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【連作短編027】 迷い猫 全10話 ―夜の街に、名前のない者たちがいる―  作者: macchao


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第三話 道:忘れた場所ではなく、覚えた歩き方

第三話「道」です。


記憶を失った子猫ユキ。

けれど、忘れたはずの道を、足が覚えていました。


今回は、ハルたちが過去に残された秘密へ近づいていきます。

小さな猫たちが辿る「道」の先に、何が待っているのか。


ゆっくり見守っていただけると嬉しいです。

 その夜、ハルはユキを連れて、もう一度橋の下を訪ねた。


 ユキの足を見ていて気づいたことがあった。肉球の擦れ方が、子猫のものにしては妙だった。一晩二晩歩いた跡ではない。何度も同じ道を、長い間歩いてきた猫の足だった。


「ここを、前にも歩いたことがある?」


「ない」


「でも、足がそう言ってる」


 ユキは自分の前足を見た。しばらく黙っていた。


「わからない。でも――歩き方を、知ってる気がする」


 覚えているのは場所ではなく、歩き方そのものだった。それは記憶の消し方として、何かが歪んでいる印だった。



 橋を抜けたところで、それが現れた。


 大きな影が、向こうの暗がりを横切った。一瞬だけ、月明かりに体の輪郭が浮いた。ハルの知っている体つきだった。後ろ足を少し引いて歩く癖も、変わっていなかった。


「ロク」


 名前を呼んだが、答えはなかった。影は塀の向こうに消えた。声だけが、風のように残った。


「まだ、終わってない」


 それだけだった。ハルは追わなかった。追えば何かが壊れる気がした。



 集会で、テンが地図を広げるように前足を動かした。


「ユキが運ばれてきた場所、特定した」


「どこだ」


 ゴロが聞いた。


「東の、取り壊し予定の倉庫だ」


 ジジが眉を寄せた。


「取り壊し? なぜそんな場所に子猫が」


「避難路の起点だったからだ」


 クマが言った。一拍遅れて、いつもより長い間を置いてから。


「昔、取り壊しの前に猫を逃がす道があった。ロクは、その道を管理していた」


 集会が静まった。リンが小さく聞いた。


「逃がす道、というのは……今はもう、ないんですか?」


「ある」


 ゴロが言った。


「だが、十年前に一度、使い方を間違えた」



 ハルは知っていた。


 十年前、隣の縄張りにいた一匹が、取り壊し直前の建物に取り残された。ロクが道を作っていたが、ハルはその夜、別の縄張り争いに気を取られていた。呼ばれたことに気づいたのは、翌朝だった。


 誰にも、そのことを話さなかった。話さなければ、なかったことにできると思っていた。


「今回も、同じことが起きている」


 ハルが言った。声が掠れた。


「同じことが」


 もう一度言った。柄にもなく。誰も突っ込まなかった。


「同じじゃない」


 ゴロが言った。


「今回は、お前が気づいた」



 その夜、ハルたちは東の倉庫に向かった。


 ユキは初めて、自分から先を歩いた。記憶のない足が、迷いなく角を折れていく。


「なんで道がわかるんだ?」


「わからない。でも、足が、止まれと言わない」


 倉庫の前で、ユキは足を止めた。


 中から、別の声が聞こえた。か細い、もう一匹の子猫の声だった。


「もう一匹いる」


 ユキが言った。初めて、はっきりした声だった。


「私が、ここにいたとき――誰かと一緒だった」


 断片が、少しだけ繋がった。全部ではない。だが、足が止まれと言わなかった理由が、その瞬間だけわかった。



 倉庫の奥で見つけたのは、ロクの匂いがついた古い箱と、その中で震えるもう一匹の子猫だった。


 箱の隅には、小さな魚の骨が並べてあった。一つではない。同じ向きに、几帳面に。誰かが、毎晩同じ時間に運んでいた跡だった。


 その子猫は、ユキを見ても鳴かなかった。怖がっているはずなのに、声を出す力がないのではなく、声を出すことを忘れている目だった。


 ユキはその子猫の前に座った。何も言わなかった。子猫も、何も言わなかった。


 ただ、二匹の尾が、同じ速さで動いていた。



 明け方、橋の下に戻ると、ロクの匂いはもう薄くなっていた。


「ロクは、また道を作ってたのか」


 ハルが言うと、クマが一拍置いて答えた。


「さあな。聞いても、答える猫じゃない」


 ゴロが言った。


「だが、今度はお前が気づいた。それで足りる」


 ハルは橋の下を見上げた。十年前と同じ場所、同じ夜明け前の空だった。違うのは、隣にユキがいることだけだった。


「名前、決めた?」


 ハルが聞くと、ユキは少し考えた。


「まだ、わからない」


「それでいい」


 ハルは答えた。それ以上の約束はしなかった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


第三話「道」では、ユキが失った記憶ではなく、体に残った感覚を頼りに進んでいく姿を描きました。


忘れてしまったことと、消えていないもの。

そして、過去の後悔を抱えながらも、もう一度誰かを救おうとするハルの姿。


猫たちにも、それぞれ歩いてきた道があります。

その道が重なることで、新しいつながりが生まれていきます。


次回も、ハルたちの物語を見守っていただけると嬉しいです。

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