涙と共に戻る日常
なぜ、このタイミングで、涙が出てくるのか。
夢でも、あれだけ泣いたのに。
せっかく食べさせてもらっているパンが、しょっぱい味になってしまう。
そう思って、何とか抑えようとするがーーー無理だった。
「うっ…ひぐっ…」
肩を時々揺らし、鼻をすする。しかし、とめどなく、次から次へと涙がこぼれ落ちる。
マールはそれを見ても、様子を変えない。ただ、何も言わず、次の一欠片を、差し出してくるだけだった。
視界が涙で見えない。そのため、マールがどんな顔をしているのかは分からない。
差し出されるパンは、もれなくしょっぱかった。でも、不思議と食べ続けていたかった。
そんな中で、頭に手を置かれる感触があった。
オーレンの、男性の大きな手とは違った、マールの、女性の細く小さい手ーーー。
その手が、ペルセの頭を優しく撫でた。
「…ペルセ…。よく、頑張ったね〜」
ーーーその一言が、すでに限界ギリギリだったペルセの感情の限界を、一気に越えさせた。
あの時も、オーレンに似たようなことを言われた気がした。それもあってか、ペルセの目から溢れる涙が、一気に増えた。
あの時のように、大きな声を上げる体力は、ない。にも関わらず、鼻をすすっても、漏れる声を抑えようとしても、もう、自力では不可能だった。
肩が激しく上下する。もはや、自分が何をしてて、どこを見ているのかも分からない。
「うぅ…ん…」
しかし、声だけは聞こえてくる。マールの声以外の、少し掠れてる、聞き慣れた声が。
マールや自分を、世話してくれている悪魔の声だ。
「…ペルセちゃん…起きたのね…!」
ハイーラの、嬉しそうな、しかし同時に疲れてそうな声が聞こえる。どうやら、こっちを見ているらしい。
しかし、ペルセはそれに返事をすることができなかった。返せるのは、嗚咽だけだった。
「…で、これどういう状況?」
「見ての通りだよ〜」
「それじゃ分かんないから聞いてるんでしょうが!?」
ーーー何だか、安心感すら出てきた。のんきなマールに、ハイーラが振り回されてる。この数日間で、何回も見てきた、二人の関係性だ。
そんなやり取りを聞いて、何だか少し、息が落ち着いてきた気がする。
「あぁもう、涙と鼻水でグチャグチャじゃない…。ちょっとマール、そのまま支えてなさいよ」
「はいは〜い」
ハイーラはそう言うと、ペルセの顔に紙を押し当ててきた。感触は、『てぃっしゅ』っぽいものだった。
自分の流した涙と鼻水が、その紙で拭き取られていく。何だか、くすぐったい。しかし、抵抗する気にはならなかった。
「ったく…マール、あんた泣かせてんじゃないわよ」
「私何もしてないよ〜。ただパンを食べさせただけ〜」
「そのパンが不味すぎた、とか?」
「そんなわけないじゃ〜ん。確かに新鮮なものではないけど〜」
ハイーラのマールに対する文句は止まらなかった。その間も、口を止めないまま、ハイーラは手を動かし続けた。
ハイーラ本人に言ったら怒られるかもしれないが、このやり取りを聞いてるのが、不思議と居心地良かった。拭かれているうちに、乱れていた呼吸も落ち着いてきた。
「…とりあえず、意識戻ったんなら、普通のご飯も食べれるかしらね」
顔を拭き終わったハイーラは、一息ついてそう言った。しかし、そうは言っても、今の自分は、まだ腕も足も動かせない。それを伝えなければーーー。
「食べれるとは思うけど〜、まだこの子、動けないみたいだからね〜」
「…だからさっき、あんたがパン食べさせてたの?」
「…逆になんでだと思ってたの〜?」
「いや〜、そういう趣味かと…」
「ひど〜い」
代わりにマールに言われてしまった。そして、何だか話がおかしな方向に向かっている気がする。
マールは少し口を尖らせている。変な疑いをかけられたことが、よほど不愉快だったのか。
ハイーラはそれに対し、咳払いをしながら、目を逸らした。
ーーーここは、あの夢の中ではない。
オーレンと別れ、自分の意志で戻ってきた『現実』だ。
そんな気が、していた。




