汐里が自力で仕事を見つけてくるほかないが、テレビも映画会社も広告代理店も汐里に声をかけなかったし、本人からアプローチを受けても耳をふさぐことにした。浪男が積極的になにか働きかけたわけではない。ただ、こういうときの作法について、多くの関係者が熟知していただけの話だ。へんなまねをして、ブリッジランド系――というか息のかかった事務所――の俳優やタレントを引きあげられたらたまったものでない。
水沢汐里という芸名を使えなくなったのも、法的根拠があるわけでなかった。ただ、風のうわさかなにかで彼女の耳に入り、悔し涙に暮れる一方で、すでに仕事にあぶれていたことから己の所業の罪深さに気付き、別名を名乗ることでしか道は開かれないと悟ってくれた。だが芸名を変えたところで、ひびの入ったグラスに手をつける者はいない。彼女はまさに趣味として数少ない仲間とバンドを組み、音楽ライブを行ったが、所詮はアマチュアの話だった。客は集まらないし、耳障りのいいことを言ってくれる無責任な連中が集うネット世界に救済をもとめたところで、それが現実の力になることはなかった。
カネという最大の力に。
芸能界はプロの世界だ。プロとは何者か。それが身に染みて理解できるようになるまで、多くの夢想家たちが失敗を繰り返し、暗黒世界で途方もない時間を費やさねばならない。だがそれこそが一つのチャンスなのだ。なのにあの小娘は敵前逃亡するかのようにその道から自ら外れ、イバラの生い茂る荒地に飛びだしてしまった。「あっちはどんな感じなの」山小屋の主人に訊ねるべきだった。そうしなかったのなら、あとは勝手にするがいい。
浪男からすればそれらは至極常識的な対応だったが、陰でその冷酷さを非難する連中がいないわけでなかった。逆にすこぶる狡猾なやつらもいた。あえて彼女をパージしている姿を見せることでうまいこと取り入ろうというのだ。長年この世界で過ごしていると、そんな連中が出現するのはめずらしくない。だからこれまた浪男は放っておいた。それがキングの“承認”だと受け止められ、一部でますます彼女を追い詰めようとする動きに拍車がかかった。
演奏会場を貸したライブハウスと絶縁したプロダクションの社長もいれば、所属タレントたちにあの小娘と連絡を取ることさえ禁じた事務所もあった。なかには一人ひとり、スマホを開かせ、LINEやメールを送っていないかチェックしたところも出てきた。ほとんどいじめの世界だが、それらがいちいち浪男のもとに伝えられるのである。なにより彼らにとってはそれが肝心だったからだ。
「ちょっとやりすぎじゃないかって」
ぽつりと漏らしたのは、シュウさんのころから腐れ縁の圭子さんだった。いつもの四川料理屋の個室でメシを食ってるときの話だ。ぷりっぷりのイカと野菜をあんかけにした名物のひと皿がちょうど目の前に並んだときだ。こともあろうにベータの東が話していたというのだ。
「そうかもな」
浪男はさらりと受け流し、そのあとも平静を装って黙々とメシを食らいつづけた。なに一つ味がしなかった。
よりによっておまえが言うことか。
ずっとそのことが頭のなかをめぐりつづけ、しまいには吐き気さえ覚えるようになって、みんなを送りだしたあとで浪男はしばらく個室で動けなくなってしまった。東は傘下の有象無象たちがトチ狂ったまねをしていることをあげつらっただけなのだろう。それは頭の真ん中で理解しているつもりだった。しかし回り回って、浪男自身が批判されているように思えてきた。だけど、そもそもおまえさえしっかりしていれば、今回の不始末は起きなかったんだぞ。煮えくり返ったはらわたで全身が溶けてなくなってしまいそうだった。
浪男としては、これまで通りのやり方で筋を通したにすぎない。しかもいま起きていることは、おれが直接指示したものではない。それがなぜ責められねばならない。非があるのは思いあがったあの小娘のほうで、こっちはそれを正した。そこから先はまわりのやつらの問題だ。
それなのに。
飼い犬に手を咬まれたような気分だった。
「ルールはね、守らないと」
ハセガワの声がした。
やつはいつだって浪男の死角に控えていた。圭子さんといっしょに帰ったと思っていたのにいつの間にかもどって来ていたのだ。
「みんな、わかってる。東だってそうだと思う。ただ、やつはいつだってひと言多いんだよ。まったく困ったもんだ。あとでよく言っとかないと」
あのしゃがれ声で告げられると、どういうわけか気分が落ち着いた。考えるまでもなく、やつとの付き合いは長い。浪男が三十になった年、シュウさん肝入りの演歌歌手の付き人として事務所に入ってきたのがハセガワだった。浪男と同い年で、その後、浪男が社長になってからは、関西弁を完全に封じこめ、まるで一心同体の存在としてつねに影のようにそばを漂っていた。まさに空気、というか非常時に使うガスのような存在で、ほどなくして広報――という名のメディア対策――を取り仕切るようになった。その時点で浪男がもっとも信頼できる同僚となっており、今回の一件のもとになった記事のような不都合な話が出てしまったときは、全力で戦い、傷を最小限に抑えるべく尽力してくれた。
「秩序ってものは必要だよな」浪男はぽつりとつぶやいた。
「当然だよね。逆にこういう時代だからこそ、言うべきことは言っておかないと」
こういう時代か――。
