31話
昨夜の出来事が、まだ胸の奥で燻っていた。聖女だと村の人に知られて、情報ギルドの襲撃、公爵の来訪、そしてレオナード様からの真実の告白。目まぐるしく変わる状況に、心が落ち着く暇もなかった。
話し合いが終わると朝方になっており、リビングの椅子に腰掛けていたレオナード様は、見張りをしていた騎士団員からの報告を受けると、重い顔をして立ち上がった。
「……王子からの呼び出しがありました」
そう呟き、短く「行ってきます」とだけ言い残して、村を出発した。彼の背中を見送った私は、言いようのない不安を抱えたまま、動けずにいた。
(大丈夫よね……レオナード様なら、きっと)
そう自分に言い聞かせる。けれど、どこか胸がざわついて仕方がなかった。
「……さ、やることをやらなくちゃ」
不安を払うためにも、いつも通りの日課を始めることにした。朝の空気はひんやりとしていて、露が草木を濡らしていた。私はバケツに水を汲み、庭の小さな畑に向かった。
「今日は晴れそうね」
澄んだ青空に、朝日が少しずつ昇っていくのが見える。その穏やかな光を浴びながら、私は野菜たちに丁寧に水を注いでいった。
「よし、次はお皿洗いを……」
家の中に戻り、昨夜の片付けに取り掛かる。テーブルにはまだ昨夜の名残が残っており、エマやレオナード様と話した内容が頭の中を駆け巡る。
リビングから奥の寝室の方を見ると、エマがフランツさんの隣に寄り添い、彼の手をぎゅっと握りしめていた。
「……大丈夫?」
そっと声をかけると、エマは顔を上げて、ふにゃりと笑った。
「はい、大丈夫です。フランツさんの顔色も良くなってますし、きっとすぐに目を覚まします」
フランツさんの顔は、昨夜の険しい表情とは打って変わって、穏やかに見えた。エマはじっと彼を見つめ、何かを考えているようだった。
「ねえ、セシリア様」
エマが不意に口を開いた。
「ん? どうしたの?」
「私、フランツさんが目を覚ましたら……ちゃんと感謝を伝えようと思うんです」
彼女の言葉はとても真剣だった。
「私、ずっとフランツさんに頼ってばかりでした。だから……目を覚ましたら、今までの事、ちゃんとお礼を言いたいなって」
エマの小さな決意を聞いて、私は静かに頷いた。
「きっと、フランツさんは喜ぶわ」
「……そうですかね」
エマは、少しだけ照れくさそうに頬をかいた。フランツさんの安らかな寝息を聞きながら、私はリビングのテーブルを拭いた。その手の動きが自然と止まる。
王子からの呼び出しは、きっと良い話ではない。むしろ、あの王子が何か『ろくでもないこと』を考えている気がしてならなかった。
(王子は、私を探し出して大聖堂に戻そうとしてる……)
胸がぎゅっと締め付けられた。私がいなくなったことで、聖女という『役割』が大聖堂ではどうなったのか想像もつかない。けれど、彼らが『聖女』という都合の良い道具を手放すはずがない。
(……大丈夫。私はもう逃げない)
「さあ、次は洗濯物を……」
手を動かし続けていないと、不安に押しつぶされそうだった。いつもなら、騎士団員が見回りに立っているはずの外の様子も、今はどこか静かすぎる。
(この静けさが、なんだか怖い)
まるで嵐の前の静けさのような、そんな不気味な気配を感じていた。
(レオナード様、どうか無事でいてください)
そう祈りながら、私は静かに手を動かし続けた。外から聞こえるのは、鳥のさえずりと、風の音だけだった。
◇
広間の扉がゆっくりと開かれると、鋭い視線が一斉にレオナードへ向けられた。部屋の中央には、王と王子が玉座に座っており、その周囲には10人ほどの貴族たちが並んでいる。
