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【連作短編027】 迷い猫 全10話 ―夜の街に、名前のない者たちがいる―  作者: macchao


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第二話 匂い:消えた記憶は、古い匂いの中に残っていた

第二話「匂い」をお届けします。


ハルが見つけたのは、子猫の痕跡だけではありませんでした。


古い匂いの中に残っていた、十年前の名前。

そして、少しずつ明らかになっていくユキの過去。


小さな手がかりが、どこへ繋がっていくのか。

今回も静かな物語をお楽しみください。

 橋の下の毛布を、ハルはもう一度確かめた。


 昨夜は子猫の匂いしかわからなかった。だが今、鼻を近づけると、もう一つ別の匂いが沈んでいる。古い。何年も前の匂いだ。


 それでも、わかった。


「……ロクか」


 声に出してから、ハルは自分でも驚いた。十年は会っていない名前だった。



 集会で報告すると、ゴロが短く言った。


「ロクは知っているのか」


「昔、隣の縄張りにいた。引っ越しと一緒にいなくなった」


「それだけか」


「それだけだ」


 ゴロはそれ以上聞かなかった。だが、聞かなかった、という事実が、ハルの中に残った。


 ここで止めることもできる、とハルは思った。ロクの名前を出さずに、匂いだけ報告すればよかった。なぜそうしなかったのか、自分でもよくわからなかった。


 ジジが首をかしげた。


「引っ越した猫の匂いが、十年経って毛布に残るか?」


「残らない」


 テンが言った。


「匂いは霧みたいなものだ。十年も漂ってはいない。これは——置いていったものだ。最近、ここに」


「最近?」


 リンが小さく前のめりになった。


「ロクさんって方が、最近ここにいた、ということでしょうか」


「いた、というより」


 テンが続けた。


「通った。風みたいに」



 ハルはその夜、一匹で橋の下に戻った。


 毛布の下を探ると、小さな布の切れ端が出てきた。子猫の首に巻かれていたであろう、色の褪せた布だった。


 ユキはまだそこにいた。布を見せても、何の反応もなかった。


「これ、知ってる?」


「知らない」


「触ってみて」


 ユキは布に鼻を寄せた。一瞬、体が固くなった。それから、何も言わずに離れた。


「わからない」


 声がさっきより小さかった。ハルは黙って頷いた。



 クマの縄張りに寄ると、クマは一拍置いてから口を開いた。


「……来たか」


「あの布、見てもらえるか」


 クマはまた一拍置いた。布の匂いを嗅ぎ、目を閉じた。長い沈黙のあとで、ようやく言った。


「これは、首輪じゃない」


「何だ」


「印だ。誰かが、誰かを覚えておくための」


 クマは布から目を逸らさなかった。


「いいものじゃない。それだけは言える」


 ハルは黙ってクマを見た。クマは続けなかった。聞いても、もう何も出てこない様子だった。



 翌晩の集会で、テンが地図の話を持ち出した。


「ロクの匂いは、東から来て、橋の下で止まっている。だが——」


「だが、何だ」


 ジジが聞いた。


「その先、匂いが切れている。歩いて消えたんじゃない。途切れ方が、不自然だ」


 ゴロが目を細めた。


「不自然、とは」


「運ばれた、ということだ」


 集会が静かになった。ジジが小さく言った。


「猫を、運ぶ理由があるか?」


 誰も答えなかった。リンだけが、ユキの方をちらりと見た。ユキは集会の隅で、布の切れ端の匂いを、また確かめていた。


 ロクの話は、そこで止まった。だが、ユキの記憶が消えた理由は、まだ何も見えていなかった。

第二話「匂い」を読んでいただき、ありがとうございます。


今回は、ハルが過去の気配に触れる回でした。


匂いは、目には見えません。

けれど、時には記憶よりも強く、そこにあった時間を残しているものだと思います。


ロクの存在、残された布切れ、そしてユキの失われた記憶。

まだすべての答えは見えていませんが、少しずつ過去へ近づいていきます。


次話も、ハルたちの小さな旅を見守っていただければ嬉しいです。

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