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36話

 私は、数ヶ月ぶりに大聖堂があるこの国で1番大きな都市へと戻ってきた。この場所に、もう二度と戻らなくてもいいと思っていた。けれど、


(私の意思で戻ってきた)


フランツさんが手配してくれた馬車の中で、私は窓の外の景色を見つめていた。一緒に乗っているエマがそわそわとした様子で手を膝の上に置いたり離したりを繰り返している。


「……落ち着かない?」

「え、ええ、少しだけ……でも、大丈夫です!」


彼女は無理やり笑顔を作ったが、その顔は明らかに緊張していた。


(無理もないわ……あの王城に乗り込むのだから)


都市の風景は、私が記憶していたものとほとんど変わらなかった。華やかさはあるけれど、どこか活気が足りない店の前を行き交う人々も、どこか沈んだ顔をしている。


(……この国も変わらなければならない)


私は窓から目を離し、胸に手を当てて深呼吸をした。


(変える。私が、変える)


王様と王子の間違った行いを、今こそ正す。それが、今の私の使命だ。静かに、けれどはっきりと決意が胸の奥に根付いた。馬車が石畳を揺らし、ついに目的地に到着した。


フィオルド公爵のお家はそれはそれは立派で国王の城にも引けを取らない美しい屋敷だった。馬車の扉が開かれ、私は一歩一歩、慎重に外へ降り立った。


「ようこそお越しくださいました、聖女様」


出迎えてくれたのは、執事のような身なりの男性だった。丁寧な一礼を受け、私は一瞬たじろぐ。


(聖女……か)


もう私は聖女ではない。だけど、今は違う。私は聖女として、ここに戻ってきたのだ。エマが私の後ろに立ち、心配そうに顔を覗き込んできた。


「セシリア様、大丈夫ですか?」

「……ええ、大丈夫」


彼女の声が、私の心をふっと軽くした。


大丈夫だと言える自分が、今は誇らしい。



 公爵の屋敷に通され、案内されたのは立派な来客用の部屋だった。ふかふかのソファがあり、紅茶の香りが漂っている。だが、リラックスする余裕はなかった。


私はエマの手を借りながら、家から持ってきた聖女の服を取り出した。


「……この服を着る時が来なければいいな、と思っていたのだけど」


エマが私の背中に手を伸ばし、服の紐を整えてくれる。


「でも、今は違うのですね?」


彼女の言葉に、思わず顔を上げた。彼女の表情は柔らかくて、けれどどこか覚悟があった。


「えぇ、今は、私の意思でこの服を着るの」


エマは慣れた手つきで、スカートの裾や、首元のリボンを整えてくれた。


(ああ、懐かしいな)


彼女とこうして、聖女としての準備をするのは、本当に久しぶりだ。あの頃は、嫌々ながら仕方なく聖女の務めを果たしていたけれど、今は違う。今は自分のために、そして国のために、この服を着るのだ。


「セシリア様、とてもお似合いです」


エマはにこりと笑い、リボンの最後の結び目をきゅっと締めた。


「……ありがとう、エマ」


彼女の優しい言葉に胸が温かくなる。


(彼女のためにも、今日、やらなければならない)


もう誰にも、自分を偽らせたりしない。その時、ノックの音が響いた。


「失礼する」


公爵が部屋に入ってきた。彼の姿は、いつもと変わらない。豪華なマントを羽織り、威厳を持った立ち居振る舞いだったが、その目はまるで物語の続きを楽しむかのような、輝きを持っていた。


「さすが、聖女様だな」


彼は、じろりと私を上から下まで見て、笑った。


「町娘の格好も可愛らしかったが、この服を着ると威厳があるな」


「……からかわないでください」


公爵は楽しそうに笑っていた。


「冗談のつもりだったが、あながち嘘でもないぞ」


彼は軽く手を振り、背を向けた。


「さあ、行こう。王の祝宴が始まるぞ」


私は、彼の背中を追いながら深呼吸をした。


(大丈夫……大丈夫よ、セシリア)


足元を見ないようにして、しっかりと前を見据える。


(私はもう、怯えたままの聖女じゃない。)


公爵の屋敷を出ると、馬車が用意されていた。待っていたのは、大きな黒い馬車。その扉を開けたのは、見慣れたリード様だった。


「お迎えに参りました、セシリア様」


彼の落ち着いた声が、いつも以上に頼もしく聞こえた。


「……ありがとうございます、リード様」


私が乗り込むと、続いてエマも馬車に乗った。


ふかふかのクッションが背中を支えてくれるが、私の体は固まったままだった。


これから向かうのは、王の城。


車輪が石畳を叩き、カタン、カタン、と規則的な音が響く。ふと、エマが私の手を握った。


「セシリア様、怖くありませんか?」


その問いに、私は一度だけ目を閉じて、静かに微笑んだ。


「……怖いわ」


素直な気持ちを吐露する。


「でも、それ以上に……」


彼女の目を見て、はっきりと言い切った。


「今は、戦う覚悟ができている」


エマの目が丸くなり、少ししてから、彼女はにこっと笑った。


「心配無用ですね!」


彼女の無邪気な笑顔が、不思議と勇気を与えてくれた。


(この戦いは、私たち全員の戦いだ)


そう思った時、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。

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