豪奢な装飾が施された大広間。高い天井には美しいシャンデリアが揺れ、壁には王家の象徴である紋章が大きく掲げられている。重厚な雰囲気が、これからの話が普通ではないと強烈に物語っていた。
(……ついに、来たか)
その一番奥、右端の位置に見覚えのある男、フィオルド公爵が立っていた。彼は薄い笑みを浮かべて、こちらを眺めている。
嫌な予感が脳裏を過ぎるが、レオナードは表情を崩さない。無言のまま広間の中央まで歩み出た。静かに膝をつき、頭を下げる。
「……遅かったな」
玉座の上に座る王が、面倒くさそうに呟いた。その隣で王子は足を組み、頬杖をついてレオナードを見下していた。
「随分と待たせてくれたな、騎士団長殿」
その声には、嘲笑の響きが混じっていた。
「して、報告はどうだ? まさか『まだ見つからない』などと間抜けな言い訳をするつもりじゃあるまいな?」
広間にいる貴族たちも、王や王子と同じく苛立っている様子を見せる。すでにこの場の空気は、『吊し上げ』のために作られているのだと、レオナードはすぐに悟った。
「……聖女セシリア様の捜索は続行中です。現在も捜索を進めておりますが、未だ発見には至っておりません」
静かに告げると、途端に一人の貴族が鼻で笑った。
「はぁ? それだけか? 何ヶ月経っていると思っているんだ、騎士団長よ!」
銀髪の伯爵が声を荒げる。
「聖女がいなくなったせいで、我が領地の『浄化』ができなくなっているんだ! 作物の収穫が落ちて、農民どもが不安がっている!」
「そうだ! うちの領地でもだ! あの『浄化の儀式』がいかに重要だったか、痛感しているのだ!」
貴族たちの不満が次々と噴き出し、レオナードに圧がかかる。王子がニヤリと笑いながら、わざと大きな声で言い放った。
「おいおい、 レオナード。貴族の皆様をこれ以上困らせるつもりか? 騎士団長ならば、さぞかし優秀な部下を抱えているはずだろう?」
彼の言葉に貴族たちの笑い声が重なった。
「聖女の捜索を命じられながら、半年も見つけられない無能騎士団、か。滑稽なものだな!」
声をあげた金髪の侯爵が、蓄えた立派な髭を触りながら、言葉を続けた。
「いっそのこと、国民の前で『聖女は亡くなった』と発表してしまえばいいのではないか? そうすれば、いらぬ期待を抱かせる必要もない」
その言葉に、他の貴族たちが同意するように頷き始めた。
「確かに、聖女がいなくなった今、下手に期待を持たせるより、『もういない』と言い切ってしまえば民も諦めるだろう」
「それだと、土地の浄化はどうするのだ?」
「聖女の捜索は続行だ。浄化は見つかり次第、最優先でさせよう」
その提案に、貴族たちの間から「それは名案だな」と声が上がった。そして、王子が下品に大きな声で発言する。
「そうだ。『聖女』という存在は象徴にすぎない。国民はその姿を崇めるが、結果誰だって良いのだ。新たな聖女を用意しよう!」
貴族が口々に王の意見に賛同をする。偽の聖女を立てると言うことか。それが許されと思っているのか?レオナードは彼らの意見に嫌悪感を抱く。
「聖女は神秘の象徴ですので、セシリアが見つかったとしても無碍には出来ない。これでも、私の元婚約者ですから、私が責任を持って『愛人』など、こちらの手の内に納める事にしましょう!」
下品に高笑いをする王と王子。軽薄な会話が続く中、レオナードは静かに目を閉じた。貴族たちの声が彼の耳に届いていたが、まるで汚れた空気を吸わされているような気分だった。
貴族達の汚らわしい笑い声を聞きながら、レオナードの中で沸々とセシリアを想い怒りの感情で満たされていく。レオナードの視線が、王子と貴族たちをゆっくりと見渡した。その獲物を見極める猛獣の様な視線に誰も気づいていない。