そういう時代を浪男もハセガワも手探りで進んできた。ときには絞めることも必要だった。「この世界は自由競争であるべきだ」なんて一人で粋がって業界全体のバランスを失するようなまねをする輩――あえて名前を思いだすのも不愉快だった――がいれば、やむなく強硬手段に踏みきり、こっちも危険な橋を渡らねばならないときだってある。
だがそれはどういう時代だ。それを考えたときにつねに頭をかすめるのが、シュウさん、土橋修司がぎんぎんだったころだ。ひと言で丸めるわけにもいかないが、それは八〇年代と言われている時代、バブルの泡がどんどん膨らんで天国が透けて見えるくらいになった当時の空気感のことだ。いまからすれば、能天気すぎるくらいなんでもありの自由な時代だった。ネットもスマホもなかったが、テレビは夜になると中学生が音を消しながら親に隠れてこっそり見るものばかりやっていたし、深夜ラジオにもみんなでせっせとハガキを書いた。だからさびしさや焦燥感を癒すすべには事欠かなかった。
それがいまじゃどうだ。
格段に便利になったのはまちがいないし、最近じゃ、駅の便所に紙がなくてしかたなしに使ったティッシュペーパーが溶けずに詰まって、最悪の事態を迎えるなんてことは考えられない。地方の気の利いた駅舎なんかに行くと、最新鋭のウォシュレットに出迎えられ、腰かけながら思わず微笑んでしまうことだってある。ところが用を足してすっきりしたはずなのに、人前に出ると急にそわそわしはじめる。まあ、個室のなかでもずっとそうだったんだろうが、スマホの神さまにお祈りをつづけ、片時たりとも手放したり、目を放したりすることもできない。それでせっせと言葉狩り、不適切狩り、人間狩りに没頭し「いいね」がついたら万々歳。翻って自分はと言えば、余計なことは一切に口にせず、もちろん行動もせず、防犯カメラやドライブレコーダー、それにたったいまわきを通りすぎたばかりの見知らぬ女のスマホカメラに捕捉されないよう、警戒を怠らない。まるでリアルゲーム。やられたら一発アウト。デジタル・タトゥーとして末代までの汚名となる――と信じきって
おびえている。
自由で万能感に満ちた社会であるはずなのに、この閉塞感はなんだ。やりすぎってなんだ。おれはただ――。
なあ、シュウさん。
十
1984年5月
あの年は免許を取ってまだ二年目だったが、シュウさんはもうおれに運転をまかせるようになっていた。お仲間相手にカネもうけの算段に忙しく、バックシートも貴重な密談会場となっていたのだ。その日も昼飯のあと、麹町まで客を送ることになって、おれが漆黒のジャガーのハンドルを握った。ゴールデンウィーク明けの初夏と呼ぶにふさわしいさわやかな陽気だった。
車をぶつけちゃいけないと緊張もしたし、それも業界修業のうちなんだと自分に言い聞かせていたが、運転しないとうまくならないからとシュウさんは言ってくれていた。それに自分で言うのもなんだが、運転には自信があった。花にたかったアブラムシの一群さながらに両わきに違法駐車の列ができた表参道の並木道での、わずかなすき間を狙った縦列駐車は得意だったし、ちょっとビビりそうなやつらが巣食う歌舞伎町の袋小路の奥から最小限の切り返しで抜けだすのも苦でなかった。人間には一つぐらい他人に自慢できるものがないと、息が詰まってそのうちにっちもさっちもいかなくなる。それが自分にとっては車の運転なのだと思えたし、はっきり言えば、シュウさんにとってジャガーの一台や二台、はした金で手に入る代物にすぎなかった。
客が降りてからもおれはそのままハンドルを握り、原宿に向かった。グループサウンズなんてものが流行っていた時代、シュウさんとバンドを組んでいた仲間――いまも良好な関係を保つ同業者の一人――とこれまたカネの打ち合わせがあったのだ。
「ちょっといいか」
ぼそりと後ろから言われ、反射的にウィンカーを左に出して減速した。竹下通りをすぎたところだった。目の前にひときわ人だかりのできた店があった。クレープ屋だ。シュウさんは甘いものに目がなく、ここにもよく立ち寄っていたから買いに行かされるのかと思ったが、そうじゃなかった。
路肩に車をとめるやいなや、シュウさんはバックシートから飛びだし、クレープ屋を通りすぎて早足で雑踏をかき分けるようにしてひょいひょいと進んだ。おれはその先に目を凝らし“獲物”を見つけた。こういうのははじめてじゃない。前にもあった。この世界の最大のフィクサーのように思われているが、じっさいには今でも現場の一線に立って目を皿のようにして探していた。
ダイヤの原石を。
美人だとかカッコいいだとかいうレベルではない。当人は気付いていなくても、誰の心も夢中にすることのできる光を放つ若者が存在する。有象無象であふれ返る砂浜から、たった一つのきら星を見つけるのだ。シュウさんはいまなお、それに命をかけていた。この男はどことなく常人とは異質だと感じ、つい引き寄せられてしまうのは、こういう一面があるからだった。
彼女は陽光にきらめく草原を跳ねる子鹿だった。
きりりとしたショートボブ。小柄な体に白いブルゾンをはためかせ、デニムのミニからのびる細い脚で、まるで追いすがるシュウさんを嘲笑うように男や女たちの合間を闊歩する。まわりの者たちのほうが自然と道を開けているのが、ハンドルを握りながらも見て取れた。
