第十話 脱出:間に合え、その一歩。
ユキが穴に入ると、声は届かなくなった。
ハルは穴の前で待った。重機の音が、さっきより近く聞こえた。
「動いたぞ」
ジジが言った。
「まだ動いてない。音だけだ」
テンが言った。だが、その声も、いつもより硬かった。
*
穴の中で、ユキは進んだ。配管は、思っていたより長かった。
途中で、何かに触れた。冷たい、動かないものだった。一瞬、息が止まった。
だが、それは古い布だった。誰かが、ここに敷いたものだった。
その先に、五匹目がいた。動かなかった。だが、息はあった。とても浅く。
「五番目」
ユキが呼んだ。返事はなかった。
「五番目。お願い、聞いて」
わずかに、耳が動いた。
*
外では、重機が一度、低く唸った。
「来る」
クマが言った。
「まだ早い」
ロクが言った。声が、初めて大きくなった。
「まだ、中に二匹いる」
人間の作業員が一人、機械の方へ歩いていくのが見えた。
ハルは、考える前に動いていた。
「行くな」
ロクが止めた。
「人間に近づくな。お前まで、運ばれる側になる」
「動かなければ、間に合わない」
ハルは答えた。十年前と、同じ言葉を、別の意味で使った。
*
ハルは、作業員の足元を横切った。
驚いた声がした。機械の音が、一瞬止まった。猫が一匹、突然現れただけで、人間は止まる。それだけで、十分だった。
その間に、ユキが穴から出てきた。五番目を、口で挟んで。
全員が、何も言わずに見ていた。
*
明け方、橋の下で、五匹が並んだ。
ロクは少し離れた場所に立っていた。
「全員、見つかったな」
ハルが言うと、ロクは頷いた。
「次は、もうないと思っていた」
「次は、あるかもしれない」
ハルが言った。
「あったら、今度は一緒にやる」
ロクは、何も言わなかった。だが、初めて、目を逸らさなかった。
*
倉庫は、その週のうちに取り壊された。
猫たちは、別の場所に新しい道を作った。名前を持たない者たちは、少しずつ、誰かに呼ばれるようになっていった。
ユキは、まだ自分の名前を選んでいなかった。
「決めなくていいのか」
ハルが聞くと、ユキは橋の下を見て言った。
「ここにいる間は、これでいい」
ハルは、何も聞かずに、隣に座った。




