部下の気遣いと上司の本音
「ふぅ…」
話を終えたデメナが、静かに椅子へと腰掛ける。そんな彼女の眼下に、静かに温かいお茶が差し出された。
「デメナ様。お疲れ様でした」
「…お気遣いありがとうございます、イアノさん」
仲介をしてくれたイアノが、自分を労ってくれている。デメナは、お茶を一口飲んだ。
ようやく一息つける。デメナは静かに、息を吐いた。
すると、イアノが少し躊躇いがちに口を開いた。
「…本当に、よろしかったんですか?」
「何がです?」
「その…連れ戻さなくて」
イアノがそう言った後、デメナは少し、黙り込んだ。
イアノが自分を案じていること、そのくらいは分かる。何せ、長年支えてくれた部下なのだから。
「…私が無理にでも、アスティアノからあの子を連れ戻した方が、良かったんですか?」
「そうではないんですが…母娘の時間を増やすことができなくて、辛くはないのか、と…」
そんなイアノに対し、デメナは柔らかく笑う。
やはり、イアノの気遣いは、予想通りだった。
全く辛くない、と言えば、嘘になる。
一緒にいたいし、寝顔も見たいし、毎日食卓も囲みたい。触れ合いたいし、抱き締めたい。
でも、イアノも気付いているはずだ。
無理に自分の意見を押し通せば、かつてペルセを失った時の自分のように、壊れかねない存在がいることを。
「…まぁ…けど、ハイーラさんもすっかり、ペルセさんの保護者でしたからね。無理にその関係を絶つのは、娘にとっても、不幸なことですよ」
「それは…そうですね…」
イアノはそう言うと、何も言えなくなったようで、俯いた。
デメナはそんなイアノの方へと歩み寄った。そして、イアノの肩に、そっと手を添えた。
「私は、母親です。一番に願うのは娘の、ペルセさんの幸福。必要なら、私が一歩退きますよ。あなたもいつの日か、母になれば分かるかもしれませんね」
デメナのその言葉に、イアノは顔をゆっくりと上げる。戸惑いを隠せないようで、視線が泳いでいた。
「おいデメナ」
部屋の外から、クロニオスの声が聞こえてくる。
そういえば今日は、とある政策について、幹部会議を行う予定が入っている。すっかり、忘れていた。
「すぐ行きます」
デメナはクロニオスにそう言うと、イアノの隣を通り抜けた。振り向きもせずに、出口へと向かう。
「…デメナ様…」
イアノの少し悲しげな声に、デメナは歩みを止めた。
もう、あまり時間はない。
デメナは背を向けたまま、独り言のように呟いた。
「そういえば、今回の幹部会議の議題は、『ダスノムの環境・待遇改善政策』について、でしたっけね…」
そう言った瞬間、背後で、イアノの感情に波が走ったことが、魂を通じて伝わってくる。
直接関わるだけが、一人の母親としてできる全てではない。
権力も立場もあるからこそ、ペルセのためになることを全力でやるだけだ。
「おい、早くしろ。夫婦仲良くアモディエナに叱られるのはごめんだぞ」
「そう焦らないでください。すぐ行きますから」
若干、夫の声色に苛立ちが混ざってきた。
これは、早く行ったほうが良さそうだ。
デメナは振り向くことなく、イアノを室内に残し、部屋を出ていった。




