32話
会議は、最悪の形で幕を閉じた。
「では、『偽りの聖女』を立てる方針で決まりだな」
王の鈍い声が広間に響き、貴族たちが次々と頷いた。王子は、これ以上ないほどの満足そうな笑みを浮かべていた。
「これで面倒事もひとまず収束だな。父上も良い判断をしたものだ」
王子の声は明るく、何かが解決したかのように気軽だった。だが、レオナードはその笑顔が何よりも醜く見えた。
「では、解散としよう」
王が手を軽く振り、会議はあっけなく終了を告げた。
貴族たちは「では、これにて」などと言いながら、次々と退出していく。広間がざわつき、靴音が廊下へと響いていく中、レオナードはその場を動かずに立っていた。
「……偽りの聖女、か」
彼の胸に浮かぶのは、あの大聖堂で毎日忙しなく働いていたセシリアの姿。そして、今の穏やかな笑顔で、村人たちと語り合い、野菜の収穫を喜ぶ彼女の顔が鮮明に蘇る。
(偽りの聖女……だと?)
拳を強く握りしめた。歯を食いしばり、抑えたはずの怒りが胸の内で渦巻いていく。
「おい、団長殿」
不意に後ろから声がかかった。
「公爵様が呼んでおられます。至急、執務室までお越しください」
振り返ると、若い貴族らしい男が立っていた。どこにでもいる裕福そうな男性。だが、公爵の名を出したと言うことは、彼もきっと只者ではないのだろう。
「……わかった」
レオナードは無言のまま、男の後を追った。
執務室に入ると、室内にはフィオルド公爵が1人で待っていた。窓からは穏やかな光が差し込み、静かな空間に緊張感が漂う。
「来たか、レオナード騎士団長」
彼は紅茶のカップを片手に、ゆったりとソファに座っていた。
「何のご用でしょうか」
レオナードは無表情のまま言ったが、視線は鋭かった公爵はゆっくりとカップを置き、微笑を浮かべた。
「まずは、『取引は無事成立した』、その報告をしようと思ってな」
「……」
「お前が用意した金庫の中の資料、あれは見事なものだったよ」
公爵は面白そうに目を細めた。昨日の今日で、もうすでに金庫を開けて、中身を全て確認したのか。やはり彼の手腕を称えるしかない。
「今まで私が君を脅してでも手に入れたかった情報をこんなにあっさり頂けるとわね」
「……」
「交渉通り、情報ギルドは聖女捜索から手を引いた。王子にもギルドから『捜索を続けたが、なんの証拠も得られなかった』と伝えさせたよ。よっぽど酷い顔をしていたのだろう、構成員達は今夜の良い酒のつまみが出来たって喜んでいたよ」
「……ご苦労さまでした」
レオナードの言葉は冷たかったが、公爵は気にする様子もなかった。
「ふむ、これで一件落着……かと思ったのだが、どうやら王子どもは『偽りの聖女』を作り出すらしいな」
レオナードはわずかに眉をひそめる。
「愚かな話だ」
公爵が静かに吐き捨てた。
「まぁ、奴らしいと言えば奴らしいがな。あの王と王子が考えそうなことだ」
紅茶のカップを手に取り、香りを楽しむように鼻をすんと鳴らした。
「だが、こちらも準備ができそうだ。あの資料があれば、色々と動ける」
「準備……ですか?」
レオナードが問いかけると、公爵はニヤリと口角を上げた。
「まだ教えないさ。ただ、もう少しで『面白い舞台』が出来上がる。整ったら君と聖女様を招待するよ」
彼はそう言い、紅茶を一口すする。
「お前は引き続き、聖女の護衛に専念しろ」
公爵の言葉に、レオナードは小さく頷いた。
「それと……」
公爵は思い出したかのように、懐から小さな麻袋を取り出した。
「これをあのお嬢ちゃんに返しておいてくれ」
「……これは?」
受け取った麻袋は、ずしりと重かった。中を確認すると、金貨が入っている。
「構成員から神官見習いのお嬢ちゃんが、持ち込んだ金だと聞いた」
レオナードははっとした。
「お嬢ちゃんは、聖女様に会うために情報ギルドに金を支払ったのだろう? すまなかったな。返しておいてくれ」
「わかりました」
レオナードは静かに受け取った。
「さて、それじゃあ……」
公爵はゆっくりと立ち上がり、長いマントをひらりと揺らした。
「あの村はいいな。空気が美味いし、ワインが美味かった」
まるで、ただの旅行の感想のように呟くと、彼は笑いながら執務室を出ていった。執務室に残されたレオナードは、金貨の入った麻袋を握りしめたまま、しばらく動かなかった。
(……エマ)