それでもシュウさんは追いついた。おれはそろそろとジャガーを進め、ついに声をかけられて彼女が振り向いた瞬間、ブレーキを踏みしめた。シュウさんの背中から十メートルのところだった。すっと通った鼻筋に頬をはたかれた気分だった。日焼けした体にブルーの麻のジャケットを羽織った、いかにも遊び人風の中年男に向けられたまなざしには、困惑と怯えのなかに、まっすぐな気位のようなものが感じられた。あとで話してくれたが、シュウさんはその瞬間に決めていたという。もしあのとき、わずかでも迎合したり、期待するようなそぶりを見せたら、その場で踵を返していたよ。こっちもそんなにヒマじゃないからな。そうつぶやいて親指を立てたが、そのときのシュウさんの顔がいつもとちがった感じに見えたのを覚えている。
セカンドバッグにしのばせていたコンパクトカメラで何枚か写真を撮らせてもらい「モデルの仕事に興味があれば、ここに電話してほしい。いろんなオーディションも紹介できるから」と伝えてシュウさんは名刺と会社のパンフレットを渡した。
一週間ほどして尾形渚から電話があり、あらためてシュウさんは彼女と面会した。ホテルのラウンジだった。
「あのときは友だちと会って帰るところだったんです。うちは鎌倉です」
あらためてオーディションの話をしたあと、もう一度、こんどはスタジオできちんと写真を撮ることになり、シュウさんといっしょにジャガーのバックシートに収まったときにぽつりぽつりと話しだした。
短大に入学したばかりの十九歳。おれとおない年だったが、生まれも育ちも別世界の存在だった。
「高校までバレー部で、ほとんど部活漬けの生活でした。大学は英文学科です。英語が得意で、なにか仕事に生かせればと思っています。サークルはテニスと一応、アナウンス研究会に入りました。母は地元の市場に勤めていますけど、いまはちょっと体調を崩して休んでいます。でも母もわたしも料理が好きで、いつもいっしょに作っています。テレビは……わりと見るほうですかね。バラエティーとか。大学が青山にあるんで、買い物とかはそのあたり。原宿もよく行きます」
「大学だとクイーンコンテストとかあるよね。そのうち選ばれたりするんじゃないかな」シュウさんは写真を撮るかのように両手で画角を作って彼女のほうに向けながら訊ねた。
「そういうのがあるって聞いたことがありますけど、うちの学校、ものすごくカワイイ子が多いんですよ」
「高校時代、街でスカウトされたことは?」
「ないですよ、ぜんぜん。新興宗教の勧誘とか難民募金で声をかけられるぐらいです」おどけた調子で言い、ぺろりと舌先をのぞかせるのがバックミラーに映った。芸能事務所のスカウトだっておなじぐらいあやしい誘いなのに、この日は母親としっかり話をしてきたのか落ち着いていたし、リラックスしている感じだった。
「うちの会社はね、人数はすくないけど、それなりに仕事はもらえているんだよ。テレビとラジオの人たちには本当によくしてもらっている」よくしてもらわないと、とんでもない仕返しを食らわせられるぐらいのタレントたち――視聴率のタネ――を傘下の事務所をふくめ、がっちり抱えこんでいるんだから怖いものなしだ。そんなことはうぶな女の子にはわかりようがないが、うまく化ければこの子もその一つになる。バックミラーにちらちら映るシュウさんの頭のなかで緻密な計算が猛然と進んでいるのが手に取るようにわかった。
シュウさんからすれば、こんなのは頭の体操、寝起きの軽いストレッチぐらいの感覚だろうが、言葉巧みに語られる話を聞けば聞くほど、彼女のほうは傍目には落ち着いているように見えても、内心ではまるで宝くじにでも当たったかのように興奮しているにちがいない。でもこれがどれほど幸運なことかちゃんとわかっているだろうか。よりによって土橋修司本人に口説かれているんだぞ。それはもうシード権獲得どころか、最終審査まで一直線って話なんだからな。ハンドルを握るこっちのほうがハラハラしてわき腹に汗が滴り落ちるのが感じられた。
「最初は雑誌のモデルとかからはじめるんだ。それですこしずつ実績を重ねていく。世間で言われる以上に地味な仕事なんだよね。けど、歌は好きかい?」
「歌ですか……」
「そう、どんなの聴いたりしてるのかな」
「うーん、あんまり……いえ、アイドルとか、テレビでよく流れるやつとかは」
「歌ったりも?」
「……そうですね、ときどき」
「最初から歌わなくてもいいんだ。バックダンサーっていうのもある。とにかくテレビの世界は人手不足なんだ。だからどんどん挑戦してほしいんだよね。自分にどんな可能性があるか、それを見つけるのをぼくが手伝うから、安心してくれていい」
「……芸能界なんですよね……?」誰もが最初は抵抗感や疑念を覚える言葉が、サクランボのような唇からぽろりと漏れる。
「ショービジネス、要はふつうの職業だよ。目の前のお客さん、視聴者を愉しませ、喜ばせる。それで収入を得る。立派な社会人が真剣に取り組んでいる世界さ」
「わたしにできるかどうか……」緊張しだしたのか、渚は左右に体を揺らしだす。「どうかな」
「まだなにもしていないから不安なのは当然さ。でもぼくはきみのような子を何人も見てきた。その経験から言えばだいじょうぶ。なにも心配はいらない」
もうそのときにはおれのほうが、妄想の羽をめいっぱい広げていた。デビューシングルを出してから一年もしないうちに新人賞を獲った歌姫たちの姿が頭をよぎる。彼女たちはドラマに出て、ラジオで冠番組を持ち、武道館を満員にする。渚もその一人に加わるのだろうか。
