圧倒的制圧
一体、何をしたのか。
本来の淫魔の幻惑は、快楽や欲望の増幅で理性を崩壊させるだけで、苦しめる作用はなかったはずだ。
にも関わらず、キーア達の上げる悲鳴は、苦痛に染まりきっている。
対象にならなかった取り巻き達も、のたうち回るキーア達を見てオロオロしている。
「来ないでっ!!来ないで、くだざぃ!!」
キーアが血反吐を吐きながら、腕を振り回している。何かに追われているのか。しかし、周りには誰もおらず、ただ本人がのたうち回ってるだけだ。
すると、ピンクの濃霧の中から、混乱を切り裂くように、一つの人影が姿を現す。
ーーーバルディだ。
「…やれやれ。どういうイタズラを仕掛けられたんです?」
バルディは、呆れてこそいるが、平然としている。やはり、突入前に中和剤を飲ませたのは正解だった。
「ちょっと魔力を変えて、返しただけですわ。数分で苦痛から解放されますので、問題はないか、と」
「…それをお手軽に行えるのはさすがです」
ーーーちょっと?
いや、あの色の変化は、明らかにそんなレベルではない。むしろ、真逆にしてしまってるのではないか、と思ってしまう。
バルディはすでに、机の上に出しておいた書類も全て回収していたようで、元々持ってきていた茶封筒が、話をする前と同様に、パンパンに戻っていた。
「まぁ、もっとも…」
イアノはそう言うと、未だ転げ回る取り巻き達を見る。
皆がそれぞれ、転げ回ったり頭を床に打ち付けていたり、髪を振り乱していたりと様々な反応をしていた。
これ以上、まだ何かあるというのか。
ハイーラは戦々恐々としていた。
「…数分で終わるのは、現実世界だけ、ですけどね」
「だろうと思いましたよ」
現実世界だけ、とはどういうことだろうか。
バルディは理解しているようだが、ハイーラにはハッキリと分からなかった。
もしかして、キーア達は何か幻を見せられているのだろうか。だとするなら、今のキーア達の様子は納得できる。
だが、幻の世界の中での時間と現実の時間をズラす事など、可能なのか。
ハイーラがそう考えてる間に、バルディがオロオロしている取り巻き達へと静かに近付いていく。
「無論、アナタ方も捕縛対象です。大人しく来られたほうが、身の為か、と」
バルディは背後で転げ回るキーアを示しながら、冷静に告げる。
ーーー絶望。その瞬間の取り巻き達の表情を一言で表すのに最適なのは、その言葉だろう。
でも、それも無理はない。当主を含めた複数人がかりでの幻惑が全く通じないどころか、倍返しにされてしまったのだ。
そこに勝ち目など、万に一つもなかった。
取り巻き達は壊れた玩具のように、カクカクと頷くだけだった。
すると、イアノが再び口を開いた。
「そういえば…アナタ方にも、お子様がいらっしゃるのですわね。この席には同席していないようですが、屋敷内におられる模様で」
その発言に、取り巻き達がざわついた。
イアノの様子からして、この場で思いついたような発言ではない。
だとするなら…一体、どこまで掌握していたのか。
ハイーラがその場で戦慄していると、イアノは軽く吹き出した。
「そう、硬くならずとも…さすがに私達も、幼きお子様を捕縛、なんてするつもりはありませんわ。マールさんのことや詐欺・贈収賄について、彼女らは無関係ですもの」
クスクスと笑いながら、イアノは言い切った。
その言葉に、ハイーラは安堵した。さすがに子供まで、となっては、いくら何でも可哀想過ぎる。
取巻き達も、同様だったようだ。
ーーーだが、同時に疑問符がハイーラの頭に浮かぶ。
仮にここで、母親達を全員連行した場合、子供達はどうするのか。
何人いるかは分からないが、ハイーラが自分で保護することは難しい。だからといって、イアノ達が保護するのだろうか。
一時的ならそれでも良いかもしれないが、永続的には無理だ。
「あの…どこで、子供達を保護されるので?」
ハイーラは恐る恐る尋ねた。それに対し、イアノは少し考え込んでいた。
「そうですわね…」
イアノは顎に手を添えている。
ハイーラも取り巻き達も、息を呑んで、イアノの次の言葉を待っていた。
少しして、イアノがゆっくりと口を開いた。
「最も手早いのは、淫魔の宗家・キュエル家の方に保護していただくこと、ですわね」
その言葉が、再び場を凍らせた。




