33話
喜びも束の間、リビングの空気は重かった。テーブルを囲むのは、私、レオナード様、エマ、そして病み上がりのフランツさん。
窓から差し込む光は暖かいはずなのに、部屋の中の冷たさはどうしようもなかった。
「『偽りの聖女』を立てる……ですか?」
静かに口を開いたのはフランツさんだった。彼の目はしっかりとレオナード様を捉えていた。
「そうだ」
レオナード様は、低く重い声で答えた。
「先日の会議で、王と王子、それに貴族たちが一致して決めた方針だ。『聖女の不在が続けば、民の不安が高まり、暴動の恐れもある』というのが理由になる」
「……だから偽りの聖女を?」
フランツさんが眉をひそめた。
「そうだ。あの者たちにとって、聖女は国民の心を安定させるための道具でしかない。偽りであろうが、本物であろうが関係ない。形さえ整えば、それでいい」
その言葉が胸に刺さった。
(そうだ……彼らにとって、私は『道具』でしかない。そんな事わかってたじゃない……)
自分がいかに愚かだったか、今さら気づかされた。
(偽物を立てるなんて考えもしていなかった。だけど、あの王様と王子なら、やりかねない)
頭を抱えたくなる気持ちをぐっと堪え、私は静かに目を閉じた。ある時の光景が脳裏に浮かぶ。
あれは、王様から任務を命じられた日のことだった。王宮の庭園を歩いている時、ふと視界の先に見慣れた令嬢たちの姿が見えた。
ベンチに座り、肩を震わせて泣いている令嬢と、その隣で彼女を慰めている別の令嬢。
(……関わらない方がいい)
直感的にそう感じた私は、なるべく気づかれないように足早に通り過ぎようとした。だが、
「いいよねぇ、神様に認められた『特別な存在』って」
はっきりと、私の耳に届くように言葉が投げかけられた。
(……っ)
足が止まる。視線を向けると、泣いていた令嬢が私をじっと見つめていた。もう一人の令嬢は、冷笑を浮かべたままこちらを見ている。
「ふふ、立ち止まっちゃった。さすが聖女様はプライドが高いわね」
冷たくて、トゲのある声だった。
「良いご身分よね。私たちみたいな『ご令嬢』は、代えがいくらでもいるもの」
彼女は、わざとらしく肩をすくめて、あからさまな嘲笑を浮かべた。
「でも、聖女様は唯一無二だから、婚約まで取り付けられたんですものね。すごいわぁ」
皮肉な言い方に、胸がチクリと痛んだ。
(……王子の婚約者は私。でも、それは聖女だから)
彼女の言葉が真実だと分かっていたから、反論する気力もなかった。
「でもね、聖女様」
令嬢は、ゆっくりと立ち上がり、こちらに一歩近づいてきた。
「あなたは、決して愛されることはないのよ」
その言葉が、まるで刃のように私の心を抉った。
「聖女として愛されても、誰か一人の人間として愛されることはない。だって、聖女は国の『道具』だもの」
言葉に詰まった私を見て、彼女は勝ち誇ったように笑った。
今思えば、私も令嬢も気付けてなかった。『道具』こそ、変えが聞く便利なものだと。
(王子は、いつだって利用価値がなくなれば、すぐに次を見つける)
その事実を、私は今まで何度も見てきたはずだったのに。
気づけば、テーブルの上に手を乗せ、じっとその木目を見つめていた。手のひらがじんわりと汗ばんでいるのを感じる。
「セシリア様……」
隣から、小さな声が聞こえた。顔を上げると、エマがそっと私の手を握っていた。彼女の手は温かくて、小さなその力が、私の心をふっと軽くしてくれた。
「……ありがとう、エマ」
彼女に微笑みかけたあと、私はレオナード様を見つめた。彼は私の視線に気づき、じっと見返してきた。
「レオナード様」
私はテーブルの上に両手をつき、真剣な眼差しで彼に言葉を告げた。
「私と同じように苦しい思いをする人を、生み出してはいけないと思います」
私の決意を込めた言葉に、彼の目が少しだけ見開かれた。一瞬の静寂のあと、彼は小さく微笑んだ。
「……私も、同じ気持ちです」
その言葉が、胸の奥にじんわりと染み込んでいく。
「公爵が、何か準備をしているようでした。彼の動きがまだ見えませんが、きっと何かを考えているはずです」
レオナード様の目は、これまでにないほど鋭い輝きを放っていた。
「今は、あの方にお任せしましょう。きっと、私たちが『やらなければならない時』が来るでしょうから」
その言葉の意味が、はっきりと胸に響いた。
「……はい」
私は静かに頷いた。その時が来たら、今度こそ、私は自分の意思で行動する。
(今度こそ、逃げたりしない)
このリビングにいる仲間たちの視線が、私の心に小さな火を灯してくれた気がした。静かに、けれど力強く、胸の中でそう誓った。
夕暮れが過ぎ、空が薄暗くなり始めた頃、私はリビングで手を動かしていた。エマと一緒に夕食の支度をしていたのだが、ふとレオナード様が何かを思い出したように立ち上がった。
「エマ」
彼の声にエマが振り返ると、彼は懐から小さな麻袋を取り出した。
「これを預かってきた」
「……え?」
エマはきょとんとした表情を浮かべた。レオナード様は、その袋をテーブルの上に軽く置く。
「公爵から預かったものだ」
エマは戸惑いながらも麻袋を手に取り、ゆっくりとその口を開けた。
「え、なにこれ……?」
袋の中から、金貨がぎっしりと詰まっているのが見えた。彼女の目が大きく見開かれ、思わず息を呑んだ。
「え、え、えええぇぇぇっ!? な、なにこれ!? なんで!? どういうことですか!?」
「公爵が言っていた。『すまなかった』と」
レオナード様が淡々とそう告げると、エマの驚きは一気に怒りへと変わった。
「な、なにが『すまなかった』ですか! あいつら、私の全財産を根こそぎ持っていったくせに! 最初に『情報なら必ず手に入る』とか言っておいて、最後には『これじゃ足りません』ってふざけたこと言ったんですよ!!」
怒りのままにエマはテーブルをバンバンと叩き始めた。
「ほんっとに、あいつら最低です! やってることは詐欺じゃないですか! 返すなら最初から取らないでくださいよ! もう!絶対関わらないから!情報ギルドなんて!」
「落ち着いて、エマ」
フランツさんが笑いをこらえながら宥める。
「でも、ほら、全財産が返ってきたんだし、むしろ良かったじゃないか?」
「ぐぬぬ……それはそうですけど!」
エマはぷくーっと頬を膨らませたが、金貨が戻ってきたことが本当に嬉しいのか、袋をぎゅっと抱きしめていた。その様子が愛らしくて、つい私もくすりと笑ってしまう。
「良かったわね、エマ」
「えへへ……はい! これでまたセシリア様と一緒に、美味しいお菓子が買えます!」
エマの笑顔は無邪気で、私の心は少し軽くなった。




