苛立ちと撤退
突っぱねられた男の感情に、若干の波が立った。
なぜ、振り向きもしない。まるでそう言ってるかのような苛立ちが、顔を見ずとも聞こえてしまう。
「君、噂の留学生だろう?遅刻なんてしたらまずいんじゃないのかい?」
「…人を待ってるんです」
遅刻したらまずい。それ自体は否定しない。こればかりは、大人しく怒られるしかない。そこは、言い訳のしようがない。
だが、ペルセが変わらず動こうとしないことに対する苛立ちは、確実に強くなっている。だが、男はそれを表に出さず、さらに言葉を重ねてきた。
「もしかして、クラスに馴染めてないのかな?相談ならおじさんがのってあげよう」
「いりません。相談があったら、今待ってる人にするので」
その言葉を返した瞬間、最高潮に達していた苛立ちのせいで、何かが切れたような音が聞こえる。
ーーー堪忍袋の緒でも切れたのか。
そんなことを考えていると、後ろにいた男の感情に、大きな変化があった。
悪意が、敵意に近いものに変わっている。さすがに、これはまずい。
ペルセは慌てて振り返る。だが、そこにいる男の表情は、穏やかなものだった。だが、その目は明らかに笑っていない。
「…おや?どうしたんだい?」
だが、言葉は変わらず冷静だった。表情も変わらず、同じくらいの穏やかさだ。
ーーー目的が分からない。それほどの敵意を見せているのに、何のつもりで接触してきたのか。ペルセは何も言わず、相手の男を見つめていた。
「ペルセさん!!」
膠着状態を破ったのは、ラウラの大声だった。それと同時に、魔力通話が途切れた。
中庭の入り口の方に、肩で息をしているラウラの姿があった。時計を見ると、通話を始めてから十分と経っていない。
職員室からこの中庭までは、なかなかな距離があったはず。ずっと走り続けていたのか。
「…おや、あなたは…確か、ラウラ先生、でしたかな?」
ラウラを見た瞬間、男の中での憎悪が膨れ上がる。この男、ラウラと知り合いなのだろうか。
不思議に思いながら見ていると、男は不満そうにしながらもその場で立ち上がった。
「待ち人というのはこの方ですか。では、おじさんは大人しく退散するとしましょう」
男はそう言いながら、その場を離れる方向へと動いた。
その去り際、ラウラの耳元で何かを囁いたように見える。だが、その内容は遠すぎるがゆえに、ペルセが聞き取ることはできなかった。
しかし、その囁きを受けて、ラウラはその顔を一気にしかめる。余程、不愉快なことでも言われたのだろうか。
男はそんなラウラの様子を気にすることもなく、そのまま立ち去る。
「ラウラ先生?」
男を見送るラウラに、ペルセは静かに声をかける。ラウラはしかめた顔のままで男の背を見つめていたが、ペルセの言葉でハッとさせられたようだ。
「…無事で、よかったです」
「え?あの…」
事情を聴かれるかと思って身構えていたのに、思い切り抱きしめられる。
それと同時に、ラウラの安堵の感情も聞こえてくる。実の両親ほどの、力強くて、こちらが少し苦しくなるほどの抱擁ではない。だが、心配されていたことは伝わってくる。
「…とりあえず、今日は早退しましょう」
「えっ?で、でも…」
「私も一緒に帰りますので、事情は帰ってから説明します」
授業に出れないどころか、学校から帰される。それ自体に少し不満ではあったが、ラウラの様子は鬼気迫るものだった。
ペルセは、大人しく従うしかなかった。