でも心配だった。おれだってだてに二年もこの男のそばに付いていない。夢の階段を途中で上れなくなる者のほうが数十倍多い。坂を転げ落ちていつの間にか姿が見えなくなっている者には事欠かない。矛盾する話だが、厳然たる事実として土橋修司は非情だ。つねに新しい才能、輝きに飢えている。本物の吸血鬼のような男だった。やわらかな物腰で人畜無害な微笑を浮かべながら、人間もカネも吸えるだけ吸い尽くしていく。その途中で冷徹なシミュレーションを繰り返し、あるとき得るものがなくなったと判断したら、即座に切られ、もう二度とチャンスはあたえられない。それこそが戦後、この業界でのしあがってきた男の揺るがぬやり方だった。
しかしこの世界に一度でも足を踏み入れたなら、魔法は容易には解けない。テレビ番組もレコードも、ごく少数のフィクサーとそのまわりにはべる大勢の奴隷たちによって生みだされているというのに、電池の弱った自分だけの豆電球一つで世界中をキラキラと輝かせられると信じこみ、広大で安定した退路を自ら断って血まみれの針山に分け入ってくるのだ。
己の意思で。
それがなにを意味するか。目の前で彼女たちの末路を見てきたからもうわかっている。だからこそだ。おそらく尾形渚は傘下の事務所のどこかに所属することになる。そうなれば全力で応援するつもりだった。光に向かって泳ぎだしたのなら、力尽きて沈まぬよう体の下に潜って押しあげてやらないと。
そのときだった。
撮影スタジオに向かう路地を右折しようとウィンカーを出したとき、首筋にぞくりとするものを感じた。
バックミラーのなかからじっと見つめていたのだ。
おれのことを。
すがるような目で。
十一
「本当はね」
背中を丸めてうまいパテをつつきながら浪男は独り言のようにつぶやく。
「帰って来たくなんかなかったんですよ。やっぱりこの年齢になると、仕事なんてものは億劫になってくる。代わり映えのしない決まりきった仕事なんですが、結局は人間相手じゃないですか。それがものすごく面倒に感じられるようになってしまって」
離陸便のエンジン音にも耳が慣れてきた。それに男の声はまるで鍛えあげられた舞台役者のように、つぶやき声でさえ明瞭に伝わってくる。
「面倒と言えば、世のなか全体が面倒臭いことばかりですからね。コンプライアンスだの、多様性だの、情報共有だのって。昔の映画に出てくるようななんでもありの世界は、もはや想像することすらご法度みたいですからね」
「これまでのやり方を通そうとするとあつれきが生じる」ベータの東みたいな輩に陰口をたたかれるわけだ。「老害みたいに思われたりもする」
「保守的思考がいつも正しいというわけではないのでしょうが、若い人たちはなんでもかんでも変更して、ラディカルにやりたがる。先輩諸氏の言うことに耳を傾けようとしないんですよね」
「なんて言うかな、そういうのってものすごく疲れる。いや、疲れるようになってしまった。変化に対応できなくなっていると言われたら、それまでですけど」
「ご心労が多いんですね。たくさんの部下がいらっしゃるんじゃないですか。とても細やかで面倒見が良さそうにお見受けしますが」男はグラスの残りをぐいっと空ける。
「ありがとうございます。でもさほど部下がいるわけでもないんです。オフィスも小さいですし」
こぢんまりとしたと言ったほうがいいかもしれない。いまのオフィスは青山のタワーマンションの一室だ。十五年前に浪男がシュウさんを引き継いでブリッジランド・エンタテインメントの社長に就任した際、旧オフィスから移転してきた。前のオフィスはビルそのものがブリッジ所有で、例の大手町の悪徳不動産屋をはじめ、さまざまなデベロッパーから再開発の声がかかったが結局、シュウさんは首を縦に振らぬままあの世に召された。だが浪男の感覚では、資産としてビルを持ちつづけるのは酷だった。それで売却したうえでタワマンに移転したのだ。ただ、浪男はシュウさん同様、自分が目立つのは好きでなかった。むしろ必要なのは、全体をじっくりと見極め、打つべき一手を慎重に考えられるスペースだった。だからキングの事務所とはいえ、北向きの2LDK。面積は七十平米もなかった。取引相手を呼び、打ち合わせを行い、ときにシビアな提案を行うには、このぐらいの広さが手ごろだった。しかもフロアは二階。階段でもすぐに上がれる。浪男としては大きなポイントだった。
「仕事は、ある種の人材派遣業みたいなことをしていましてね」うまいことを言うものだ。自分で口にして感心した。「いつも人のやりくりに苦労しています」
「どこの企業もそうなんでしょうね。人材こそが肝ですからね」
「そうなんですよ」浪男もグラスをあおって空にした。
まるでそれを見ていたかのようにウェイトレスがやって来る。二人ともパテがまだすこし残っていた。そろっておなじソーヴィニヨンブランをおかわりする。
「ところがね」水沢汐里のとりすました顔がよぎる。「期待はつねに裏切られる。この人にはこういう感じで働いてもらおうとプランを描いて、受け入れ先とも入念に相談しても、当人にブレーキがかかったらもうどうしようもない。あっちこっちに頭を下げて回るのはこっちですからね。腹のなかじゃ、うちが悪いわけじゃないのにと、いつも思ってますよ。まったく理不尽なことばかりです」
