12話
夜の冷たい空気が静けさと共に広がる中、レオナードはセシリアの家の前に出た。そして、鋭い視線を周囲に巡らせていた。暗闇に目が慣れると、森の木々がゆらりと揺れ、草むらがかさかさと音を立てているのがわかる。
その時、草むらの奥から人の気配を感じた。
瞬時に体が反応する。音もなく腰の剣の柄を握り、鋭い眼差しで草むらの中を見据えた。
「……団長、俺です」
低い声が聞こえると同時に、人影が草むらからゆっくりと姿を現した。
「……またお前か、リード」
レオナードは手を緩め、剣の柄から手を離した。現れたのは彼の部下であり、騎士団の中でも特に信頼を置いている兵士の一人だ。
「すみません、団長。驚かせてしまいました」
リードは軽く頭を下げながら、手に持った資料を差し出した。
「報告です。情報ギルドの動きが確認されました。依頼主は王子だそうです」
「……やはりか」
レオナードは目を細め、リードの手から資料を受け取った。封を解き、視線だけで内容をざっと確認する。
「情報ギルドの動きが確認されたのは3つの町。いずれもセシリア様の居場所を嗅ぎ回っている様子です」
「……こそこそと動いているようだが、情報ギルドの進捗は良くなさそうだな」
「情報収集のために聞き込みをしているようですが、村の住民たちは聖女の味方をしている様で苦戦している様子です。あと、こちらの諜報員から聞いた話だと、商人のフランツという男が根回しているそうで、大きな進展はないようです」
レオナードは静かに頷いた。今日会ったばかりのフランツという男。彼なりにセシリアを守るため、動いていたのだろう。彼の行動力と優秀さには驚かされる。彼だからこそ、セシリアをここに連れてこれたのだろうと、レオナードは悔しいながら感心させられた。
「団長、もう一つご報告があります」
リードの声に、レオナードは視線を向けた。
「貴族たちの間で『騎士団は聖女を見つけられない無能な集団』という評判が立ち始めています。王子が情報ギルドに依頼したことで、ますます騎士団の信頼が揺らいでいます」
「……予想通りだな」
レオナードは表情を変えずに言った。
「ですが、騎士団内の士気は決して落ちてはおりません。セシリア様は国民のそして、騎士団の恩人でもありますから」
いつもは淡々と業務をこなすリードが熱くなっている様子に、レオナードも笑みを浮かべる。セシリアへの忠誠心は彼も同じなんだろう。
「セシリア様の家の警備も増やしておりますので、何かあればすぐにご報告いたします」
「ご苦労だったな。引き続き、警戒を怠らないように」
「承知しました」
リードが一歩引こうとした時、レオナードは懐から小さな封筒を取り出した。
「それと、これを届けてほしい」
「……これは?」
「届ける際に目立たないように行動しろ。誰にも見つかるな」
リードは封筒を受け取り、何も言わずに頷いた。その様子を見て、レオナードは短く息を吐いた。
「頼んだぞ」
「任せてください」
リードは封筒を懐にしまい、くるりと踵を返して森の奥へ戻ろうとしたが、途中で一度足を止め、振り返って口を開いた。
「そうだ。団長、聖女様との進展はどうですか?」
レオナードはその問いに、ふっと表情を緩めた。
「進展、か……」
彼は少しだけ考える素振りを見せると、懐から何かを取り出した。それは、淡い草花の刺繍が施された小さな香り袋。ミントの優しい香りがほんのりと広がる。
「……これをもらったんだ」
その言葉に、リカルドは思わず目を丸くした。
「それ、セシリア様からの……? まさか、団長が手作りの贈り物をもらう日が来るなんて……」
「何か言ったか?」
レオナードが鋭い視線を向けると、リードは慌てて視線を逸らした。
「いえ、何も。ただ、思いのほか順調そうだなと……」
「ふん。お前の助言が的確だったおかげだ。ブレスレットのアドバイスも的を射ていた」
「お褒めに預かり光栄です」
リードはからかうように言うと、踵を返して森の奥へと消えていった。
部下が立ち去った後もレオナードは夜風に当たっていた。そして、静かに香り袋を見つめ、僅かに目を細めた。
「……あの人は、やっぱりお優しい方だ」
呟くような声だったが、森の冷たい空気に溶け込んで消えた。彼はそっと香り袋を懐にしまい、確かな決意が宿っていた。
「……大丈夫だ、セシリア様。情報ギルドも、王子も、誰もあなたには手を出させない」
レオナードは夜風を感じながら、家の方へと視線を向けた。家の中では、セシリアが静かに眠っているだろう。その寝顔を思い浮かべると、彼の顔にほんのわずかな微笑みが浮かんだ。
「……安心して、眠っていてください」
◇
朝日がカーテンの隙間から差し込み、まぶたの奥に淡い光が広がる。ぼんやりとした意識が徐々にはっきりとしていく。重いまぶたをゆっくりと開いた。
(……ここ、私の部屋じゃない?)
見慣れた天井ではない。起き上がると、目に入ったのはリビングのソファだった。
「えっ……?」
なぜ私はここで寝ているのだろう。確か、夜は自室のベッドで眠るはずだったのに。ふと、キッチンの方から何かが焼ける香ばしい香りが漂ってきた。
「おはようございます。セシリア様」
その声に、思わずそちらを振り向く。
キッチンに立つレオナード様が、フライパンを軽やかに振りながら、にこやかな笑みをこちらに向けていた。彼の表情は太陽のように明るく、朝の光を受けて輝いているように見えた。
「え……おはようございます」
あまりにも自然な挨拶に、私はぼんやりと返事をしてしまった。
(え? どういうこと? 私、どうしてリビングで……?)
頭の中で昨夜の記憶をたどる。彼と一緒にホットミルクを飲んで、心の内を話して……。
『この生活が本当に楽しい…』
(あああ、言っちゃった!)
自分の言葉を思い出し、顔が一気に熱を帯びた。自分が抱えていた不安や本音を、あんなふうに素直に口にしてしまったなんて。しかも、彼の手を握られたまま寝てしまったのだ。
(そ、そんなの、恥ずかしすぎる……!)
「セシリア様、もう少しで朝食が出来ますよ」
彼の声が耳に届き、はっとする。彼はまるで何もなかったかのように、キッチンで軽快に作業を続けている。卵を割り、パンを焼き、野菜を皿に盛りつける手つきは慣れたものだった。
(ま、まさか……あのままソファで寝て、私をそのままにしてくれたの? しかも、朝ごはんまで作ってくれて……)
どこまでも堂々としている彼の背中を見つめ、私だけが気にしている様で少し複雑だった。
「……顔洗ってきます」
私が立ち上がると、彼はふと振り返り、柔らかい声で言った。
「セシリア様。たまには、肩の力を抜いてもいいんですからね」
その言葉に、また胸がざわついた。
(だから、そういうの……ずるいんですよ)




