父・クロニオス
何か、まずいことでも聞いただろうか。
デメナは一瞬固まったが、涙を拭きながら、ゆっくりと背後へ視線を向ける。
やはり、そこには誰もいない。だが、誰かいる気配はする。
「…ペルセさん。なぜ、そこに誰かいる、と?」
「わかんない。けど…何か、裏?っぽいとこに、誰かいるのかなー、って…」
ペルセとしても、言葉にするのが難しい。
その場所にいるのは違いないのに、ズレた場所に見えるような、そんな感覚だった。
それを伝えただけなのだが、デメナは抱擁を解き、立ち上がった。
あれだけ抱きしめてこられたからか、何だか少し寂しい。あとでもう一度抱きしめてもらおうか。
そう思ってデメナを見ると、何だか真剣な表情だ。とても、口を挟めるような様子ではない。
「…クロニオスさん。観念したほうが良いのでは?」
デメナは虚空に向けて、話しかける。
その瞬間、一瞬空間が歪んだ。
歪みの奥から、大きな体の男が現れた。
黒い短髪で、腕が丸太のような、筋肉質な男だ。この男もすーつを着用しているが、何だか引きちぎれそうで心配になる。
写真で見た時も怖そうだと思ったが、現物はもっと怖い顔だった。
ペルセは思わず、デメナにくっついた。
「…大丈夫ですよ、ペルセさん。この人、敵ではありませんから」
「ホント…?」
デメナはペルセの背中へそっと手を回してくる。
その様子を見て、目の前の大男は顔をしかめていた。
「…この方は、クロニオスさん。私の夫です」
「おっと…?」
夫。
それは確か、結婚した相手の男性を示す言葉だったはず。
デメナによれば、このクロニオスという男がデメナの夫らしい。つまり、結婚した相手、ということだ。
そんな者が、自分の前になぜ現れたのか。デメナの、母の夫、という情報から導かれる結論は、一つしか思いつかなかった。
「…お父さん!?」
ペルセは思わず、叫んでしまった。
何だか、デメナの時よりも実感が湧かない。
こんな怖い悪魔が、自分の父だと言われて、信じられるだろうか。
クロニオスは小さく舌打ちをした。
「怖がられてんじゃねぇか」
「あなたは普段から怖いですから。ちょっと笑ってみても良いんじゃないですか?」
クロニオスの文句に対して、デメナは静かに笑いながら返答している。本当に、夫婦のようだ。
クロニオスの声も、とても低くて怖かった。
だが、その奥にある感情が、微かに見えた。
ーーー温かい。
その感情は、デメナ以上に抑えつけられているような印象だ。
「お父さん…?」
ペルセは小さく呼びかける。それに対しクロニオスは呆然としたまま、反応してくれなかった。
やっぱり、自分には会いたくなかったのだろうか。少し、落ち込む。
「…クロニオスさん、呼んだのに反応されてなくて、落ち込んでますよ」
「あ?…クソッ、お父さん呼びされて反応しきれねぇ…」
デメナがからかうように、クスクスと笑っている。その横で、クロニオスが気まずそうにしていた。
クロニオスは渋々、屈んでペルセに視線を合わせる。
近くで見ると、より怖い。よくよく見ると、顔のあちこちに小さな古傷もある。
クロニオスは重々しく、口を開いた。
「…お前の父の、クロニオスだ」
それだけ言うと、黙りこくってしまう。
父に黙られてしまうと、何を話していいか、ペルセも分からない。
オロオロしていると、デメナが笑いながら横槍を入れてきた。
「…ペルセさん。クロニオスさんの潜伏が分かったのなら、この人の心の揺らぎも、多分見えるのではないのですか?」
「なっ…!?デメナ、余計なことを…!!」
クロニオスは必死にデメナを止めようとするが、ペルセの正面からは動けないでいる。だからこそ、じっくりと見ることができた。