「人間相手はたしかに不確定要素が大きいですよね。能力の問題もありますし、ふたを開けてみないとわからない。腹の底でなにをたくらんでいるかなんて絶対にわからない。とくに最近の若い連中ときたら」
「とんでもない暴挙に出ることだってありますしね」
独立宣言とか。
グラスが二つ、そろって運ばれてくる。苦々しさに喉を締めつけられ、浪男はそれをつかむなり、水のようにごくごくとやる。
「わたしの場合は、よろず屋と言いますかサービス業でしてね。クライアントの要望を自分一人の才覚で実行するだけです。それでまた人を使うなんて厄介なだけだ。ですから責任をすべて引き受けないといけませんが、気楽と言えば気楽ですね。トラブル連絡なんてありませんから」
「うらやましいです。わたしなんていまじゃ、トラブル処理が本業みたいになってしまいましたから。これから先はすこしでも気ままにやらせてほしいものです。てゆうか、どれもこれも老化のせいなのでしょう。脳が機能不全に陥っているんですよ」
「それならわたしだっておなじですよ」男はパテの最後のひとかけを口に放りこむ。「新しいことをやるのがどうしたって面倒になる。まだ還暦前だっていうのに。過去の成功体験に頭のなかが覆いつくされてしまっているんですね」
「そうそう。日がな一日、華やかだった昔を思いだしているときとかありますよ。あのときはこうだった、ああだったって。それを自分で評価して『おれ、うまくやったよな』とか、なんとなく納得して、はい、一日おしまい。そんなことばかりですよ」浪男は肩をすくめておどけてみせる。
「それも当然かもしれませんよ。だってたとえば、二十歳とか十九歳のころを思いだしてみてください」男は記憶をたどるように浪男の背後の大きな窓の向こうを見つめた。「人生二十年かそこらしか生きていないんだから、脳内に蓄積された記憶もその程度、人生百年だとしたら二割ぐらいじゃないですか。パソコンで言えば、ドライブの使用量二〇%。ところがいまのわれわれときたら、それが六〇%近くまできている。頭を回転させたとき、どうしたってそれら過去の記憶の森をすり抜けて進むしかない。途中でそいつらにじゃまされたり、あらぬ方向に進んだり。若いころのようにまっすぐに、ピュアに物事をとらえて考えることが難しくなっていると思うんですね。もちろん逆にそっちのほうがいいこともある」
「経験値ですか」
「その通り。寄って立つところはそれしかなくなってきていますね。だから自分を鼓舞するには、それらをうまく活用することで若い連中とまだまだ互角にやれるぞって思うことなんでしょう」
「たしかに。そう考えると、なんだか自信が持てる気がしますね。いやはや、お話がとてもじょうずだ。声のトーンもとても柔らかだし、ラジオのパーソナリティーとかやられたら人気が出るんじゃないかな。いまは同年代、いやそれ以上の世代がリスナーですし」仕事柄、つい口を突いて出てしまった。
「めっそうもない」男は苦笑いを浮かべ、顔の前で手を振った。「調子に乗ってえらそうなことを言ってしまいました。それに経験値なんていうのもじつはあやしいものですから」
「と言いますと?」
男は自分のほうに向けて開いたままのアタッシェケースの上に片手を置いたまま、カウチの背に深々と体を沈め、まるで全身の力が抜けてしまったかのように天井をあおぐ。「いろんな蓄積があるようでいて、じつはそんなのただの思いこみだったりする。そもそも人間の記憶自体、すこぶるあやしいものですから」
「それはなんとなくわかりますね。とくにこの年代になるとね。若いころの思い出なんてちゃんと覚えているようで、突き詰めるとあやふやになってしまっている」
男は近親者の不幸をたったいま知らされたかのように蒼白な顔でうなずく。「そうなんですよ。記憶は薄らぐ。そういう宿命だ。人間、いやな出来事は忘却するよう脳がセッティングされているなんて言いますけど、あれはウソですよ。すてきな記憶、感動の体験なんてものも何年かたつと濁ってくる。それを人間特有の厄介な想像力ってやつで補ううちに、なにがなんだかわからない記憶もどきができあがって、それを真実だと思いこんでいるんでしょうね。この先それがどんどんひどくなるのかと思うとぞっとしますよ。そうじゃありませんか」男は体をかがめ、まるで鼻先にたかったハチでもたしかめるように浪男の顔をのぞきこんできた。
浪男は急に落ち着かない気分になる。黒々とした粘っこい塊が頭のなかで急に膨らんだみたいだった。「わたしらの世代を支えているのは、そういう無意識の想像力なのかな。言い換えれば美化された根拠のない自信ってやつだ。ときどき、本当の自分は何者なのか怖くなるときもあるくらいです。だけど親の思い出とかそういうのは変わらない。いや、変わってほしくないですよ」
自分で話していて浪男はふと思った。シュウさんの背中を見るなかで業界の構造や作法、ルールを学んできた。だがそれも都合よく解釈して改ざんされた記憶なのだろうか。そう思うと、なんだか急にあの男が何者であったか不安になってきた。
「もちろんです」男は離陸便が轟音をあげて飛び去るのを待ってからつづける。「決して忘れられないし、塗り替えられることもない、脳の奥からずっと微弱な信号を発しつづける記憶は存在しますよ」
浪男は小さくうなずき、顔をしかめる。「たしかに。わたしの場合、そういうのはたいていいい記憶じゃないな。トラウマってやつですよ」形のさだまらぬ過去がぼんやりと浮かびあがってきた。本能的にそれを抑えつけ、すこしだけ透明の液体をすする。