彼女が、どれだけの想いでセシリアを探し続けたのか、すべてが理解できた。『情報ギルドに全財産を持っていかれた』と涙ぐんでいたあの姿が頭をよぎる。
(無駄にさせるものか)
麻袋を軽く握りしめると、彼は決意を固めた。
(次は俺の番だ)
静かに立ち上がり、レオナードも執務室を出ていった。長い廊下を歩きながら、心の奥底に大きくの明確な意志が生まれていた。
◇
レオナード様が王子に呼ばれてから、もう三日が経った。大丈夫だろうか……無事でいるだろうか……。彼がこの村を出発する時の姿が、今でも頭から離れない。
背筋を伸ばして馬に乗り、私に「すぐ戻ります」と笑顔を見せたが、あの時の表情はどこか寂しげだった気がする。
一人でいる時間が増えた分、いろんな事を考えてしまう。大聖堂にいた時は、毎日が忙しくて、考える暇もなかった。
けれど、今は違う。静かに流れる時間の中で、考えれば考えるほど、胸の奥が重くなっていった。
(……王子は、レオナード様のことを疎ましく思っていたのかもしれない)
ふと、そんな考えが浮かぶ。思い返せば令嬢たちがレオナード様の話をしている時、王子が不機嫌な顔をしていたことが何度かあった。
『騎士のくせに目立つのは気に食わない』と、王子がぼやいていたのを聞いた記憶がある。当時はそんなものかと流してしまったけど、今考えると、それは嫉妬だったのかもしれない。
(……大丈夫。レオナード様はあの王子になんて負けない)
そう心の中で言い聞かせるものの、不安は拭い去れなかった。
そんな私の様子を心配してくれたのか、村の人たちが毎日様子を見に来てくれた。
「セシリアさん、元気かい?これ、昨日作ったハンバーグだけど、よかったらどうぞ」
「セシリアさんの家、ちょっと暗いんじゃない? これ、うちのあったランプだけど使ってちょうだいね」
「セシリアちゃん、ちゃんと寝れてる?このお茶、寝付きにいいらしいから飲んで!」
持ち込まれるのは食べ物だけじゃなかった。衣類や小物、村の子供たちが作った手作りのお守りまで、いろんなものが次々と家のテーブルに並べられていった。
(本当に……この村に来てよかった)
優しい人たちばかりだ。彼らは、自分たちの大切なものを私に分け与えてくれる。
(私も……何か恩返しがしたい)
この村に何ができるだろう? 私ができることは何だろう? そんなことを考える時間が、今の私にとっての支えになっていた。
ふと、外から馬の足音が聞こえてきた。
(え……?)
胸が一気に高鳴った。窓の外をのぞくと、遠くから馬に乗った影が近づいてくるのが見えた。
(もしかして……!)
考えるよりも先に体が動いていた。
「レオナード様!?」
勢いよく家の扉を開け、庭を駆け出す。目の前の道を見つめ、馬の姿を探した。見覚えのある黒い馬と、その上に乗る見慣れた背中。
レオナード様だ!
私の胸が一気に高ぶり、気づけば走り出していた。土を蹴り上げながら、夢中で彼の方へと向かう。見つめる彼の表情が、一瞬でぱあっと明るくなったのが分かった。
彼は馬を止め、ゆっくりと降り立つ。そして、
「……ん?」
両手を大きく広げた。
(え?)
両手を……広げた?私の足が、彼の前でピタリと止まる。
「……その手は何ですか?」
訝しげに尋ねると、彼は不思議そうな顔をした。
「え? 私の胸に飛び込んでくれるのかと思ったのですが」
「はっ!?」
一瞬、頭が真っ白になった。
「ほら、だいたいこういう時は、おかえりなさいと一緒に胸に飛び込むのが定番では?」
彼は、しれっと言いながら手をそのまま広げ続けている。
「し、しませんよ!そんなこと!!」
私は勢いよく叫んだ。熱が一気に顔に上がっていくのが分かる。
「そうですか。それは残念だ」
彼はあからさまに肩を落とし、心底残念そうな顔をしてみせた。
「な、なんですか、それ……!」
(この人は本当に……もう!!)
恥ずかしさで耳まで熱くなっているのが自分でも分かった。彼のからかいに、心が踊るような感じがする。
「……お帰りなさい」
小さな声で呟くと、彼の口元が、にやりと笑みを浮かべた。
「ただいま、セシリア様」
彼は、どこか満足そうな笑みを浮かべた。その笑顔を見ていると、不思議と心がポカポカと温かくなるのを感じた。やっと帰ってきてくれた。そう思うと、胸の中の不安が、すっと消えていく気がした。




