23話
集会所の中では、村の人々が温かな声を掛け合い、セシリアを励ます声が絶えなかった。子どもたちが彼女のそばに駆け寄り、大人たちも一人、また一人とその輪に加わって。
「私たちの村の誇りだよ、セシリアさん」
「この村に来てくれて、本当にありがとうね」
「困ったら、私たちがなんとかするから!」
それぞれが彼女に優しい言葉を投げかけ、セシリアは涙を浮かべながらも、何度も頭を下げていた。
そんな温かな光景を見届けたレオナードは、静かに集会所の扉を開け、外に出た。冷たい風が頬をかすめ、辺りは徐々に夕暮れに染まっていく。
「お待ちしておりました、団長」
扉のすぐ脇、木陰にひっそりと立っていたのは、レオナードの部下であるリードだった。彼は黒いマントを肩にかけ、辺りの様子を警戒しながら静かに佇んでいた。
「……状況が変わった」
彼はリードに目を向け、低い声で言った。
「どういう意味でしょうか?」
リードが僅かに眉を動かす。
「セシリア様の正体が村の者たちに知られた」
「……!」
リードの目が一瞬見開かれるが、すぐに表情は落ち着きを取り戻した。
「その反応から察するに、村人達は騒ぎを起こしてはいないようですね」
「むしろ逆だ」
レオナードは静かに続けた。
「彼らはセシリア様は自分達が守るといっている。だが、善意は時に隙を生む。それだけで情報ギルドはこの村を嗅ぎつけるだろう」
リードは静かに頷き、深い息をついた。
「確かに、彼らの探りは執拗ですし、隠れ家が見つかれば、今度は村ごと脅しにかかる可能性もあります」
「だからこそ、これからは『いつ襲撃があってもおかしくない』という前提で行動する」
レオナードは鋭い目つきでリードを見据えた。
「この村を『戦場』にしてはいけない。セシリア様の大切な居場所だ」
リードの表情が引き締まる。
「承知しました、団長。それと…」
リードは辺りを見渡し、先程よりも小さな声で警戒した様子でレオナードに伝える。
「エマという神官見習いですが、その情報ギルドと数ヶ月前に接触した様です」
レオナードの眉間にはシワが寄る。心のどこかでは、セシリアの為にも『白』であって欲しいと願っていた。
「どういった内容での接触かは分かりませんが、隠れて会っていた様なので、警戒しておいた方が良いでしょう」
レオナードは少し考えを巡らせた後、気を引き締めた様に『騎士団長』の顔付きに戻り、部下に命令を下す。
「お前らは引き続き監視を続けろ。情報ギルドの連中がこの村に近づく兆しがあれば、すぐに知らせろ。特に森の小道は常に目を光らせておけ」
「かしこまりました」
リードは素早く身を翻し、音もなく森の方へ消えていった。その姿は木々の影に溶け込むように静かで、彼の足音は一つも聞こえなかった。
レオナードは一人、その場に立ち尽くした。静かだ。集会所の中から聞こえる笑い声や、子どもたちのはしゃぐ声が遠くに聞こえる。
(……守れるだろうか)
彼の脳裏に浮かぶのは、あの穏やかな笑顔を浮かべるセシリアの姿だった。
(……俺がいる)
レオナードは自らに言い聞かせるように胸の内でつぶやいた。
(俺がいる限り、彼女を誰にも渡さない)
彼の手が、無意識のうちに腰の剣の柄を握り締めていた。その手は強く、決して揺るがない。
(これまで情報ギルドの動きを泳がせてきたが……この村が危険に晒されるようなら、もうそれも終わりだ)
彼はふっと静かに息を吐いた。
(覚悟はできている)
情報ギルドの本拠地も、支部の所在地も、未だに完全には突き止められていない。だが、彼は少しずつ、ギルドの構造を把握しつつあった。
(『マスター』の正体さえ掴めれば……)
ふと、胸の内に迷いが生じた。彼は以前から情報ギルドがただの犯罪者集団ではないと感じたことがあった。やけに統率が取れた動きや、引き受ける仕事の内容に統一性を感じていた。
(裏にもっと大きな存在がいる可能性がある)
だが、それはまだ証拠が揃っていない推測に過ぎない。
「……『覚悟』だけじゃ、守りきれないかもしれないな」
彼はポツリと呟いたが、その声は誰にも届かない。
◇
真っ赤な絨毯が敷かれた広間の一角で、俺はソファに身を預け、肘掛けに肘を乗せたまま、窓の外をぼんやりと眺めている。
(……進展がない)
その考えが頭をぐるぐると回る。
(情報ギルドを雇ってから数日経つのに、まだ何の報告もないとはどういうことだ?)