味がしなかった。
窓の向こうに目をやりながら男は告げる。
「いつか決着をつけないといけないのでしょうね、そういうのとは」
十二
1984年6月
尾形渚はボイストレーニングを受けることになった。週に二度、大学の授業のあと、六本木のスタジオに通ってくる。声は悪くないし、音感もよかった。傘下でなく、ブリッジ本体に所属することになったのは、取り急ぎという意味もあろうが、シュウさんとしては彼女の才能を自分で見極めたかったようだ。
六月のある日、シュウさんは渚を銀座に買い物に連れだし、自分のものといっしょに渚にもいくつかプレゼントを買ってやった。期待の新人が現れたときのいつもの儀式のようなものだった。ちょうど冬物在庫の一掃セール中で、毛皮のコートが安くなっていた。といっても、おれにはさして手ごろには感じられなかったが。シュウさんはいくつも渚に試着させ、真っ白いミンクのコートを選んだ。
そのつぎは水着だ。「アイドルにとって一番の商売道具だから」と、ブランドもののワンピースとセパレートの両方をこちらも試着を繰り返させた。さすがに渚は恥ずかしがったが、最後には堂々と鏡の前でポーズまで取り、大量の買い物袋をさげて隣にいたおれの腕にしがみついてもきた。シュウさんは目を細め、「よし、これももらおう」と次々と買いあさった。
それらをジャガーのトランクに詰めてから、人気歌番組「インサイド・ミュージック」の収録に向かった。いくつものスタジオが集まった世田谷のメディアセンターだった。シュウさんはいつもふらりと訪れる。神出鬼没だ。黒子に徹し、決して表に出ない事務所の社長もいるが、シュウさんはつねに現場を好み、相手がどう受け止めるかも悪趣味のように愉しみながらスタッフたちの輪に入りこんだ。
渚にあれこれ説明しながら廊下を近づいてくるシュウさんの姿に気付くなり、収録スタジオのドアの前に置かれたソファにいた男や女たちが、いっせいに立ち上がった。制作スタッフのほか、出演者のマネージャーや所属事務所の社長たちだ。
「おはようございます」
誰ともなく口にし、突如現れたシュウさんに一歩近づいて頭をさげる。
「おつかれさま」
シュウさんは、若いスタッフたちにも丁寧にあいさつを返す。だが事情を知らぬADはべつとして、ディレクターぐらいになれば、一見すると腰が低く穏やかなこの男の前では、先輩たちから教えられたとおりに作法を遵守し、決して己の存在をアピールすることなく、従順なロボットに徹するのが一番だと理解している。こちらから話しかけていいのは、出演者や事務所の社長らシュウさんがかつて話しかけた相手にかぎられている。だからシュウさんがやって来るときは、いつだってスタジオの空気が極度に張り詰め、思わぬミスも頻発するのだが、当人はそんなこと気にも留めない。
おれからすれば見慣れた光景だった。
カネのなる木である出演者の所属事務所を傘下に収め、楽曲その他の権利をすべて押さえるとは、こういうことなのだ。
だがそんなことは、はじめて同行した渚にはわかりようがない。きゃしゃな腰に手をあてがわれながら、自動ドアのように開いた分厚い扉の向こうにエスコートされ、かたずをのんでカメラのうしろでリハーサルを見守っていた連中の目が、まるでアレルギー物質の摂取で引き起こされる連鎖反応のように次々とこちらを向いたとき、なにか自分がひどい粗相をしでかしたのかと困惑したにちがいない。
「シュウさん、おさしぶり」
桜井岳乃助が最初に声をかけてくる。演歌界の大御所であるのは、さすがに渚にだってわかっただろう。
「ガクさん、お元気でしたか。うれしいですよ、またお会いできて」
岳乃助はひと回りも年上だ。年収では、シュウさんのほうが数倍稼いでいるが、ブリッジの直系事務所にもたらす富の源泉の一人がこのたたき上げの歌い手である以上、貴重な戦力、実弾の一つだ。それをどこに撃ちこむのか、それとも未来永劫、撃ちこまないのか決めるのは自分なのだが、シュウさんはえらぶるような態度は絶対に見せない。
「きょうは新曲披露ですね」
「ほんとにいい曲を書いてもらった。心をこめて歌わせてもらうよ」
「たのしみです。営業にはわたしも顔を出しますから」
そのつぎに近寄ってきたのは、番組司会者の反町鶴夫だった。元局アナで、いまはブリッジとは同格といっていい老舗事務所に所属している。ただ、半年ほど前、アシスタントに手を出した話をシュウさんがもみ消してやった。要はカネで解決したのだが、ある種の強制力の行使も必要だった。そっちのほうはおれも手伝った。嗅ぎつけてきた週刊誌の編集長を一週間ほど尾行し、自分だって人には言えないようなマネ――よりによって相手は女子高生だった――をしていたことを突きつけた。おれに回ってくるのはそんな仕事ばかりだったが、さして苦にならなかった。むしろ天職かもしれなかった。おれは明るい場所にいるより、暗がりに潜んでいるほうが好みだった。悪いことをしているわけでないが、そっちのほうが安心できたのだ。
「もしかしてそちらにいるのは……」
「きょうはただの見学だよ。インサイドの収録なんてめったに見られないからね。まだいろいろトレーニング中の身さ」
自分のことを訊ねられ、渚の緊張が一気に最高潮に達するのが見て取れた。週間視聴率ナンバーワンの歌番組で、毎週、ブラウン管の向こうでぺらぺらとしゃべりまくっている男が、いま目の前にいるのだ。
