第三話
「帝が譲位なさるのですか……では」
「そういうことになるな」
葵が不安そうに瞳を揺らす。
「もうここには、来られぬのでしょうか」
「しばらくは難しいかもしれぬが、またいつものように参るよ」
春の宮が安心させるように、その豊かな黒髪を優しく撫でた。
出すまいと心に決めていたはずの話題が、どうしても唇を零れてしまう。
「……六の姫が、尚侍として出仕されるとお聞きしました」
言ってしまってから、詮無きことをと後悔し、葵は深く目を伏せた。
「他に行く場のない可哀想な方だ。今さら大臣の家にも居場所はあるまい。あの人が入内そのものを無くしてしまったからな……あなたという妻がありながら、誠に困ったお人だ」
言い知れぬ寂しさに突き動かされ、葵は春の宮の衣の裾をきゅっと掴んだ。
「……私だけを、見てほしいのです。せめて、一緒にいるときだけでも……我儘でしょうか」
「ああ、なんと可愛い我儘だろうか」
髪を撫でていた手を止め、春の宮はその細い肩を引き寄せた。
「彼女は非常に優秀な方でね。政務の補佐としての資質を十分に兼ね備えているからこそ、重用するのだ。……それに、どなたかの恋物語は、大事な宝を隠すには格好の目くらましになると思ったまでだよ」
「まあ……!」
自分の情けなさに顔を赤らめつつも、葵は小さく唇を尖らせた。
「……理由はどうあれ、私以外の女ひとをお褒めにならないでくださいませ」
そう言ってぷいと横を向く葵の顎にそっと指をかけ、春の宮は優しく自分の方へと向かせた。
「……すまなかった。私の『大事な宝』は、後にも先にも、この世にあなた一人だけだ。他者のどのような才も、あなたの可憐さの前には何の価値もなさない」
触れ合うほどの近さで甘く囁かれ、葵の瞳が揺れる。
「私に嫉妬をしてくれたのだな。……たまらなく愛おしい。もっと私を困らせておくれ」
囁く唇が葵の額へ、頬へ、そして甘く熱い誓いを交わすように、唇へと重なっていった──。