報酬を支払ったのに、結果は一切なし。毎度のことながら、苛立ちは募るばかりだ。ギルドの連中は「調査を進めています」だの「情報の精査中です」だの、何一つ具体的な内容を伝えてこない。
(ここまで手がかりがないとなると、もしかして……もうこの世には……)
そのまま考えるのも面倒になり、肘掛けに片肘をつき、顎を乗せる。隣では、『今の彼女』が不機嫌そうにしている。
「ねぇ、退屈なんだけど」
気だるそうな声が耳を打つ。隣に座る令嬢は、金の髪を指先でくるくると巻きながら、ふて腐れたような顔をしていた。
(……めんどくさい)
彼女が不機嫌になる理由はわかっている。ここ最近、探しに難航して彼女の退屈を満たしてやれていないからだ。貴族の令嬢というのは、こういう時にとことん面倒だ。
「何か楽しいことはないの?」
彼女が首をかしげ、上目遣いでこちらを見つめてくる。その仕草は確かに愛らしいが、今の俺にはまったく響かなかった。
(これも全部、セシリアのせいだ)
ふと、脳裏に浮かぶあの女の姿。彼女がいなければ、こんな面倒な思いをすることもなかった。今頃は全てが思い通りに進んでいたはずだ。
(そして……何の成果もあげないレオナードのせいでもあるな)
苛立ちがさらに膨れ上がった。
(あいつめ……。本当に気に入らない)
昔から、あの男は気に触る存在だった。妙に冷静で、王子の自分にも媚びる素振りを見せない。何度も『試練』と称して戦場に送り出したのに、傷一つつけることもなく戻ってきた。
(最近、姿を見かけていないが……何をしている?)
ふいに胸騒ぎを覚えた。
「……レオナードを呼び出すか」
ふと口にした言葉が、隣にいた令嬢の耳に届いてしまった。彼女は反応を示し、目を輝かせて俺の方へ身を乗り出す。
「え? レオナードって、あの騎士団長様のこと? あの方、かっこいいわよね!」
「……は?」
彼女の声に、一瞬思考が止まった。
「だって、背が高いし、あの体つき! 鍛えられた筋肉って本当に素敵よね! 鎧姿なんてもうたまらないわ」
「……おい」
俺の顔が徐々に険しくなるのに彼女は気づかず、一人で話し続けている。
「それに、あの冷静な雰囲気も素敵! あんな人に守られたら、絶対にときめいちゃうわよね!」
「……やめろ」
「ねぇ、王子様もそう思いません? だってあんなにかっこいい人、そうそういないわよ!」
令嬢の目はすっかり輝いていた。その様子を見て、俺の眉間に青筋が浮かぶ。
「……黙れ」
「え?」
「黙れと言っただろ!」
強い口調で言い放つと、椅子の肘掛けを叩いた。パン、と乾いた音が響き、彼女は「ひっ」と肩をすくめる。
「お前は俺の隣にいるんだぞ。俺の前で他の男を褒めるな」
「え……べ、別にそんなつもりじゃ……」
彼女は視線を泳がせ、言い訳をしようとしたが、不機嫌さに気づいたのか、それ以上は何も言えなくなった。
(……ちっ、どいつもこいつもレオナード、レオナードって……!)
胸の内がざわつく。王子は苛立ちを隠せないまま、彼女に背を向けた。
レオナードの顔を見るたび、なぜか苛立ちが募るのだ。無表情で何を考えているかも分からない。自分の指示には従うが、従順さは感じられない。何かを隠しているかのような、あの態度。
(……お前も覚悟しておけよ、レオナード)