「もうデビューされた子かと思いましたよ。でも曲は決まっているんでしょう」
「まだまだだよ。地道にやるさ。でもいつかこの番組に出られるようになるといいな」
反町は満面の笑みを浮かべて両手を広げる。「大歓迎ですよ。せめてお名前だけでも教えていただけませんかね」
シュウさんは頭をかきながら渚をうながす。
「オガタ……ナギサと申します……よろしくおねがいいたします」
「尾っぽの尾に形、ナギサはサンズイのほら、あれだよ」
「わかります、わかります。尾形渚さんね」こんどは手もみをしながら反町はくりかえす。「いい名前ですね。人気が出そうだ」
「そうねがってるよ」
「ポプションとかには出られるんですか」
「そうだな。まだ決めてないけど、そうなるんじゃないかな」
民放主催のポップアイドル・オーディション「ポプション」は、アイドル歌手の登竜門と言われている審査会だ。レコードの売上に直結するし、ドラマ界も注目している。じっさいいまの連ドラのヒロインは多くが歴代優勝者だった。
反町は渚の顔を一度のぞきこんでから自信満々で告げる。「尾形渚さん、あの席が待ってますからね。きっとあなたならうまくいく。わたしはね、こういう勘だけは鋭いんですよ。ポプションもきっとうまくいく。頑張ってくださいよ。いっしょに番組を盛りあげていきましょう」
スネに傷のあるこの男は、シュウさんへの畏怖を表し、本能的に媚びただけにすぎないのだが、渚にそんなことはわからない。調子のいい司会者が手を広げたほうに目をやり、ぽかんとを口を開けている。そこには、アイドルからベテランまで、それまでテレビでしか見たことのない有名人たちが強烈な照明を浴びながらひな壇に陣取っていた。
十三
「まだこいつが残ってますからね」
半分ほど残ったソーヴィニヨンブランのグラスの脚をまるで女を昂らせるかのように中指でいとおしそうにさすりながら、男はきょうのおすすめメニューを記した背後の黒板を振り返る。
「カリフォルニアの太陽がもたらした恩恵を最大限に味わうなら、あれなんかいかがです? きょうはカンパチが入っているみたいだし」
房総沖でとれたカンパチはセビーチェとして供されるようだった。まるで話に耳をそばだてていたかのようにウェイトレスが近づいてくる。「海の恵みにたっぷりのライムを搾って、アボカドを添えてお出しいたします。人気メニューなんです」
それを断れるわけがなかった。注文を厨房に伝えると、人の良さそうなシェフがにっこりと微笑み、冷蔵庫から魚を入れたバットを取りだす。
十分もしないうちに色鮮やかなマリネが、江戸切子の青が美しい丸皿に盛られて登場した。ボリュームのあるカンパチの切り身のほか、イカ、タコ、ホタテの貝柱、小エビがふんだんに使われ、さいの目に切ったトマトとキュウリ、紫タマネギ、それに櫛形のアボカドといっしょに和えてある。目の前に供された瞬間、ライムのさわやかな香りが食欲をそそった。
躊躇することなく浪男はフォークでカンパチをひと切れすくう。
「こりゃ、うまいな。脂がのってるし、塩加減がいい」
「本当だ」男もうれしそうに魚を頬張り、そのままガツガツと無言で食らってから、白ワインで飲みくだす。「うん、やっぱりこいつと合いますね。ずっと前にペルーで食べたことがあるんですよ。それとおんなじ味だ。ちらっとですがニンニクがきいているところもそっくりだ」
「ペルーのセビーチェは本物ですね」
「向こうじゃとてもシンプルな料理ですよ。とれたての魚介にフレッシュなオリーブオイルをかけて塩コショウを振り、ライムをぎゅっと搾るだけ。店の前でデモの一団と警官隊が衝突している最中でしたが、一戦交えたあとで、どっちの連中も店にやって来てなんとなくごっちゃになって、セビーチェをつついていましたよ。なんともふしぎな国でしたね」
「それは放浪中の話ですか」グラスをすすりながら浪男は訊ねる。
「いえ、十年ぐらい前ですかね。出張中の出来事です。あれはなんだったかな、ビルの屋上に泊まりこんで星空観察をしていたんだっけかな」
「星空観察ですか? 出張で?」
「ええ、まあ、仕事の合間ですけどね。仕事自体は街を見下ろしながらつづけていました。環境調査、それに伴う最適化の提案と実施。そんな感じの仕事でしたかね」
「調査と提案ってことは、コンサルみたいなお仕事ですか」
「ですね。でも最終的には自分でやらないといけないんですよ。だから調達から配送、計画の運営、事後処理までぜんぶ請け負っていますから。ほんとになんでも屋ですよ。クライアントは多岐にわたります。タイの山奥でイベントを開きたいというお客さまのご要望にお応えして、森に暮らす少数民族と交渉したこともあります。森の精霊を穢す、穢さないでずいぶんと話し合いました」
森の精霊か。
ふいにシュウさんのことが思いだされ、遠い記憶が浪男の胸をちくりと刺す。もし精霊なんてものが本当に存在するのなら、それは死者の魂が溶けこみ、純化して昇華した森に漂う精気のようなものだろう。大半はそこに暮らしていた人々の魂なのだろうが、なかには遠い町から連れて来られた者の怨念なんてものだってあるだろう。シュウさんはそれをずっと信じていた。
男はかまわず話しつづける。
