マールの公的認知
静寂。
止める暇もなかった。
リリエスはあっという間に出ていってしまった。
ハイーラは呆然としたまま、リリエスの出ていった後の玄関を見つめる。
リリエスが出ていく前と、何ら変わらない玄関だ。
「…さて、と。ペルセちゃん、そろそろ降りてくださる?」
「え〜」
イアノが咳払いをする。
その声で、ハイーラは我に返り、イアノの方へ視線を向けた。
イアノは居座り続けていたペルセを、膝の上から下ろしていた。ペルセは若干不満そうにしている。
しかし、イアノはそんなペルセに、優しく微笑みかける。ペルセはそれを見て、渋々イアノの膝の上から降りた。
そのまま、ペルセは空いた席に座るものだと思った。だが、ペルセの向かった先は違った。
ペルセは、マールの席へ行くと、その膝の上に乗ってきた。
「うぉ、っとぉ〜…」
その勢いに、マールは思わずバランスを崩しそうになる。何とか倒れずに堪えたが、危なそうだ。
何だか、今日のペルセは甘えん坊だ。
ーーーちゃんと、ペルセが変わらず子供をやっている。
それだけで、何だか少し嬉しくなる。
「…マール、大丈夫?」
「ん〜…まぁ、何とかなるよ〜」
ただ、マールの負担は別だ。
しかし、ペルセの無邪気な笑顔を見ると、そこに水を差すことが野暮な気がしてしまう。
マールもあまり気にしておらず、ペルセの肩や頭に手を置いていた。
「…すみません、うちの子が」
「いえいえ、お気になさらず」
ペルセの保護者として、イアノに謝罪はしておかなければならない。ハイーラは、頭を下げた。
しかしイアノは特に気にしてない様子で、むしろ若干嬉しそうに笑っていた。
「さて、本題に入りますわね」
イアノはそう言いながら、懐から一枚の紙を取り出した。
そこには、マールの氏名と住所、そして同居人の名前として、自分とペルセの名が記載されていた。
ーーーこれは、住民票か?
公的に死亡扱いされたはずの、マールに?
ハイーラが戸惑っていると、イアノが口を開いた。
「まず、一点目。キーアに改竄されたマールさんの戸籍を、元通りに再現しましたの。住所は、この自宅の住所に設定させていただいておりますわ」
その言葉に、ハイーラの胸と、目頭が熱くなる。
公的にも、マールの存在が、ようやく戻された。その事実が、どうしようもなく嬉しかった。
「マールさん、ここに住めるの!?」
「…そうみたいだね〜」
マールの膝の上にいるペルセが、その中ではしゃいでいる。
それに対するマールの反応が、若干鈍い。マールもやはり、事実を遅れて実感しているのだろうか。
ペルセの反応で、これが現実だと認識できる。
ーーーちゃんと、マールがアスティアノで、堂々と生きられる。
ハイーラは震える手で、自身の口を覆っていた。今にも、泣きそうだ。
「やった!!これでマールさんと一緒だ!!」
「おぅっ…」
ペルセは勢いのまま、マールにくっついた。
勢いが強すぎて、マールが椅子ごと倒れそうになる。咄嗟にハイーラが背もたれを支えて、事なきを得たが、危なかった。
「ったく…」
それを見て、何だか泣く気もなくなった。しかし、その目尻から、一筋の涙が流れ落ちる感覚も、確かにあった。
もう、遥々ベリアスまで食事を持っていったりする必要もない。
何より、マールとずっと一緒にいられる。それが、たまらなく嬉しい。
「…ベリアスの家、どうしようか〜」
「あそこ、元々廃屋でしょ?私も手伝うから、掃除だけして、全部元通りにするわよ」
だが、現実として、その問題はあった。
マールがベリアスで暮らすのに使ってた家は、町外れの捨てられた廃屋だった。異常なまでのズボラさと、アスティアノ由来の魔力を併せ持つマールだからこそ、最低限の暮らしはできただろう。普通なら耐えられない。
「その必要はありませんわ。あの区画、まとめて取り壊して再開発を行うことが決まりましたので」
「…えっ!?」
イアノはサラッとそう言った。
あまりに軽く言うものだから、反応が遅れてしまう。
イアノは別の資料をパラパラとめくり、とあるページをこちらに見せてきた。
そこには確かに、大きな文字で「ベリアス再開発計画」と書かれていた。
ーーー本当に、魔界そのものが変わり始めている。
ハイーラはそれを、強く実感した。




