二人の淫魔の、違う優しさ
リリエスと子供達の姿は、その場にはない。
それでも、ハイーラはじっと、リリエス達のいた空間を見つめていた。
なぜだか、目が離せない。
「…遅くなっちゃいましたわね」
イアノは懐中時計を見ながら、ポツリと呟いた。
周りにある時計を見てみると、確かにもういい時間だ。子供が寝てしまっていてもおかしくはない。
留守とマールの世話を任せたペルセが、寝落ちしてしまうかもしれない。
早く、帰らなければ。
「…もしこの後お時間ありましたら軽くお茶でも、と思いましたが…その様子だと、難しそうですわね」
「あっ…いえ…」
懐中時計から目を外したイアノが、悪戯っぽくクスクス笑っている。何だか気まずくなり、視線を反らした。
「…アナタのような優しい方、なかなかいるものではありませんわ」
「えっ…?」
自分が、優しいと。イアノは今、そう言ったのか。
訳が分からず、呆然とイアノを見つめる。
「今回の一件、本来ならば当事者であるマールさんが怒って然るべきことですのに、当人以上にアナタが怒っていた。それだけでも、十分ですの」
違う。
マールが怒らないから、自分が代わりに怒っただけだ。自分が怒らなければ、あの一家に、誰が怒りをぶつけるのか。
優しさではない。感情の代行をしただけだ。
それなのに、そのように言われるのは、どうにもむず痒い。
「そこに加えて、子供への…あの、扱い方も。ペルセさんにもきっと、その優しさが伝わったのでしょうね。だからこそ、心を開いた」
イアノの声は、ずっと穏やかだ。
子どものことも、自分はイアノについていっただけだ。あんな子供に厳しく接することなど、到底できなかった。
ペルセのことについても、マールが連れてきた子供だったから、丁寧な世話をしたに過ぎない。
全部、イアノの買いかぶりだ。そうとしか、思えなかった。
「多分、アナタはそれを、意図してやっていない。マールさんも恐らく、ペルセさんにとっての癒やし役を、意識してやってるわけではないのでしょう?」
そこまで言ってもらえるなんて。ハイーラの胸から、熱いものがこみ上げてくる。
マールのことも、見抜かれている。
ペルセからマールの話を聞いていたのだろうか。
確かにマールは、間違いなくペルセの居場所となっている。
第一発見者である、というだけではない。アイツのことだから、本当に自分の気まぐれで拾ったはずだ。
だが、結果的にマールは、ペルセを救った。自分も大きな傷を抱えたままで。
「お二人は、互いに良いご友人に恵まれましたわ。その関係、今後も大切にしておいたほうが、良いでしょうね」
「…言われずとも。あのズボラと長く付き合えるのは、私だけです」
だからこそ、マールは自分が支えなければ壊れてしまう。今回の件でハイーラは余計にそう確信した。
イアノは静かに微笑むと、懐中時計を懐にしまった。
「…足止めしてしまって申し訳ありませんわ。そんなご友人のところへ、早くお帰りになっては?」
ハイーラはイアノのその言葉に、小さく頷いた。
自身の足元に、一方通行の赤い転送陣を引く。行き先は、マール達のいる、自宅だ。
帰ろう。帰って、今回のことをマールに話さなければ。
「また後日、お伺いしますわ」
赤い光に包まれる直前、イアノの声が聞こえてきた。しかし、それに応えることもできず、ハイーラの体は完全に光に覆われた。