「いちばん強く言われたのが、祟りです。いずこもおなじですね。不幸が憑りつくというのです。でもこれまた、いずこもおなじなのですが、それを防ぐために必要なのは全身全霊を傾けての祈祷であり、それには十分な祈祷料が必要になる。要はカネなんですよ」
「まあ、そうなんでしょうね、結局は」
だけどなんでもカネで解決しようとしてきたシュウさんでも、あのときは頑として最後まで首を縦に振らなかった。二十年ほど前、栃木の山奥の湖畔でフェスを開こうなんて話が持ちあがったときのことだ。そこにタイのような少数民族が暮らしていたわけではないし、聖地として特段崇められていた土地でもない。それでもシュウさんはカネの亡者たちからの提案を徹底的に拒絶したのだ。
個人的な信条に基づいて。
それがなんであったか。浪男には痛いほどわかる。でも真相は闇の奥に仕舞いこまれている。シュウさんは最期のときまで、それに気付くことはなかった。
「その後行われた祈祷なんて、ほんとにいい加減な感じでした。祈禱師の腕時計がロレックスだったのを見たときには、人間不信に陥りましたね。森の精霊に祟られるのは向こうのほうだって確信しましたよ」
男は話しながらもみるみる皿を平らげていく。そしてじつにうまそうにソーヴィニヨンブランをあおる。浪男も追いつこうと美味なる海の恵みを懸命に味わい、その都度、滋養が体内に染みわたるのがビリビリと感じられた。まるでひと口ごとに若返っているかのようだった。
「今回のバンコク出張なんかは、建築関係の仕事だったんです」男はオイルにまみれた口元を紙ナプキンで拭ってから話してくれる。「ビルに新しい貯水槽を設置してきたんです。いまのご時世ですから貯水量や流量を外部から調節したり、なかの状況を映像で確認できたり、外部からすべてモニタリングできるシステムです」そこで男はシャツの胸ポケットにしまったスマホをつかみだし、浪男の目の前にしめす。「こいつでもチェックできる。便利な世のなかです。いろいろとオプションがついたんでなかなか容易ではなかったのですが、なんとか完成させてきました。それで帰りがぎりぎりになってしまって。でもわれながらうまくできたと思っています」
「お一人でやられてきたんですか」
「そうですね。だいたい一人ですませられます。そのあたりも経験値でなんとかなるものですよ」
「お話をうかがうかぎり、手に職があるってことのようですね。うらやましいです。わたしなんて、そういうのがぜんぜんない。いや、そういうのを身に着けておけばよかったんですが、若いころから毎日をあたふたと生きるうちに時間ばかりがすぎていってしまった。せめて重機の免許ぐらい取っておくんだった」
「わたしだって似たようなものですよ。子どものころに描いた将来なんて、なに一つ手に入れちゃいませんからね。そもそも夢なんて見ているひまもなかった。貧乏暮らしでしたから、毎日どうやって食っていくか、そればっかりでした。ふしぎなもので、おなじような暮らしぶりの幼なじみが近所にいたんですが、向こうはなんだか未来が開けているようだった。どうしてだろう。悩みましたよ。けれど、そんなものはうっちゃって、てゆうか、いつまでも考えている余裕もなくて、ひたすらあくせく働いていたら、多少細かい仕事も自分でこなせるようになっていた。ただそれだけです」
そうなのだ。気が付くと、こうなっていた。浪男だってただそれだけだった。しかし自分の来し方をそのまま話してしまうのは気が引けた。ただ、人生の大きな節目を迎え、総括してみるいい機会かもしれなかった。
「会社の同僚もみんな、似たようなものですよ。流れ流れていまの職に就いた者がほとんどです。早くに親を亡くしたやつがいましてね――」
そう言って浪男は自分のことを話しだした。
「そいつは日本海沿いの漁村に生まれたんですが、中学二年のときに父親が海の事故で亡くなりまして、そのあとを追うようにして母親も病に倒れて兄妹二人が残された。それで叔父夫婦に引き取られたんですが、それも卒業までですよ。あとは新聞販売店に住みこみで雇ってもらったそうです。そこで半年ほど勤めたのち、中学時代の先輩を頼って上京して新宿のパチンコ屋で働きはじめましてね。それからは居酒屋とか運送会社とかメッキ工場とか職を転々としながら、それはそれは懸命に働いたそうです」
同時に理不尽に耐えつづける日々だった。田舎者と罵られ、仕事の覚えが悪いと怒鳴られ、生意気だと殴られ、ひどいときは売上金に手をつけたと濡れ衣を負わされて半殺しの目に遭ったこともある。それで泣きながらバッグ一つ抱えて新宿中央公園に寝床をもとめたのも一度や二度じゃない。
「根が明るくてくよくよしない性分だし、ひどく思いこみが強かったから、人生を悲観するようなことは一切なかったといいます。『明るいバカだったから』っていまも言ってますよ。どうせ学校行ったって勉強なんかしやしないんだから、早いうちに現場で商売を覚えられてよかったともね。そうこうするうち歌舞伎町のキャバレーで、いまで言う黒服みたいな仕事をあてがわれていたとき、うちの会社の先代と出会ったんです」
明るいバカというのは本当だ。というかどん底だったから、これ以上落ちるわけがないとのへんな自信があった。ぷかぷかタバコ吹かして灰色のビルの谷間から空を見上げてりゃ、いつか必ずいいことがある。自然とそう思えたんだ。そもそもあんまりいろんなことを考えられるほど脳ミソがついていなかったし。
けど、あの晩のことはいまでも浪男ははっきりと覚えている。




